作成日 1997年1月5日

仮想猫は語る

スタートアップスクリーンの独り言

神奈川県総合リハビリテーションセンター  伊藤英一

■我輩はスタートアップスクリーン

図2
図2
 我輩は仮想猫である。名前はまだ無いが、ヴァーチャルキャットなんて今風の名前にあこがれている。現在の住み処は....我がご主人様の職場にある小さな薄汚れたデスク(図1)、窓際でないのが救われているが....そこに鎮座するマッキントシュSE30と言うコンピュータのスタートアップスクリーン(図2)である。マックをお使いの読者諸兄にはお解りと思うが、スタートアップスクリーンとは起動時、つまり電源を入れた時の僅かな時間に表示されるだけの画面である。つまり、我輩は1日に1回程度しかご主人様と対面しないのである。
 居心地はまずまず良いと思うのだが、隣の芝生は良く見えるものである。我輩の住居、つまり9インチのディスプレイ画面は、巷では大変狭いともっぱらの評判である。モノクロ、しかもグレースケールの表示も出来ない画面なんて時代遅れで、1670万色表示の17インチなんてのが溢れているらしい。しかし、我がご主人様は甲斐性がないのか、レトロ趣味なのか、アップル教のエバンジェリストなのか、マックの古いゲームマニアなのか.....ハードディスクとメモリを増設した程度で、毎朝我輩を見つめてニヤニヤしているのが日課である。まあ、利用する内容が電子メールのやり取りと、さまざまな原稿やデータの入力などであるため問題はなさそうである。もちろん、この原稿は『ナミねえ』から送られてきた電子メールによって書き始められた。しかし、ホームページ作成からDTP、各種データ処理、特殊な入力装置の開発などは、我輩とはかなり歳の離れた優秀なる弟達が受け持ち、我輩同様可愛がってもらっている。彼らとは『へその緒』、つまりアップルトークで繋がっており、毎日のようにおしゃべりをしている間柄でもある。

■リハビリテーション・エンジニア

 ご主人様の職業はリハビリテーション・エンジニアという特殊な職業らしい。聞くところによるとエンジニアの働くリハビリテーションセンターは国内でも数が少なく、神奈川、横浜、兵庫、名古屋、富山、石川、福岡などにあるそうだ。しかも、一つの施設に多くて10人、少ない所は1人という所もある。リハビリテーション・エンジニアと言っても資格や専門課程などが有るわけではなく、機械工学やら電気・電子工学、建築、土木、デザインなどバックグラウンドの専門は多種多様であり、それぞれの専門性を活かしPT、OTなどのリハビリテーションスタッフと共に仕事をしている。つまり、幅広い専門分野を駆使した多方面からのリハビリテーション支援が実施できる可能性を持っている。
 さて、我輩の居住地でもある神奈川県総合リハビリテーションセンター(図3)には10人のリハビリテーション・エンジニアが勤務している。障害者の社会復帰や日常生活、福祉に対して工学技術を応用することにより、それらの可能性を高めるのが任務のようである。具体的には、車いすや坐位保持装置、リフター、コミュニケーションエイドなど福祉機器の研究開発に5人、動作時の身体各部位にどの様な負荷が掛かっているか?などを計測する歩行分析に5人が従事している。その他に義肢装具士2人と室長の合計13人から成っている。ご主人様の肩書は「主任研究員」と偉そうであるが、研究室の中では最年少のペーペーである。福祉機器の研究開発チームに所属し、コミュニケーション関連機器を1人で賄っている。もちろん、依頼内容がコミュニケーションエイドであっても、坐位保持装置など生活環境をも含めた支援が必要でありチームワークが欠かせない。

■我が主人

 ご主人様は、その昔、ラジオ少年とかマイコン少年と呼ばれていたらしい。ハム(食べるハムではない:アマチュア無線のこと)も中学生の頃からやっていたようで、真空管で短波受信機を作ったり、世界中のQSLカードも持っているようである。マイコンというものは電子炊飯器などに入っている奴を指しているようであるが、その頃は今で言うパソコンの元祖の様なものであった。そして、大学でマイコンとロボットについて勉強していたらしい。ロボットも産業用ではなく人間型の鉄腕アトムとか鉄人28号(年齢がばれるな〜)に似たものを求めていたようである。そんな状況で大学卒業後もロボットで有名な研究室に入ったものの、ロボットではなくサイボーグ009(映画で見たよな〜)とかバイオニックジェミーなどの制御義足に取り組んだ。そして、恩師の勧めもあって『この道』に迷い込んだようである。
 現在では、パソコンやその入力装置(図4)、コミュニケーションエイド、環境制御装置、ナースコール、電動車いすのコントローラなどに関して、毎日のように車いすに乗った人達が訪れている。もちろん、真面目な内容ばかりではなく、Hなビデオを一人で見るためのリモコンの改造とか、看護婦さんを激写するためのデジタルカメラの改造?なども手掛けている。しかもリピーター、つまりお馴染みさんも多く、この類を一人で賄っているため結構忙しいようだ。最近では、電子メールによる問い合わせも多い。しかし、電子メールとの格闘は端から見ると仕事をしている様には見えないのが玉にきずのようである。ちなみに、ご主人宛の電子メールを見つけると『コケコッコ〜』とか『You have new mail』とお知らせするのである。

