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 2001年8月号より転載
     
  【特別企画】参院選の争点  
 

これでいいのか、日本の福祉。

 
 
”障害者を納税者に!”をテーマに活動する「プロップ」の問題提起をどう受けとめるか。
 
     



竹中ナミ・顔写真
浜四津敏子・顔写真
舛添要一・顔写真
竹中ナミ
たけなか・なみ(プロップ・ステーション理事長)
1948年生まれ。91年コンピューターを活用して 障害者の就労促進を目指すプロップ・ステーションを設立。98年、社会福祉法人化。コンピューター・セミナー開催。在宅ワークを推進など、障害者と仕事・企業との橋渡しに尽力。著者に『プロップ・ステーションの挑戦』がある。
浜四津敏子
はまよつ・としこ(参議院議員・公明党代表代行)
1945年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。弁護士。民事事件、相続・遺産事件などを手がける。92年参院議員に当選。二期目。羽田内閣で環境庁長官に就任。98年公明代表。同年十一月新党平和と合流し公明を結成、代表代行に就任。著者に『いつも、ひまわり』など。
舛添要一 
ますぞえ・よういち(国際政治学者)
1948年生まれ。東京大学法学部卒。パリ大学現代国際関係史研究所などで研究の後帰国し、東京大学教養学部助教授に就任。その後舛添政治経済研究所所長。99年無党派候補として東京都知事選に立候補するが落選。著者に『母に襁褓を当てるときー介護闘いの日々』など。

 

障害者をもつ人を「納税者」に

◇この企画の要点◇

1 社会福祉法人プロップがうたう「障害者を納税者に」の意味の大きさ。
2 障害者と健常者の間に一線を引く日本福祉の後進性。
3 欧米では、障害者との共生がノーマルだという考えが、すでに定着している。
4 高齢者や障害者も身の丈に合った働き方・学び方で、社会を支える一員に。
5 日本版ADA法を早急につ作れ。

舛添 障害者や高齢者の「福祉」はどうあるべきか、というのがこのてい談のテーマですが、まず、実際にITを活用して重度の障害者の就労や社会参画を推進しておられる竹中さんから、問題提起の意味も含めて、プロップ・ステーション(略称プロップ)の活動についてお話しいただきたいと思います。

竹中 私たちがプロップの活動を始めたのは1991年からで、パソコン通信が日本でも広がり始めたころでした。コンピューター通信を使えば、目の見えない人でも音声装置を使って意見を言ったり、しゃべれない人や耳の聞こえない人でも文字通信で障害のない人と同じように話ができる。ならば、ボランティアとしてそういう人たちと社会の橋渡しをしようと思ったのです。
 きっかけは、重度の心身障害者である私の娘(現在二十九歳)の介護を通して、障害をもつ多くの方々と知り合ったことでした。
 障害をもつ方々が実はいろいろな可能性をもっているにもかかわらず、今の日本の福祉のシステムのなかでは「気の毒な人」「何とかしてあげなければいけない人」という位置づけで、それは結局は保護であり、隔離であり、彼らに何も期待していないことではないか、ということを強烈に感じたのです。 
 そういう人たちを世の中がきちんと受けとめつつ、かつ、その可能性を引き出していく。そのメリハリができて初めて本当の福祉といえるのではないか。じゃあ、そういう、自分の力を世の中で発揮したいという人たちと一緒になってモデルケースをつくろう。その実践がプロップだったわけです。

舛添 僕も五年間痴呆症の母親の介護をしましたが、われわれは高齢者や障害者というと、「弱い人だから助けなければいけない」という意識でいると思うんです。ところが、竹中さんは「それは間違いだ」と言われる。大変な発想の転換ですよね。

竹中 だから、私はちょっと過激な表現ですけど、「チャレンジド(challenged=障害をもつ人を表す新しい米語)を納税者にできる日本」に、と言っているんです。「納税者」というのは、仕事をし、社会参画することによって、チャレンジドが自分の誇りを自分自身で取り戻す、という意味ですけれど。

