村木厚子さんの裁判を見守り支援する部屋

平成22年3月18日 第14回公判がおこなわれました。

坂口英雄・副検事と林谷浩二・検事が証人として出廷しました。

第14回公判 傍聴記 平成22年3月18日
by ナミねぇジャーナリスト江川紹子さん
ゆきこ

「厚子さん、第14回公判傍聴記 by ナミねぇ」

厚子さん第14回公判傍聴のため、大阪地裁に向かう。今朝は昨日までと、うって変わったように寒い!
今日の出廷は倉沢、河野両氏を取り調べた坂口英雄副検事(51)と、 河野、北村、村松、塩田の各氏を取り調べた林谷浩二検事(34)の二名。う~ん、緊張するなぁ! 
今日は江川紹子さんも傍聴に。心強い!!

大阪地裁201号法廷で、紹子さんと合流。
紹子さんは、東京から早朝の新幹線で(なんとTVのレギュラー番組を蹴って!)日帰りで来られたという。感謝!!

10時開廷。倉沢被告を取り調べた坂口副検事が入廷、証人席へ。
氏名、役職を述べた後、宣誓。

今日は、結論から書こう。
坂口副検事の尋問で、石井議員の関与や企画課長(厚子さん)から倉沢被告が直接証明書を受け取った日時などの証拠は、いずれも倉沢氏のあやふやな供述と、不確実な本人の手帳のみ。検察は裏取りしてないことが判明。「なぜ裏付け捜査をしていないのか?」弘中弁護士の問に 坂口氏は「長期間、長時間、倉沢氏を取調べ、誠実な人柄だと分かり、信頼関係も出来ていたからです。最後の取調べの日は、いつものジャージではなくスーツで応じ『貴方に取り調べてもらって嬉しかった。ありがとう』と言ってくれた。」と述べる。
それって、逆ストックホルムシンドロームみたくない??

坂口副検事は、取調べに使ったメモを全てシュレッダーにかけて破棄したのだが、その理由を弘中弁護士に聞かれ「自費で買ったノートだった。家族のことも書いていた。破棄は倉沢氏のプライバシー保護と名誉のため。」と証言。「メモだけでなく、調書を残していない日もあるが。」との弘中弁護士の問には「メモ帳に必要事項を書いてたので、取調べに支障はなかった」と語る。メモと調書を補完的に使っていながら、メモだけをあえて破棄したことの意味が傍聴者には伝わらない。

「録音、録画をしたことは? あるいはその必要性を(組織として)検討したことは?」との弘中弁護士の問い掛けには「「メモしたことは自分の頭の中にあるので、それで良い。」と、あまりにも素直な(?)答えに傍聴席は唖然。「取調べメモは証拠開示の対象と知ってますか?」と、弘中弁護士が厳しい声で聞く。「は?・・・あの、よく知りませんでした。注意も受けていませんし・・・」と困惑する坂口氏。取調べの可視化が問題になっていることなど、どこ吹く風という感覚に、呆然。

年配の坂口副検事は、(大阪府)堺支部から「身障低料第三種郵便制度を悪用した企業がらみの事件」の捜査応援で駆り出されたそうだが「虚偽有印公文書作成事件」の取調べ責任者と、どちらも共通の検事だったという。「したがって、時々他の検事と取調べを交代した。」と証言。「あなたが他の検察官に取調べを交代した日は、供述調書が残って無いが、それはなぜなのか?」と弘中弁護士が問う。「自分のノートに記載したり、口頭で引継ぎを受けたので、取調べに支障はなかった。」と、坂口副検事。

つまり「取調べを行う側だけが、取調べ側に必要な事実を把握すれば、それで良し。被疑者の立場など考慮する必要は無い。」と言うに等しい答えに、目が点になりそう!
「あまりにも正直で(上に◯◯がつくほど)実直(?)に答える」坂口副検事の、やや寂しい後頭部と、決して高価ではなさそうな背広の後ろ姿に、「組織の歯車」という言葉が胸に浮かぶ。

弘中弁護士の、昨日の記者会見での言葉「検事はシレッと嘘をつく」から、狡猾な検事の出廷を予測していた私は、拍子抜け。あまりにも正直に答えた罰で、坂口氏はどこかに飛ばされるかも・・・と思ってしまったりする。いやいや、同情してる場合やない。 この人が倉沢被告から「公的証明書を、厚子さんから直接受け取った」という証言を引き出した張本人なんやから。

