作成日 1998年12月吉日

Flanker 表紙絵の作者 


「鈴木純子さん」からのメッセージ 
 


 わたしはこの頃、町を描くことに惹かれています。

 神経症の私は出かけることがにがてなのですが、町の様子を観察したくてスケッチブックをかかえてバスに乗ります。町はたくさんの人が住んでいて、その暮らしを助けるためのもので成り立っています。ビル、マンション、学校、公園、駅、商店街、鉄工所、ガソリンスタンド、コンビニetc・・・。バスの窓からその光景をクロッキーします。

 ちまちました駅前の商店街、キッチュな手書きの看板の群、色々な格好の人々、鳩たち、鉄工所で働くおじさん、自動販売機、コンビニの中の店員、そんなものに心を寄せながら・・・。町にはさまざまな形の家があります。じっと見ていると家はそれ自身が魂をもっているように感じられます。家が中に住んでいる人の人生のシンボルだからなのでしょう。だからこそ、長年住み慣れた家に人は執着します。私事ですが、この春、夫のおばあちゃんが病院には行かず、長年住み慣れた古屋で90歳でなくなりました。

 大阪の一等地に昔から住んでいて、家の敷地の半分はマンションにしてもこの家だけは取り壊すのを拒み続けました。その古い屋敷の小さな傷やしみひとつにさえ、おばあちゃんの人生の思い出が染みついているに違いありません。

 また、長年住み続けた家を捨てる人もいます。でも、それを嫌悪するのも執着の裏返しです。なぜなら人が何かを憎悪している場合は、同時により強いそれへの執着を表わすからです。出ていってしまうことが同時に熱烈に帰り着くことを望むことであるように・・・。

 夜の町の明かりはそれこそまるで夜空の星のようです。その一つ一つにはそれぞれの人生のドラマがあります。そのせいで窓の明かりは少しずつ異なった色で輝いているのです。その明かりの下にはどんな人たちが肩を寄せ合って暮らしているのでしょうか。どんな暮らしがあるのでしょうか。どんなストーリーが展開しているのでしょうか。

 人が生まれて初めて見たもっともすばらしい光景はゆりかごの中から見た光輝く窓です。人は退屈な赤ちゃん時代、ずっとそれを見続けるのです。そしてその窓のある風景はの心の奥底に原風景として刻まれていきます。また、夫のおばあちゃんのように最後の床についている人が見ている窓もあるでしょう。おばあちゃんは長年見続けた窓の下、きっとその時よみがえった原風景の中に帰っていったに違いありません。

 町は色々なドラマを展開しながらそこにあり続ける巨大な多チャンネルのテレビのようなものです。そしてそれ自身も休みなく姿を変えます。暮らしの営みにあわせて新しいものが作られ、古いものは壊されます。新しいものがつくられた時、そこに人々の夢や期待が集まり、古いものが壊されたとき、それにまつわる思いはそこにいた人たちの心に残ってゆきます。また、人々が居なくなってもその思いだけはその場に残るに違いありません。 空き地にたたずんだ時、なにか言うに言われぬ気を感じることがありますから。

 町は表向きには日常を営み続けていますが、その裏で人々の様々な幻想や夢や絶望や愛や憎悪などを時空を越えて内在していくものなのでしょう。また、時にはそれが白昼夢となって、町のあちこちに立ちのぼったりすることもあるかもしれません。

 善なるものだけでなく、悪なるものもあるでしょう。たとえば、薄暗い市場の路地をはいったところににツイン・ピークスの赤いカーテンの部屋があったり、枯れた井戸の底にねじまき鳥がワープしたホテルがあったりするように・・・。そしてそれらはすべて、町を営む人たちの心の奥の世界が作り上げたものなのです。

 現実と幻想が交差する街角・・・わたしはその中の一員としてそれらを見続けたいのです。私は穴あき人です。心にぽっかりとおおきな穴があいています。そのことに気がついたのは最近です。まあ、ともだちからは別な表現で昔から指摘されていましたが・・。

 知らない頃はその穴をなんとか埋めようと、そばにあるものをなんでもほうりこんでいました。マリファナやシンナーも手にはいったら、いれていたことでしょう。手にはいらなくてよかった!もし、私が歌がうまかったら、美空ひばりになり、かわいかったら、松田せいこになって男をはべらせていたことでしょう。また、体が丈夫だったらアル中になったかもしれません。でも私はなんの才能も美貌もましてや丈夫な体もなかったので、今のような状態なのです。絵のほうでその穴をなんとかならないかというと、これがまた、私は元来の不精者なので、年をとって絵の技術が向上するよりも目が肥えるほうが上回って、容易なことでは満足できないのです。

 従って、絵を描きながらもますます落ち込む毎日ですが、幸いなことに体が弱いのと、根性がないのとで、ほどほどにしています。もう、この頃では居直りの境地にはいり、もう、このままの私でいいや!という心境です。穴のおかげで風通しはいいのです。穴あき人のまま残りの人生を生きてゆくことでしょう。プロップのみなさま、これからもよろしくお願いいたします
 


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