舛添 なるほどね。政治家の場合は税金をとると言うと落選すれから、あれですけれど。(笑)

竹中 だから、当事者である私が言っているんです。(笑)

日本にはない
セカンド・チャンス

浜四津 公明党が「福祉の党」として出発したのは、戦後長い間、政治が、弱い立場の人や庶民を顧みようとしなかったからです。
 ですから、当初は確かに弱い人を助けるというところから始まったことは否めません。しかし上から何かしてあげるというのは、本来の福祉とは違うのではないか。すべての人が人間として希望をもち、幸せな人生を送ることが、その人のみならず、その社会にとって最も尊い目的なのではないか。そしてそこでいう「人」とは人種、信条、性別、社会的身分、年齢、障害の有無などにかかわりないすべての「人」のはず、と。
 つまり障害者の問題は「人間観」「人権」に直結する問題という認識が、時代とともに定着しつつあるのだと思います。
 私が政治家になったのは九年前です。その少し前に北欧諸国を訪問しました。そこでは障害者も健常者も等しく教育を受け、家庭をもち、仕事をもち、レクリエーションを楽しみ、すべての社会活動に参加できるのが当然という社会でした。また、議員になってかADA法(アメリカ障害者法=障害者の完全な人権と平等を実現するために、障害者の社会参加に対するあらゆる差別を禁止した法律)を知りました。北欧型にしろアメリカ型(ADA法)にしろ、日本の人間観、人権感覚とは雲泥の差と思いました。
 当時は「日本にもADA法」と言っても、「何のこと?」という反応でした。そこでずっと頭の隅に置いておいたテーマでした。ところが昨年、プロップを見学させていただき「ADA法の精神がここに生かされている」と思いました。実は伺う前にナミねえ(竹中ナミさんの愛称)から「このビデオをしっかり見てからいらっしゃい」(笑)とビデオをいただきまして、それを見て嬉しいショックを受けたんです。

竹中ナミ・写真

「あんたらの力が
世の中に必要なんや」と、
お尻をたたいている
組織がプロップです。

竹中 アハハ、僭越です。

浜四津 そこで、そろそろ機が熟してきたのではないかと考え、つい先日、真の「共生社会」実現のために、日本版ADA法をつくろうということで、総合的な政策提言をしたのです。

舛添 さっきの「チャレンジド」というのは「(神から)挑戦すべき課題や使命、チャンスを与えられた人」という意味ですよね。

竹中 ええ。「ハンディキャップ」に代わるポジティブな言葉です。

舛添 そういう概念は今まで日本にはなかったわけですが、北欧などでもノーマライゼーション(高齢者や障害者と共生する社会こそノーマルな社会であるとする考え)とかバリアフリーという考えが、 みんなの意識のなかに当然のこととして共有されているわけです。日本も「福祉」についてのこれまでの概念を変えなければいけませんね。

竹中 少し戻りますけど、プロップは障害者を救済する団体ではないんです。むしろ、「あんたらの力が世の中に必要なんや」とお尻をたたいている冷酷な組織かもしれないぐらいです。今までは誰もそういう期待を寄せなかった。そのために福祉というと金食い虫だ、みたいな話になってしまっているのではないかと。
 もう一つは、チャレンジドにかぎらず、日本というのはセカンド・チャンスがない国なんですね。

舛添 一度失敗したら、それで終わりみたいな。

竹中 ええ。障害者が働きにくいとか、女性が働きににくいとか、定年が一律やとか、高齢者は仕事をしなくていいとか、リストラ=人生の終わりみたいな・・・・・・本人の意思とかかわりなく、社会のほうが「あんたは働ける人」「あんたは働けない人」という線を引いている。障害者だったら、重度の人は働かんでいい、年金をあげるという話なんです。
 そうではなく、一日二時間あんたも社会を支えてちょうだい、残る時間は社会があんたを支えよう、みたいな話がこれからは「あり」と違うかなと。
 それが「あり」だとしたら、女性とか男性とか、障害があるとかないとか、年齢がどうだとかということは関係なくなって、たくさんの人にセカンド・チャンスが訪れるようになると思うんです。