■ある日の出来事

 ある日、作業療法士のタクちゃん(OT)がご主人様(Eng)を訪ねてやってきた。何やら病棟で使うナースコール用のスイッチが欲しいようであるが....
OT氏「ナースコールに接続する呼気スイッチ(図5)ってある?」
Eng「どんな疾患の人?いくつ?男の人?どんな状況で使うの?呼吸の他に残存している運動機能はないの?人工呼吸器などを使っているの?コールを必要とする時間帯などは決まってるの?どんな内容を訴えてるの?.....」
OT氏「彼の障害は...年齢...状況.....」
と、詳しく説明してから、いくつかの候補となるスイッチを選び出したようである。そして最後に
Eng「今、時間があるから一緒に病棟に行こうよ。利用する人とも話しをしたいし、機能を確認しながらスイッチを決めようか。」
OT氏「いいよ。今から行ってみよう。」
そして、スイッチの沢山詰まった箱を抱えて二人は病棟へと消えた。そこで適切と判断されたスイッチを設置した後も、2日後と1カ月後に直接、もしくは間接的にその利用状況を調べているようである。
 そういえば、駆け出しの頃にこれらの質問を受けた場合、即座に一つのスイッチを選択してOT氏へ渡していたようである。スイッチ一つを選択するのにも様々な使用状況を十分すぎるほど把握しないといけないことを学んだようである。
『たかがスイッチ、されどスイッチ』

■ある日の出来事、パート2

 ある日、頚髄損傷のコウちゃんがインターネットを(内緒で)使うためにやってきた。コウちゃんとは結構付き合いが長いのである。
コウ氏「そろそろ、パソコン買い換えようかな〜。95もいいけどマックもいいよね〜?何かお勧めの機種ってあるの?」
Eng「お勧めって言ってもね〜、扇風機を買うのとはちょいと違うよ。冷蔵庫でも、家族構成とか室内の広さを考えて自分で選択するよな〜。」
コウ氏「え〜、パソコンヲタクでもお勧めって無いのかよ〜。ちょべりば」
Eng「人を勝手にヲタクにせんといてや。自分で使うのならばともかく、コウちゃんが使うのだから自分の目と耳で探しなよ。もちろん、どんな用途に使うのか?という使用目的ははっきりしておいた方がいいと思うよ。機種によって得手不得手もあるからね。でも、最も注意する点はキーボード入力をスティックでするための補助機能、順次入力ができる物。また、マウスの替わりにトラックボールを使うんだよね。その際、クリックボタンにロックが付いているものを選ぶこと。」
コウ氏「ロック付きのトラックボール(図6)って?ここにあるのはロックスイッチが付いてるから全てについてると思ったよ〜。」
Eng「ここにあるのは自分で改造してスイッチを付けたものもあるけど、コウちゃんのような人に紹介するため、ほとんど特殊な機能がついてるやつばかりだからな〜。でも、普通のパソコンショップにはロックの付いてないものが多いんだよね〜。ほんとに。」
 コウちゃん等ここでパソコン操作をする人達は恵まれているようだ。スティック入力もスイッチ操作もマウスエミュレータの使用なども一通り完備している。
 そういえば、ここの部屋にはいろいろなパソコンが置いてある。我輩の住み処でもあるマシンはご主人様のデスクに鎮座しているのだが、部屋の中央付近にあるパソコンラック群には98やらマック、PCAT互換機などがある。新しいものはないけれど(^^;)。倉庫の奥にはアップルIIとかソード(知ってる人は通!)もあるでよ。

■ネットサーフィン?まだまだ...

 コウちゃんのように、パソコンが使えるようになると情報通信ネットワークで世界を広げてみるのもよさそうである。
 WWWも急速に発展した。しかし、WWWを見るためのブラウザの大半は四肢麻痺者にとって使いにくく、我輩(猫)を天敵とするマウスの利用を必須としているのだ。Win95にはTABキーでフォーカス移動させ、リターンキーで確定させる機能を持っており、マウスを利用しなくても操作できる環境がある。しかし、ブラウザ大手のネットスケープナビゲータにはそのキーボードアクセス機能がない。インタネットエクスプローラは、Win95の開発元であるにも関わらず最新バージョン(IE3.0)からようやくTABキーでリンク先にフォーカスが当たり、リターンでジャンプするキーボードアクセス機能があるが、フォーカスが大変見にくい。
 まだまだネットサーフィンを自在に出来る環境にはなっていない。しかし、諦めてはいけないのだ。自ら勝ち得て行くような姿勢も必要だと思う。

■高度情報化社会における相互支援

 我輩のような仮想猫が言うのもおこがましいが、情報通信ネットワークを利用する事によって様々な物理的(肉体的)制約が解消されるはずだ。ご主人様は以前よりネットワーカーでもあり、移動困難な重度障害者にとって遠隔コミュニケーションが社会参加につながると信じている。しかし、全ての人が自由に使えるメディアにはなっていない。何が足りないのであろうか?
 まずは、情報通信ネットワークへのアクセスに必要な各種インタフェースの研究・開発。次に、利用者のニーズや身体機能などから適したインタフェースを選択(改造)し、セッティングできる人材の育成であろう。
図7
図7
 そして、障害者が必要とする特殊な情報を効率良く提供するためには、障害者自身が情報を発信すること。例えば、『車いすマップ』を情報通信ネットワークを通じて提供しあう(図7)ことなどが思いつく。情報通信ネットワークを通じてお互いを支援するピア・サポートは、社会貢献事業として認められてもおかしくはないと思う。
 我輩は、高度情報化社会でバリバリと生活する人達とお友達になりたいね。


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