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あっ変なおっちゃんがでている。よく見ると、これ、自分の顔。これがこのビデオを初めて見た時の感想。もうこんな歳になったんだなー。でもこの歳で、まだコンピュータが覚えられる、ぼつぼつ理解もできる。やろうとした時が旬。年なんて関係ない。今からでも遅くない。 このビデオをみて奮起し、何かにチャレンジしよう!。でも、私は、このビデオに若干不満があります。カレーづくりが、見た人の記憶に焼き付き、私のマウス操作が記憶に残らないからです。俺はカレー屋ではないゾー。当年50ンン歳 岡本 としみ |
もし、私がサブタイトルをつけるなら、 関西人の乗りとパワーでチャレンジドのパソコンによる、就労拡大を進めている先進的団体「プロップ」の活動を追うからだが、私自身、登場しているのに、改めて仲間たちチャレンジドの日常、活躍ぶりを観ると「ワシも頑張なアカン!!」と不覚にも励まされてしまう。なにより、キーボードを肉体の限り器用に使いこなす姿は、やはり圧巻だろう。 テクノカラーの新世代障害者の日常生活や熱い想いに迫る内容は、きっと、多くの人々に「人間の可能性について」自問させるに違いない。 ちなみに、私のドキュメント部分は『極私的パソコン成り上がり・生き活きて、全身CG作家へ』という感じで、穴があったら入りたい程、格好良い紹介である。しかし、チャレンジドのドキュメンタリーにありがちな肩肘張った、一方的な思い込みがなく、全編、淡々と映像で語らせようとする熱意に溢れた姿勢には好感が持てる。さすが、今村昌平組で育った精鋭スタッフによる長期にわたる撮影の成果なのだろう。また、長編版の計画もあると漏れ聞くが、ぜひ、このビデオが広く世界の津々浦々へと行き渡り?早く「帰ってきたChallenged」が実現することを心より祈っている。 吉田 幾俊 |
私は、5才の時、脊髄性小児マヒ(ポリオ)になり61歳の今日まで松葉杖で生活をして来ました。つらい、悲しい、うれしいこと、皆さんと同じく沢山ありました。幸い理解ある家内に助けられ、染色の仕事を二人三脚でしてきました。(30年余り)しかしご存知の大きな社会変革、不況、得意先の倒産、私は強度のノイローゼになりました。私には過去に脳天を打ちぬかれたほどのショックをうけた二人の人物に、おあいしました。
一人は日本のヘレンケラー、といわれた、故、中村久子女史でした。両手両足切断いわゆるダルマさんでした。女史は私の目の前で口に筆をくわえ、 なせばなる、なさねばならぬ何事も、ならぬは、人のなさるなりけり。 と美しい文字で書いて下さいました。
米島 実 |
ドアを開ければ、虹がみえた。 プロップ・ステーションに出会ったときの私の感想です。「障害も一つの個性」と言う言葉を耳にしたことがあります。とはいえ、世の中ハン
ディを背負って生まれ、また、突然の悲運にみまわれ障害者となった人々も多く居られ又、人は老年になり差はあれ、心身共に衰え損なわれてゆきます。
米島 春美 |
この映画では、プロップ・ステーション(以下プロップ)の活動や関係者の事が紹介されています。私、山崎博史は19歳の時に交通事故で、首の骨を折り車椅子生活に なりました。半年くらいして、車椅子に乗れるようになった時に 受傷した時から考えていた、死ぬ事というか、自殺を しようと試みましたが、できませんでした。 この時、自分の力で死ぬ事さえできない事を思い知らされました。2年半の入院を経て、退院しその日、その日を過ごすだけの生活が続きました。昔からの悪友は、私に良くしてくれたので何とか生きているかなと いう感じでした。 25歳の時、妻と知り合い28歳で結婚しました。結婚にはいろいろと問題がありましたが、何とか結婚できました。結婚する前から、仕事をしようと探したのですが、技術も資格もない私みたいな障害の状態では雇ってくれる所がなく、いろいろ探し、考えていた時に、たまたま聞いていたラジオからプロップの事を紹介していたので電話番号をすぐに書きとめて、電話をしました。これが私とプロップとの出会いです。プロップと出会ってから今までの事が、この映画で紹介されています。私の事に関しては、決して触れてはいけないような事も少し暴露しています。これ以上私の過去の事を知りたい方は、この映画が ヒットして、続編が撮影できるように、ビデオを買って下さい。 妻から一言 山崎 博史・景子 |
