作成日 1999年9月吉日

 
 
 
 

特別鼎談

 
 
 
     
 
ドキュメンタリー「Challenged(チャレンジド)」を監修して下さった映画監督の今村昌平さんを今村オフィスにお訪ねし、お話を伺いました。 今村さんが主宰される日本映画学校専務理事であり、ドキュメンタリーの制作プロデューサーもつとめて下さった武重邦夫さんも同席くださり、今村昌平監督&武重さん&ナミねぇの鼎談となりました。
 
 
映画監督
 今村昌平さん
日本映画学校専務理事
 武重邦夫さん
プロップ・ステーション
 竹中ナミ(ナミねぇ)
     

レポート
 中和和彦 (ジャーナリスト)
 
  ナミ■ 今日はスーツを着て来ようかどうしようか迷いました。実はスーツというのは私
 
  今村昌平さん
   
にとっては戦闘服で(笑)、いつもの私はあのドキュメンタリーにも出てくるように、こういうラフな格好なんです。結局、「初対面で失礼かな」と思いながらも、「今村さんには鎧を着ない普段の格好でお目にかかりたい」という気持ちの方が強くて、こういう格好でまいりました。よろしくお願いします。武重さんも、どうぞよろしくお願いします。
 さて、私は最近いろいろなところでプロップの話をさせていただくんですけど、お話だけをした時と、あのドキュメンタリーを見ていただいてから話をするのとでは、やっぱり皆さんの反応が全然違うんです。「映像の説得力というのはスゴいな!」と改めて思ったりするんですけど、監督からご覧になってあの作品の中の私たちはどうだったか、その辺りからお話をうかがえればと思います。

今村■ ナミさんの迫力に仰天しましたよ。

竹中■ 迫力、ですか。喜んでいいのかな。キレイとかカワイイだったら、すごく嬉しいんですけど(笑)。

武重■ (笑)いや、実は、竹中さんが重症心身障害の娘さんを抱えているシーンがありますけど、あれを入れるべきかどうか、われわれは迷ったんです。やっぱりあのシーンを見て、監督もぼくらもビックリしたわけです。「これは大変なことや」と。「こんな大変な人がどうして他人の支援までしているのか」と。普通、これは驚嘆しますよ。

今村■ ドキッとしました。
 
  武重邦夫さん(左)
   

竹中■ う〜ん、それで「迫力」ですか。でも私の中では「他人の問題」という意識はなくて、自分の子供が障害を持っていたから、「その人たちの問題」が見えてきたんですね。私だって、いつか娘みたいな状態になるかも知れない。高齢社会というのは、そういう人たちが増える社会。その人たちを人間らしく生きて行けるようにするんだとしたら、やっぱり今の社会の仕組みを変えていかないといけない。
 じゃあ、単に「弱者にもっと手厚い保護を」ということでいいのかというと、それでは今までの弱者と強者の関係は何も変わらない。私は娘を育てる過程でたくさんのチャレンジドに出会って、「今まで弱者と呼ばれてきた人の中に、いろんな眠っている力がある」ということをいっぱい見てきた。彼らをいわゆる<普通の>社会人にするには、その力を社会の中に出す道筋が必要なんやということに気づいていったんです。娘がいなかったら、私だってそんな風にチャレンジドを見なかったと思います。
 ただ、そういう意味では確かに娘は私の原点なんですけど、その娘とのシーンが映像的に強烈で、そこばかりが見た人の印象に残るようなことにはなって欲しくないなあと思っていました。そういう意味で、私の中でも、あそこは撮ってもらうべきかどうか、迷いがあったんです。
 でも、出来上がったのを見せていただいて、「ああ、やっぱり撮っておいてもらって良かったな」と思いましたね。

武重■ あれ以上使ったら、おっしゃるように、あのシーンの印象が強くなりすぎます。迷って、ギリギリ絞って、あれだけしか使わなかったのが、いい効果になっています。

竹中■ 分量の問題というのは、大きいんですね。

今村■ それは大きいです。

竹中■ あのシーンでちょっと不思議だったのは、あの撮影をした時、彼女がやたらと機嫌が良かったんですよ。普段はなかなか機嫌のいいことが少なくて、特に何か周りの様子が違うなぁ、という時は唸って反発したりするんですけど・・・ね、押田くん(と、後ろに居る押田監督に声をかける)

