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毎日新聞 1998年8月29日より転載 |
論・「チャレンジド」 |
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−「障害者」の言葉を超え 仕事をし、納税者になれる仕組みを |
「障害者」に代わる言葉が何かないのか、という声は、国際障害者年(1981年)のころからあったという。しかし日本では、人の能力をマイナス評価することが多く、厚生官僚出身の浅野史郎・宮城県知事のように「すべての人は持っている能力、別の言い方では『残存能力』を生かして生活し仕事をしている。その残存能力の状態が人によって違うということなのだ」と「できる」面をプラス評価していく文化は「ない」と、重症の心身障害の子を持つ竹中ナミさん(49)は痛感してきた。そこで「チャレンジド」(挑戦する人)という言葉を使って企業、行政と障害者をつなぐ役割NPO(非営利組織)「プロップステーション」を作り、活動を続けている。竹中さんは「高齢社会はすなわち障害者社会。チャレンジドはその水先案内人になる」と主張する。 【特別報道部長・山崎一夫】 |
−「チャレンジド」の言葉はどうしてできたのですか? 91年にプロップを作った時、全国の障害を持つ人たち1300人にアンケートをし、その回答で印象的だったのは「仕事をしたい。そのツールとしてコンピューターに大きな期待を持っている」ことと「障害者と呼ばれるのは情けない」ということでした。 アメリカのケネディ大統領は61年の就任式で「国民諸君、国が何をしてくれるか、ではなく、国のために自分が何をできるかを問うてほしい」と強調しましたが、それに続いて「すべての障害者を納税者に」とも演説しています。アメリカにはこうした発想が以前からあり、日本には乏しかったのです。阪神大震災のあと知人のアメリカ在住日本人に、米語で「the Challenged」を教わり私は「これだ」と思ったのです。 元々の意味は「神から挑戦という使命を与えられた人たち」。この言葉で、私たちの運動の目標は「チャレンジドを納税者にできる日本」に明確になりました。 −納税者に、とはすなわち働くこと。とするチャレンジドと仕事、企業との接点が問題になります。 当時、障害を持つ人を「保護」する立場を取ったり「自立」を訴える団体はありましたが、「仕事を」という組織はなかったのです。人間の尊厳とか基本的人権の訴えを根本にしつつ、その中で働くことを重視し、働ける、働けない、を分けるハードルをもう少し低くしたい、と考えたのでした。 最初の年に野村総研とインターネットを利用した在宅雇用モデル作りの実験プロジェクトを行い、そこで分かったことは、企業はチャレンジドの働く状況がつかめない、逆にチャレンジドには企業での仕事の仕方が分からないという2つの問題があるということでした。特に日本では在宅重度のチャレンジドは福祉行政の対象にはなっても、彼らの力を伸ばす仕組みがない。それをつなぎ、双方にメリットのある関係を作る機関、公平なパイプ役としてプロップが必要だと確信しました。 −成果はどうでした? 毎週開いているコンピューターのスキルアップセミナー、電子メールを使った在宅セミナーの受講者の中から、パイオニアとしてマイクロソフトの社員も生まれました。プロップとして今受注している仕事としては、マイクロソフト以外にNTT、日本IBM、関西電力、松下電器のホームページ制作、プログラミング、デザイン制作などがあります。企業の側でも、障害者雇用率(この7月から法定雇用率が1.8%に上げられた)や補助金獲得のためでなく、チャレンジドを技術、能力を持った企業の戦力として積極的に育て、採用しようという動きが出ています。マイクロソフト日本法人の成毛真社長は「チャレンジドにも使える商品こそこれからの市場を押さえていく。これは大きなマーケットになる」と断言しています。 −そのチャレンジドがなぜ高齢社会のキーワードに? これまでの日本の経済は、8時間どころか残業もいとわない人たちで支えられてきました。しかし終身雇用が崩れ、リタイアする人も大量にでる高齢、少子化時代にこの仕組みが同じでは済みません。1日に5時間働く人も3時間の人も経済を支える側に入れていくことが不可欠です。そのことは「障害を持つ人=支えられる側」「持たない人=支える側」という線引きを変えていこうとしている私たちの運動と同じ課題を持つことになります。結婚後の女性の再就職の問題も、同じテーマを抱えています。 チャレンジド自身、『働く』ところから最も遠いところにいますが、障害者手帳を持つ人の6割は高齢者ということからみても、チャレンジドは高齢社会の水先案内人、プロップの主張に高齢社会を乗り切るヒントがあると確信しています。 |
竹中ナミさん |