浜四津 障害者は特別の人たちで、何となく関係をもちたくないという意識が社会一般にずっとあったと思うんですね。けれども今は身体障害にしろ、知的、精神、情緒障害にしろ、いつでも誰でもなり得るという意識に代わりつつあると思います。

舛添 「ハンセン病判決」の控訴断念は、坂口(力・厚生労働相)さんの懸命な努力が小泉さんの決断につながったわけです。ハンセン病ということでずっと怖いものだとされてきた常識が一気に転換されてわけで、そういう弾みがついているときだからチャンスだと思いますよ。

家族の責任ですまされるか

竹中 要は、障害のある人とおつき合いしていないから、学校だって養護学校義務化だとかといって法律で分けているからなんですよ。
 障害もつ人らは自分らと一緒に暮らされへんとか、特別な人やねんとか、そこから出発しているから、障害もつ人を知るチャンスがないんです。私は「ごった煮のノーマライゼーション」が必要だと言っているんですけど、ごった煮にしてみんな混ぜるべきだと思いますね。

浜四津敏子・写真

今では、いつでも誰でも
障害者になり得る
という意識に
変わりつつある。

浜四津 そうするなかで一人ひとりの特性に応じて、教育や職業訓練もケアをしていけば、必ず能力をのばせるんですよね。例えばオランダやドイツでもそうした施策をきめ細かくやっているので、障害者がごく自然な形で社会参加しています。また、アメリカでも有名な俳優のトム・クルーズが「私はLD(学習障害)です」と公言して、堂々と仕事をしています。
 あるいはADHD(注意欠陥多動性障害)の子供たちも早期に専門家による適切な支援、教育を受ければ、その優れた才能を発揮できる例が多くあります。日本ではまだまだとても遅れていて、その人たちにとってのみならず、社会にとっても大きな損失と思います。

竹中 その理由として大きいには、「家族の責任だ」というあの感覚です。「負」というのはぜんぶ家族の責任で、家族のなかで解決するのが当たり前だという。

舛添 古いタイプの政治家はそういう感覚ですからね。

舛添 竹中さんはNPO(民間非営利組織)としてプロップを運営されているわけですが、日本でもとくに阪神大震災を契機にNPOが根づきつつあると思います。これは日本人の意識が変わってきたからなのかどうか。竹中さんはどう思いますか。

竹中 NPOというのは結局は自治でしょう。NPOが成熟するかどうかは、自治という感覚を国民がどこまでもつかだと思うんです。日本では自治はあるようでなくて、お上がやってくれるのを待っている。だけど、 責任は自分たちにもある。 だって自分らがこの国で生きて生活しているんですから。それが本当はNPOの出発点であるべきなんです。
 それが何となくNPOになったら何か得しますか?みたいな話になっている。私は、あれははなはだ気に食わないんだけれども、問題をいちばん切実に考えている人たちが、自ら課題を見つけ、自分らで活動を始めるのがNPOだと思うんです。NPOが増えつつあるのはいいことだと思いますが、何となく”NPOきれい論”があるのはあまり好きじゃないんですね。

舛添 NPO法を含めて、現行のNPOをサポートする仕組みについて、何か不満とかこうしてもらいたいというものはありますか。

竹中 いや、「こうしてもらいたい」なんて考えた瞬間に、NPOとしてはだめや、と自分に言い聞かせています。

舛添 アハハ。そうなんですよね。

竹中 うちは社会福祉法人ですけれども、第二種だから組織運営に一切行政補助はないわけです。このミッションに共感する人たちが支援してくれる。それと、プロップでならお金を払ってでも勉強したいというチャレンジドからの授業料で運営しているんです。そこにNPOの価値があるわけで、何でもかんでも行政にサポートしてくれというのはちょっと違うかなと。
 NPOといっても自然淘汰の原則のなかにあるもので、そのなかで行政やビジネスを上回るサービスを提供し、支持されていく。そうなったときに、周りから「あそこまでやってるんだから、もっと行政が応援すれば」みたいな話が出るのが順序かなと思っているんですけれど。