押田■ あれは、ナミねえが見れば機嫌がいい時と悪い時とわかりますけど、ぼくらは半分くらいわかってなかったですよ。

竹中■ えっ、そうなん?! 分かってると思ってたのに! あの日は可愛かったのになぁ(笑)

武重■ ナミねえが、母親としてベタベタしてないのが良かったですね。 あのくらいの障害を持った子どもとお母さんというと、どうしてもお涙ものになっちゃうんですよ。それが、ナミねえの場合は、ちゃんと違う人格として相対している。そのことにも目を奪われました。
 「大阪の人って、こういうところがあるのかな」と思ってみたり、「ナミねえ個人のどういう生き方から来るのかな」って思ってみたり……。で、見ていてわかってきたのは、「他の人に相対する時も一緒なのかな」ということなんですけど。

竹中■ それはそうかも知れませんね。
武重■ 他の人たちもみんな、いいですよ。あの足でカレーを作っていた岡本さんにしても、全盲の細田和也さんにしても、みんな見ていて気持ちいいですよね。
 監督はだいたい惨めったらしいのは嫌いなんですけど、どうです? ああいう人物像は好きでしょう?

今村■ いいですねぇ。

武重■ われわれが脚本を書くとウソになっちゃうんですけど、あの人たちにはウソがない。意外性もある。

竹中■ 普通はどう撮ってもお涙ものになっちゃったり、あとはお説教臭くなっちゃったりする。それはよくわかるので、今回の作品が全然そうならなかったのは嬉しかったし、ありがたかったですね。
 親子漫才(!?)のシーンはどうでした? 絵描きの吉田幾くんとお母ちゃんが出てきて、「あんたの首はなんでいがんでんねん」とか言ってじゃれているシーンがありましたでしょう?

武重■ あれは関西じゃないと、ありえない雰囲気だよね。

竹中■ さっき少し言いましたけど、私が全国各地でお話をする時にあのドキュメンタリーを併せて上映しますでしょう。そうするとあのシーンで。ハッキリとその土地柄が出るんですよ。 関西で上映すると、あのシーンで爆笑なんです。絶対に会場は笑う。ところが、他の地域では逆に、「こういう映画では笑ってはいけない」みたいに思っているのか、みんな真剣な顔をしているんですよ。幾くんは、それこそ笑いを取ることに生き甲斐を感じているアーティストなんで(笑)、素直に笑ってくれたらいいんですけど……。

今村■ 昔『にあんちゃん』という映画を撮ったんですけど、小さな女の子が旅行に連れて行かれて、唐津に行くんですね。その時にお姉ちゃんと会って、そのお姉ちゃんとの別れがあるんです。「これ、どういう風にしようか」と話すと、案の定、お涙ものになっちゃうんです。でも、それはイヤなんですよ、ぼくは。
 黛敏郎(作曲家)が重ったるい音をつけたんですけど、ぼくは「イヤだ」と言って断ったんです。「泣かせるな」と。

竹中■ サラッとしている方が……。

今村■ ええ、その方がいいんです。

武重■ 大半の日本の監督は、泣けるところが見せ場なんです。私の知り合いの監督にも、「タケちゃん、見てろよ。泣かしてやるからな」というのがいたんですけど、たまんないよね、そんなこと言われて(笑)。こっちは今村監督についていて、今村さんはそういうところを排除して撮っているのを知っているから。

今村■ 黛はね、なんとなく怒ってるみたいでしたよ。

竹中■ (笑)それは「なんとなく」ではなくて、本気で怒っていたんじゃないですか?