初めてプロップの映画を作ろうという話があるときいたとき、その他大勢でも絶対でるのはやめようと思っていました。監督さんが私の妖精シリーズの絵を気にいられて、家のほうに出演依頼に来られたとき、いい方なので嫌だといえなくなってしまい承諾してしまいました。でも、撮影が進んでいくうちにだんだん事の重大さに気付いて、一度正式にお断りしました。それでも、説得されて出てもいいと思えるまで気長に待ってくださり、その他わがままばかりいっていたような気がします。今でもまだ他の方が出演されていたほうが、もっともっといい映画になっていたのではと心から思っています。 杉本 睦子 |
私は、学校を卒業してからこれまでというもの、就職をしておりませんでしたので、その面で社会というものを全然知り ませんでした。そこで、仕事をしていく上での分からないこと に、橋口さんはその時々に丁寧なアドバイスを下さいました。感謝しています。 今回システム開発に参加させてもらい、社会の厳しさ、常識、みんなで一つの仕事をする楽しさやそのあとの充実感を味わうことができました。そして、会社業務やいろいろな関連知識を学ぶ、よい機会になりました。また、自分のやったことが認められたんだという、社会参加できた喜びでいっぱいになり、ほんの少し自信もつきました。これからも、勉強をしながら、もっとシステム開発に参加したいと思っています。 田中 一明 |
「わたしたちを見て下さい。」 石田 京愛 |
プロップ・ステーションと出会うまで「Challenged」という言葉を聞いたことがありませんでした。以前は「障害者」と呼ばれる事や、自分の身体に障害があるという事に抵抗を感じる事がありましたが、「Challenged」という言葉には、”神から挑戦すべきことを与えられた人々”という意味があるのを知ると、何かに挑戦するためにこの身体を与えられたのなら、この身体に生まれてきた事もなかなか捨てたものではないなぁと思いました。私達の様に身体に障害を持っていると家にいる事が多く、人と接する時間も短かいし、人との接し方もなかなかうまくはいかないけれど、プロップ・ステーションのセミナーには様々な障害を持った人や、様々な知識を持ったボランティアの人達がいて、一生懸命取り組む
Challenged のみんなを見ていると自分にとってすごく刺激を与えられると同時に勇気をもらう事ができました。 多島 敏史 |
映画であれ、文章であれ自分をさらけ出すのは抵抗があります。しかし、challenged に生まれたからには私達のことを理解してもらうことが、私に課せられた使命のように思います。 映画「challenged」は、ありのままの私達を映し出してくれています。このような形で自分を表現できる機会を与えられたことに感謝します。challenged(神から挑戦する試練を与えられた人)この言葉にプレッシャーを感じることもありますが、この言葉に負けぬようにしたい考えています。 中村 弘子 |
プロップ・ステーションのドキュメンタリー映画「チャレンジド」(押田興将監督、今村昌平監修)が、ビデオテープになり販売されることになりました! この映画(VTR)には、チャレンジド(障害者)がセミナーで教える側として活動する姿などパソコンを駆使し、いきいきと生活している姿が、いっぱいです。 私もインターネットを利用した講座でプログラムを大阪から遠く離れた新潟の小さな村から勉強させてもらい、会った事もない(E-MAILでは、頻繁に連絡しているのに・・・)遠く離れたチャレンジドと一緒に仕事を させてもらいました。こんな機会を作ってくれた、プロップに感謝しています。 私は、もっとプロップの事を、チャレンジド本人やチャレンジドの家族、知人、友人に知ってもらい、私のような機会をチャレンジドが持てる一助にこの映画(VTR)がなってくれると思っています。それ以外の人にもチャレ ンジドへの理解の手助けになってくれると思います。 是非、ドキュメンタリー映画「チャレンジド」をご覧になってください。 そしてプロップのキャッチフレーズのように、「チャレンジドを納税者にできる日本」へ。 伊藤 和彦 |
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プロップ・ステーション バーチャル工房 石田 京愛 ・ 吉田 幾俊 お立ち寄り、ありがとうございました。 |
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