弘中弁護士の尋問が続く。「倉沢氏は、4回も村木課長に会ったことになってるが、倉沢氏の押収物に村木さんの名刺は無かったんですよね?それについて倉沢氏は何と?」「名刺交換したかもしれない、しなかったかもしれないと言ってました。」と坂口副検事。「追求しなかったんですか?」「追求しました。でも倉沢氏は記憶が定かでないと・・・」「じゃぁ名刺交換してない可能性もあるんですよね!どういう理由でしなかったか追求しましたか?」「さぁ・・・村木さんから戴かなかったのじゃないかと・・・」「その程度の説明だったんですか!?」さすがに弘中弁護士の声が荒くなる。坂口副検事の返答は「はい」。

「平成16年6月のはじめごろに倉沢氏は、公的証明書を受け取りに村木課長のところに行った、と証言していますよね。この裏付けとなるものは?」弘中弁護士が聞く。「裏づけは・・・特にないです。」「裏取りをしましたか?」「あくまで倉沢氏本人の行動で、しかも5年前のことなので、非常に難しくて裏付けは取れませんでした。もしこうすれば裏が取れるということがあれば、やったんですが・・・」と困惑したように話す坂口副検事。「河野から連絡があり、証明書ができたので急いで取りに行ってと頼まれ、当日もしくは翌日、遅くとも翌々日には受け取りに行ったようです。」

おいおい、厚子さんのこの事件への関与は、今や倉沢の「受け取り証言」しか無いんやでっ!! 何アバウトなこと言うてんねん、坂口!!

「当日か、翌日かって・・・相手(厚子さん)のスケジュールもあることだし、それは追求してないんですか!?」弘中弁護士が迫る。「追求しました。そしたら倉沢氏が、河野氏に急かされたので、間を空けずにすぐに行ったと言ったのですが、もしかしたらすぐには行けなかったかもしれないと思って、私は当日、もしくは翌日、遅くとも翌々日と、幅を持たせた調書にしたんです。」あまりの回答に、傍聴席は爆笑!・・・と言いたいところだが、静粛を求められる法廷なので、みな笑いをこらえて肩を震わせている。私は思わず声を出して笑ってしまったが、これって笑ってる場合ちゃうやん!!
こんな証言と調書で、厚子さんが「主犯」にされたなんて、アホらしくて涙が出そう。

坂口副検事の証言からは、供述調書が毎回一から書かれたのではなく、証言が変わらない(と思われる)部分は先に入力しておき、聴取時に書き足す方式がとられていたことも判明。
また裁判官からの尋問では「厚子さんが、郵政公社の森という人に電話した」件も、あやふやな倉沢氏の記憶と発言が、検事の誘導によって「確定的なものとして調書に記載された」ことも明らかに。「調書に記載するかしないかは(検察官にとって)必要かどうかで判断され、一時的に(被疑者が)否認したことは書く必要を感じなかった」と、坂口氏は悪びれることなく語った。

あまりのことに裁判官が「本件は、取調べの正当性が疑われているのだが、そのような注意を受けたことは無いのですか?」と厳しく坂口氏に問いかける。「はい」と小声で答える坂口氏。
こうして「ホンマにこれが検察官!?」と言いたくなるような坂口副検事の尋問が終わった。

午後2時半。二人目の証人、林谷検事が入廷。
柔道家のようなガッチリ、ずんぐりした体格、短く刈った髪、黒縁のメガネで、坂口副検事より17歳若い。平成19年4月に、大阪地検特捜部に配属されたという。
坂口副検事とは対照的な外見だが、証言がはじまってすぐ、性格も二人は真逆と判明。
高めの声で、氏名、職責を名乗った後、裁判長の「宣誓を」の声に「宣誓しま~す」と、少し語尾を伸ばして答え、宣誓文を読み上げる。体格もデカいが、態度もめちゃデカい。

先ず驚いたのは、坂口氏と同じく林谷氏も取調べメモを全て廃棄したのだが、同僚であるはずの公判担当検事から「なぜ?」と聞かれて「必要ない」と、きっぱり言い放ったこと。
「被告人の一人である村木さんは、犯行を否認していますよね。そうすると他の関係者の取調べ内容などが必要になることもあるのでは? 手元に取っておこうとは思わないのですか?」と聞かれ「残す、残さないは自分の判断です。」と言い切る。
「証拠開示の対象になるのは知ってましたか?」と聞かれると、高い声で「当然! 残っていれば対象になりますね。」「(あなたのメモは)対象にならないとでも?」「はい。重要なものなら残してますよ。」う~む、まさに傲慢、まさにこれぞ特捜検事の面目躍如!?