今村■ そうかな……(笑)

武重■ 今村さんが作ってきた中で、あまり愁嘆場というのはないですよね。『赤い殺意』なんか、強姦されて「死のう」とまで思い詰めた女が、「死ななくちゃ」と言いながら大メシを食らっている。そういう風に、いままでのパターンと違うんです。悲劇的な場面にも喜劇的な要素が入る。だいたい、「人間、そう弱いものではない」というのが基本にあるんですよ。
   
     

今村■ それは、そうですね。

竹中■ ははあ。実は私がチャレンジドとつきあっていて「おもしろいな」と思うのも、そこなんですよ。「弱者」という呼び方が本当に馬鹿げているなと思うくらい、強いものを持っている。また、どんなにキレイそうに見えても、裏表もある。人間なんですから、それって当たり前ですよね。
 でも、世間の目は、そういう人を一面的に「かわいそうなもの」として見ようとしたり「キレイなもの」として捕えようとしたりしている。 私は、「そういうのは、ちゃうぞ、ちゃうぞ」と思いながら、プロップの活動をしてきたわけです。今回の作品は、私らのそういう感覚をよく描いていただけたなと思いました。
 でも、いまのお話をうかがうと、それは今村組に脈々と流れる人間観でもあったわけなんですね。

武重■ 今村さんの作品は、世界的には日本国内よりも評価されてますでしょう。でも、日本の映画は一般的には情緒的で、それは外国人の中ではあまり評価されないんですね。世界的には、ひと通りでない、人間のもっと多面的なところを描いたものが評価されていると思います。

竹中■ いっそ、海外で撮ろうと思われてことはありませんか?

今村■ それは思いませんね。

竹中■ では、「日本人をもっと映画好きにさせてやる」とか。

今村■ 実は、そう思っています。今度ぼくは、助平な映画を作るんです。相当に助平な映画です。

竹中■ えっ、それはどんな内容のお話なんですか?

今村■ 内緒です(笑)。

竹中■ 今回のドキュメンタリーの監督の押田君と最初に会って話した時、ビックリしたのは、彼は小学校の時に監督になりたいと思ったと言うんですよ。小学生であこがれる職業じゃないですよね。 今村さんは、いつ頃からですか?

今村■ ぼくは中学ぐらいからですね。黒沢明さんにホレまして……。まず三船敏郎を見て「こいつはすごい奴だな」と思いまして、いろいろ調べてみると「この黒沢という人は並の人じゃないぞ」と思いました。
 実は三船敏郎というのは、役者としてはうまい人じゃないんですよ。それをあんな風に撮った黒沢という人は、すごいと。それで、ぼくは東宝に入社したんです。

竹中■ 当時、映画はわりと見ることができる環境だったんですか。

今村■ 映画館は、いまの方が少ないんじゃないですか。

竹中■ 話は飛びますけど、何で日本で映画はこんなに衰退しちゃったんでしょう? テレビの影響とか言われますけど、アメリカでは今でもというか、ますますお金をかけて次から次へと大きな映画を作りますよね。

武重■ 結局、時間だと思いますね。日本人は戦後、一生懸命働かなければ生きて行けなかったから必死に働いて突っ走って来たんです。でも、そうやって働いてある程度のお金ができたら、普通の国では自分の時間を大切にするようになりますよね。ヨーロッパなんか皆そうですけど、自分の時間に、ある種、人生と向き合うような感覚で、映画を観に行くわけですよ。
 ところが、日本人はこれだけお金が豊かになっても、まだそういう時間を持とうとしない。まだ走っている。そこに日本の映画文化がプアにならざるをえない原因があるんじゃないかと、ぼくは思うんですが。

今村■ 同感ではないけど、かなりしょうことない(どうしようもない) 空気がありますね。カンヌ映画祭なんかに行きますと、映画祭の関係者でも何でもない普通のおネエちゃんたちでも、非常に詳しいですよ。だから、私は「今村だ」って威張るんですけど(笑)、よく見てますよ。なかなか見巧者ですね。
 フランスの人と関西の人とは、ちょっと似ているところがありますね。どっちも見巧者ですよ。 ぼくらが中学校の頃は、戦争たけなわでしたけど、フランス映画は敵性ではないということで、あまりチェックされてませんでしたから、よく見ましたね。ドイツ映画はおもしろくなかったですけど、フランス映画はすごくおもしろかったです。人間中心ですから。

竹中■ さっき「今度は助平な映画を撮る」というお話でしたけど、スケベというのは人間の本性ですよね。そこに訴えて、映画離れしたお客さんを呼び戻そうと……。いつ頃できあがるんですか?

