村木厚子さんの裁判を見守り支援する部屋

平成22年2月3日 第3回公判がおこなわれました。

午前中は前日に引き続いて河野被告に対する証人尋問、午後はやはり共犯として 起訴されている「凛の会」元会長、倉沢邦夫被告に対する証人尋問がありました。

第3回公判 傍聴記 平成22年2月3日
by ナミねぇ花ずきんSJ

「厚子さん公判傍聴記 その2。 by ナミねぇ」
前編

第3回 2月3日(水)10:00~17:00 証人:河野・倉沢
第4回 2月4日(木)10:00~17:00 証人:倉沢

2日間の傍聴記を、まとめて書きます。

自分自身の予定では、2月3日のみ傍聴。4日は娘マキの病院で開催される誕生会(マキは2月2日、37歳になりました!)のため欠席と思ってたんやけど、3日の傍聴で「倉沢被告と弁護団の攻防は最後まで聞かねば」という気持ちが強くなり、2日連続で傍聴に出かけました。

マキの誕生日は来年もあるけど、厚子さんを罪に陥れ、自らは巨額の利益を得た輩の顔・声・人品を、しっかり確認しておきたいと思ったからです。

2日間の傍聴で印象的だったのは、「凛の会元代表 倉沢被告」が、厚子さんから証明書を受け取った時「(証明書を出すのに)苦労した」とか「大変だったのよ」とか言われたという供述について、「そのようなことを言われていないと、なんど事情聴取で言っても聞き入れてもらえず、最後は体調不良にもなり、投げやりになって、サインした」と発言したこと。

また「郵政公社の森代表に、厚子さんが目の前で電話してくれた」という供述調書については、「村木課長に挨拶するつもりで机のそばで待っていたが、村木課長が電話中で、3分ほど待っても終わらなかったので、声をかけることなく退出した。その時、村木さんの電話の会話の断片が聞こえ、その中に森という名前があった、と事情聴取で話したら「それは郵政公社の森代表で、村木課長のダンナの知人であり、村木課長はその森に電話で審査を進める依頼をしたのだ」と検事に言われ、調書もそのようになっていたこと。

石井議員に議員会館のオフィスで「障害者支援組織を作ったので、認可に協力して戴きたい」と依頼し「電話しておくよ」と言ってもらい、すぐに厚労省へ行ったが、石井議員の電話の確認はしていないこと。

自分は「石井事務所」の名刺を出し、凛の会会長ではなく「石井事務所の者」と名乗って、社会推進室:村松係長に認可の相談をした。しかしながら、活動実績が殆ど無いなどで認可は難しいことや、規約や会員名簿など多くの書類が必要と分かり、その後は河野にまかせて自分は手伝っているふりをしていた、などと供述したが、検事から「これは政治案件なので、厚労省は大変重く受け止めて、塩田部長が村木課長に指示し、上村係長が証明書を偽造したという流れになった」と言われた。
自分はそのような厚労省内部の事情は分からないが、そんなものかと思って調書にサインした。でも自分は塩田部長にも上村係長にも会っていない。村松係長に会った事実しかない。

また、村木課長が(認可を求める倉沢被告に)不審そうな顔をし「困ったな、これは難しい」と言ったという供述調書については、村松係長が「これでは認可は難しい」と言ったのであって、村木課長ではない。村木課長とは、松村係長から「本件の責任者は村木課長なので挨拶しますか」と言われ、村木課長の机に行って(名刺も出さず)「石井事務所の者です。障害者組織の認可にことで伺いました。」と挨拶すると村木課長は「ああ、そうですか」と言い、それだけで自分はすぐ退出した。

それでも「政治案件」という重大な話になっている調書にサインしたのは、検事から、厚労省の関係者の方々は認めているよと言われ、また「新たな裁判員制度が導入されたので、平易な調書が必要だ」とのことだったので、納得してサインしたものである。

このような証言を倉沢被告が続けたので、法廷内がざわめき、検事が「あなたは取調べで暴力でもふるわれたのですか!?」と聞き糺す一幕がありました。
その時の倉沢被告の応えは「暴力は振るわれていませんが、テーブルを叩かれるなどがありました」というもので、「どんな時にテーブルを叩かれたのですか?」という検事の質問に対しては「証言を変えたり、言い直したり、答えを間違った時です」と返答したので、私は思わず傍聴席でズッコケそうになりました。(>_<)

倉沢被告を事情聴取したのは、坂口副検事という人だそうです。

 

「厚子さん公判傍聴記 その2。 by ナミねぇ」 後編へ続く

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「裁判を傍聴して思うこと(倉沢証人)」

傍聴
2月3日(火)10:00~11:30 河野証人、 13:15~17:00 凛の会 倉沢証人
2月4日(水)10:00~17:00(昼1時短15分昼食休憩)凛の会 倉沢証人

 

<倉沢証人>尋問

凛の会代表の倉沢とは、どんな人なのだろうか、この人はどうしてもこの目で見ておきたいと思っていた。検察側・弁護側双方申請の証人である。私がとんでもない人だと思えてきた三点を記す。

証言で重要だと感じたことが三点あった

これらのことは、倉沢が村木さんから受けっていないのに検察側の作ったストーリーに沿い、受け取ったことにして辻褄を合わせようとしたことが破綻したことを物語り、村木さんの関与はなかったことをますます明確にする結果となってきた。

 

これから元部長などの証人尋問で、うそで塗り固められた物語が崩壊していく過程を見届け、実際に作成した人が誰にどのように追い込まれていったのか明かされることを期待して傍聴をつづけたいと思う。 

By 花ずきんS

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「裁判傍聴紀」

2月3日と4日に裁判を傍聴しました。初日に傍聴希望者が多く行列ができたと聞いていましたので、念のため家族・関係者用の傍聴席をお願いし、東京から出かけました。

2日に関西在住のHさんとUさんが出かけたところ抽選はなく席が空いていた聞き、3日は開廷される15分ほど前に大阪地裁に行きました。まだドアが空いてなく、少し待ち受付も荷物検査もなく201号室に入りました。4日は15分前にドアは空いていました。

私は2日間、Hさんは3日間、10時から17時まで傍聴しました。傍聴席も1/3ぐらいは空いていました。

 

前日の検察側証人の河野氏に対する双方からの尋問、午後からは同じく倉沢氏に対する尋問が行われました。検察側の証人なので、障害者郵便の悪用の企て、民主党の石井議員との接点、村木課長に会ったかどうかが、焦点でした。しかし、「村木課長に挨拶した」「証明書を受け取った」ということは出てくるのですが、その確証となる名刺交換はしていない、日程となるといつかは曖昧な供述でしかない。この人たちはどうみても詐欺の常習犯のような感じでした。

今後、厚労省側の証人から聞くことになっており、実際がどうだったのか早く明らかになって欲しいものです。

裁判所の入廷も退席も自由であり、是非大勢の方に出かけていただきたいと感じました。

(文責:J)

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