舛添 企業が寄付する場合、プロップは寄付金控除の対象になっているんですか。

竹中 なってますけど、控除の対象になっているから寄付があるかというと、それほど甘くないです。(笑)

舛添 いえいえ、そうじゃなくて、寄付する側からいうと、今は制約がいっぱいあるわけです。それは、当然で、みんな寄付して税金を払わなくなったら国としては困るから、例えば寄付金控除の枠があるんだけれども。だから政治の現場で法律をつくる側からすると非常に悩ましい。浜四津さんにお聞きしたいのですが、公明党はNPOに対する支援についてはどう考えているんですか。

浜四津 NPO活動の充実のためには、しっかりとした自主的な財政基盤を確立することが不可欠です。そのためにNPO法人に対する個人や企業の寄付の所得控除や損金算入、NPOの収益事業のみなし寄付、不動産寄付への免税措置など、税制面での十分な支援が不可欠です。また、NPO法人格取得手続きが煩瑣との指摘がありますので、そのあたりも整理していかなければと考えています。

雇用率一辺倒より選択肢を増やせ

舛添 さきほどの日本版ADA法ですが、国会に法案を提出するわけですか。

浜四津 ええ。骨子はできていますので。自民党の野田聖子さんも大変関心をもっておられますので、連携しながら進めたいと思っています。まずそれぞれ自分たちの案をつくり、それができたら与党内で調整しましょう、ということになっています。

竹中 民主党さんもプロジェクトチームを発足させると聞いています。

舛添要一・写真

北欧などでは
ノーマライゼーションの
考えが当然のこととして
共有されている。

舛添 竹中さんは、ご自分が法律を書くとすればどういう日本版ADA法をつくりたいと思います?

竹中 浜四津さんから原案をメールで見せていただいたんですけれども、タイトルが「障害者の権利保障法」になっているんですね。それで私、「またか」と思って。結果の平等じゃなくて、学ぶこと、働くこと、社会参画すること、その出発のところの機会を平等にするんだ、ということをはっきりとタイトルにうたってほしいんですよ。そこがちょっと残念です。私が付けたいタイトルは「自立の機会均等法」といったイメージですね。

浜四津 そうですか。私たちがなぜ「権利保障法」という名称を考えているかというと、これまでは障害者を「措置の客体」としてしかとらえてこなっかた。それが間違いで、それこそがこの問題の一番のポイントと思ったからです。障害者を権利の「客体」ではなく「主体」として位置づけようと。ですから中身は機会の平等になっているんです。ネーミングについてはまたご相談したいと思います。
 教育も交通も公共施設も雇用も情報、通信も全部バリアフリーにし、すべてに機会均等という基本方針をこの法律で明示したいと思います。その下に個別法を一つひとつ整備していこうと考えています。

舛添 アメリカでは公民権法をはじめいろいろな積み重ねがあってADA法ができたわけで、今では法律うんぬんではなく、社会全体の意識として、すべての差別をなくすのが当然だ、というところまできているわけです。
 ところが、 日本の場合は、障害者に関しては何か一足飛びにゼロからポーンときているような感じがするんですね。例えば「障害者を雇えば補助金をあげますよ」というような制度がまだ生きている。竹中さん、現場でおやりになっている立場からどう思われますか。