今村■ ひと夏かけてやってみて、モノになるかどうかですね。

竹中■ 台本はいつもご自分で書かれるんですか?

今村■ だいたい自分でやるんですけど、今度は映画学校一期生の人の脚本を使います。

武重■ 一期生と言っても、もう学校ができて24年ですから、18歳で入ったのが42歳になっています。今村さんの作品は世界的に評価されていますけど、卒業生にやっとそのレベルに達するのが出てきたということですから、こっちとしては嬉しい話です。

竹中■ 一つお聞きしたいんですけど、ドラマは脚本がありますよね。でも、ドキュメンタリーはお芝居じゃないですから、いざそこで誰が何を言うかわからない。同じ映画でも、作り方はずいぶん違うんだろうなと思ったんですけど。

今村■ それはやっぱり「違うことをやっているなあ」と思います。
 ドラマの場合は、私の立場としては真っ先に、役者とともに「それはウソじゃないか」と追及するわけです。どうもウソらしいということになると、どうしたら本当になるかを考えないといけない。
 もちろん芝居、作り話なんですけど、私の立場としては「これは本当だ」というものを作らなければいけないわけです。そうすると己を責めるわけですね。かなり。
 でも、基本的にはナミねえのように元気よく走り回っている人でありたいと思っているもんですから、おもしろくないグチャグチャとした話はイヤなんです。

武重■ 監督とナミねえは似てますよね。 「チャレンジド」というのは、障害者だからと言って保護を受けるのがイヤな人たちで、自分でやる、自分で立つという人たちでしょう。ここの監督の下でやっているスタッフたちも、みんなそうですよ。
 監督の映画はみんな“生命の讃歌”というものに光を当てるわけです。チャレンジドの場合も、ハンディキャップを持って生れてきて、地球的な時間の長さの中ではほんの一瞬の命なんですけど、命ある限り一生懸命に生きるということに、人間としての尊さを見るわけですよね。
 そのチャレンジドに、「税金払えるくらいがんばらんかい」と言っているナミねえは、けっこう監督の感覚と通じるものがあると思いますよ。

今村■ あなたの周りの人たちは、あなたの言辞に相当のプレッシャーを感じているかも知れない。でも、それにちゃんと立ち向かっていくようにがんばっているわけですね。そのがんばり方も、とってもいいですよ。

竹中■ そうおっしゃっていただくと、すごく嬉しいです。私は関西人なのが非常にトクなのではないかと……。

今村■ トクですね。

竹中■ 自分からトクや言うのもどうかと思いますが、やっぱり、そう思われますか。私ら、やっぱりどこまでいっても、おもろくやりたい。絶対に楽しくやりたいというのがあるんですね。

今村■ ああいう雰囲気は、東京からは生れて来ないですね。

武重■ 監督は大阪は詳しいんですよ。映画も撮ったし、京都の撮影所にもいたし。父方は兵庫ですよね。

竹中■ あっ、そうなんですか。じゃあ、東西両方がおわかりになるんですね。どんな違いをお感じになりますか。

今村■ 関西の方がずっと人間がカラッとしてますよね。簡単にはへこまないし、おっしゃったように、いつもおもろくすることを考えている。

武重■ 東京だとものごとは「意味がある」でスタートしますけど、大阪は「おもろい」でスタートしますよね。だから、ノーパン何とかとか、悪いことはみんな大阪から流れてくる(笑)。関西の方が自由なのかなあ……。

竹中■ 実は私、子どもの頃、女優になりたくて劇団に入っていたんです。ところが、やっていくうちに、周りから「あんた、漫才の方が向いてるわ」と言われまして(笑)。

今村■ そら、お笑い系の方がいいですよ。

竹中■ 喜んでいいのかな。でも、女優に向いている人って、どういう人なんでしょう?

今村■ 色気ですね。男でも。

武重■ 色気のある男の役者って、少なくなりましたよね。

今村■ 役所広司なんか、少しありますね。

武重■ なるほど。全盛時代の緒方拳なんかはありましたね。『復讐するは我にあり』の中で殺人犯の役をやっているんですけど。 でも、あなたが女優志望だったとは知りませんでした(笑)。意外な経歴ですね。

竹中■ 物怖じしないのは、そういうことも影響しているかも知れません(笑)。
 でも、役者さんの色気というのは、われわれは役の中の他の人格で感じますよね。別人になりきれる力が必要なんでしょうか?

今村■ それは、そうでしょうね。緒方拳は『復讐するは我にあり』の脚本をもらって、「オレは人殺しをどんどんしなければいけないんだ」と思い込もうとして、私生活でも変わって行ったという話です。人殺しを演じられるような狂気が生れる状態に、自分を追い込んで行ったということでしょう。奥さんから聞きました。

武重■ 俳優が全体的にそうだったというワケじゃない。彼はそれだけ、あの作品に入れ込んだんでしょう。でも、資質というものがないと、ダメですよね。練習すれば出来るってものじゃないですから。

竹中■ でも、それが、持っているのに眠っているということもあるわけですよね。監督さんというのは、それを引き出す仕事だと思いますけど、「この人はこんなものを持っているな」というのは見えるものですか?
今村■ ある程度、見えます。

武重■ 今村さんが撮った約30本の中で、ぼくは『赤い殺意』というのが最高傑作じゃないかと思っていますけど、その主役に抜擢した春川ますみさんは、当時日劇のストリッパーだったんです。ステ ージで元気に踊っていた一踊り子ですよ。それに、東北の田舎の嫁役をやらせるという。普通では考えられないことですよね。ところが、やらせてみたら、あれだけの芝居をして、賞を総ざらいにして行ったんですからね。

竹中■ 「この人しかない」というものがあったんですか?
 
 
今村■ ありましたね。でも、誰もあんな太った無名の女性を映画の主人公になるなんて、誰も考えないわけですよ。だから、契約に行ったら総スカンを食いましたけどね。OKをもらうまで大変でした。

武重■ 当時、主役を演じる女優と言ったら、吉永小百合であるとか、みんなそういう感じの人たちですよ。見る側も作る側も、そういうもんだと思っていた。今村さんのあの作品は、そういう固定観念を崩した最初の作品でもあったんじゃないかな……。

竹中■ 今までにないことをやる時って、エネルギーが出ますよね。自分でもそう思います。プロップも最初は、誰もやったことがないような活動を始めたんで、大変でした。人もいなければ、お金もない。
 でも、いまは社会福祉法人の認可をいただいて、法律上もう少し職員がいないといけないということで、今まで一緒に活動してきたチャレンジドの人にもやっと職員としてお仕事をしてもらえるようになって、とてもいい展開になっています。
 でも、エネルギーはといえば、やはり創成期の方があったなと思います。なにしろ、エネルギーだけ。それがないことには、何も動かないですから。
 だから、あのドキュメンタリー映画は、プロップ創成期の様子を伝えるものとして、非常にいい時期に作っていただいたと思っています。 今日はどうも、ありがとうございました。

 
 

鼎談を終えて

今村さんったら無口なもんで、機関銃タイプのナミねぇとしては最初ちょっと戸惑いました。でも、煙草の煙の向こうにある眼がねの奥の監督の瞳はすごく温かく、時々その瞳に「いたずらっ子」のような光が浮かぶのが印象的でした。今後の企画について大いに話が盛り上がったんやけど、残念ながらこれはオフレコ。鼎談を終えて、しっかり握手させて戴いた時に3秒くらい私の顔をみつめて「あんたちょっと美人やね」と言って下さいました。わ〜い、わ〜い!今村さん、武重さん、お忙しいのに長時間ほんとうに、ありがとうございました。(by ナミねぇ)

 
     
 
「チャレンジド」を監督した押田興将さん(中央)と
 
 
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