竹中 就労を促進するのに雇用率一辺倒になっていることがおかしいんです。だから雇用率を達成することが至上目的になっていて、未達成だと”罰金”を取られるということで、グレーゾーン(中間の領域)の人に障害者手帳を取らせたりしている。
 今はITを使えば在宅で仕事ができるわけで、一日二時間でも、あるいは春秋、季節のいいときだけでも働きたいという人がいる。そういう人がいる。そういう人たちにアウトソーイング(外部依託)すれば雇用率の上で同じように考えるとか、フランスのように企業がチャレンジどドのスキルアップ(技能向上)ための予算を組んだときはそれも対象にするとか、方法はいくらでもあるんです。私は雇用率という言葉も変えたほうがいいと思うんですけれども。

舛添 ITの時代になっているんですからね。その法的な整備という点では浜四津さん、いかがですか。

浜四津 おっしゃるとおりだと思います。ただ、補助金や雇用率をすぐに撤廃していいかというと、やはり経過措置として必要ではないかと思うんです。「もう権利の主体ですよ、チャンスを与えますからどうぞ」と言ったとたんに、これまでのハシゴを外されてしまう。そういう事態を避けながらやっていかなくてはいけないと思います。

竹中 まったく同感ですね。雇用率一辺倒から、選択肢を増やす方向に向ってほしいと思います。

浜四津 それから、さっきの「一足飛びに」というお話ですが、たしかにそういう感じもあるとは思いますが、社会がまだそこまで行っていないとしても、そういう法律をつくることによって社会が追いついてくるという面もあるわけですから、やはり目指すべき社会のあり方を明示した法律をつくることは、私は大事なことだと思います。

舛添 それはそうですね。そういう日本版ADA法を期待しています。

身の丈に合った働き方ができる社会

舛添 最後に、一番強調したい点をおっしゃっていただいて、締めくくりにしたいと思います。

竹中 プロップが一番やりたいというか活動の目的は、はじめにも言ったように、チャレンジドが気の毒だから何かをしてあげるんじゃなくて、人間としての誇りを取り戻すことなんです。高齢社会も彼らが学んだり働いたりできるという社会でないと絶対に乗り切れない。むしろ彼らの力が求められているんだと思います。すべての働く意欲のある人が、身の丈に合った働き方で社会を支える一員になっていただきたいと思います。
 そして、求められるから、彼らもまた誇らしく社会に対して発信していく。そのための活動がプロップで、これからもずっと積極的に続けていくつもりです。
 それから最後に、今年十一月一〜二日、三重県で北川知事さんたちとご一緒に「第七回チャレンジド・ジャパン・フォーラム」を開催します。プロップのミッションを、政官産学の皆さん、そしてチャレンジド自身とで共有し、広めていくフォーラムです。一人でも多くの方が参画して下さることを願っています!

舛添 高齢者の場合もそうで、六十歳で退職して八十歳まで元気で暮らせれいいけれども、寝たきりになったり呆けたりすると邪魔にさえる。ある意味で今まで障害者に対する態度もそうだと思うんです。
 そういう意味では、僕は最大の構造改革は、人生八十年時代に合ったシステムを構築することだと思うんです。竹中さんが著書のなかで、「あんたらも年取ったらこうなるんだ」とおっしゃっていたのはまさにそのとおりで、そういう認識で社会の仕組みを変えていくべきでしょうね。

浜四津 今、時代の大転換の真っ只中にいることを実感します。今回のハンセン病判決の控訴断念は、これまでのような「国家の論理」「官の論理」から、まず人間としてどう判断すべきなのか、という「人間の論理」に転換し始めたことを示すもので、日本の政治社会の転換の分水嶺になる出来事だったと思います。
 これは、福祉の問題にも環境の問題にもあらゆることに通じると思います。公明党が掲げている人間主義というのは、豊で健全な、個の尊重という思想が、社会の営みのなかでしっかり消化され、それが基本となった社会をつくるということです。その一番の根本の「人間を大事にする社会」ができなければ、差別はなくならないと思います。
 具体的には、竹中さんがおっしゃったように、一人ひとりはいろいろな可能性をもっている。それを実現できる社会、人間としての誇りをもって生きていける社会をつくるということで、その「人間主義の政治」の実現を私のライフワークにしたいと思っています。


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