弘中弁護士が言った検事像そのもののように、林谷検事は、供述調書を否定した証人たちの証言をすべて切って捨て、事情聴取の正当性を滔々と語る。高い声、早口でまくしたてるので、殆ど聞き取れない。記録を取る書記官が眉をしかめる。公判担当検事が「もう少し、ゆっくり話して下さい。」「もう少し短めに話して。」と何度も呼びかけるが、聞く耳を持たない。喋る、喋る、喋る、林谷検事。
しかしよく見ていると、さかんに水を飲む。もしかして緊張してる? もしかしてホンマは小心者??

自分が担当した4人の被疑者(凛の会:河野、北村元課長補佐、村松元係長、塩田元部長)の「調書は作文」「誘導されたもの」「利益誘導や恫喝が有った」「他の人がこう言ってる、あぁ言ってると話して証言を引き出した」「嘘の証拠を提示」などをガンガン否定し、聴取の正当性について喋り続ける。
塩田元部長に「(石井議員への報告の)4分数十秒の電話交信記録がある」と言って証言を引き出した、とされる件については「塩田氏のほうから、通話記録があるなら教えて、と言い出した。自分は通話記録があるとは一切言っていない」と強調した。

林谷検事の尋問中に5時となり、裁判長が「次回、3月24日も林谷検事に出廷を求めます。では今日はこれで。」と閉廷を告げ、取調べ検事尋問の1日目が終わった。

二人の全く違うタイプの検事の証言を間近で見聞し「どこの組織にも、どっちのタイプも居てるなぁ・・・検察も、普通の組織やん! でも強大な権力を持つ検察が、普通の組織ではアカンやろ! 自浄作用を働かせて、ホンマの正義を追求してくれい!! 」と、強く強く思いながら、大阪地検を出る。

そして、江川紹子さんと顔を見合わせ「今日はなんか、精神的に疲れたねぇ・・・」と、異口同音に話しながら、大阪駅に向かったのでした。

<文責:ナミねぇ>

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「第14回公判傍聴記」 
by ジャーナリスト江川紹子さん

大阪地裁なう。到着が早すぎ。遠い人ほど早く来て、近い人ほど遅刻するって、よくあるけれど。雨が降ると思って長い傘を持ってきたのに、なんと大阪は晴れている!どこかに置き忘れそうな予感。

村木裁判、今日から重要証人などの取り調べに当たった検事の証人尋問が行われる。取り調べ検事の尋問自体は珍しくないが、6人もというのは、かなり異例。検事の証人尋問って、要は「違法な調べはしてません。本人が任意で供述しました」と言うだけなので、かなり地味。弁護側がそれを突き崩せるか

大阪地裁の村木厚子被告の裁判。今日は傍聴券交付はなし。検事の証人尋問は地味です。「すみません、ちょっと被疑者脅しちゃいました」なんて自白する人はまずいないので、全然ドラマがないのが普通。ということで人気薄なのかもしれない

大阪地裁:午前中は凜の会代表の倉沢被告を取り調べた坂口副検事が証人。検察側の主尋問で、取り調べは適切だった強調。「取り調べを始める前に『体調はどうですか』と必ず聞いておりました。倉沢さんか『思わしくないです』と言っていた場合は短時間で終わらせていました」と

「私が『全容解明が検察官としての私の使命であり国民の要請である』と訴えると、倉沢さんは『分かりました。実は厚労省の担当部署にお願いし、正規の申請を得ずして公的証明書を発行してもらいました』と打ち上げました」と

坂口副検事は、取り調べメモを処分。弁護団はこれを問題にしているが、「私が自費で買ったノート。倉沢さんのプライバシーや名誉に関する記載もあったので、プライバシー保護の観点から保管を継続しておくべきではないと判断した」と正当化。検察庁での保管がなぜプライバシー違反?

取調中に検事が机を叩いたとの倉沢証言を確かめられ、「数回はあった」と認める。凜の会が障害者と無関係なことを「いったんは認めながら、責任逃れをするように『そこまでの認識はなかった』という時が何回かあったので、その時に少し机を叩いた」と

それでも、取り調べの最終日、倉沢被告はスーツを着て臨み、最後に深々とお辞儀をして、「ありがとうございました。私の担当が坂口さんで本当によかった」と言ってくれた、と。

倉沢被告は平成16年2月25日に石井議員に口添えを依頼したと述べていたが、取り調べの最終日に「それはアポを入れた日。100%その日とは言い切れない」と述べた、と。前回の法廷で、石井氏にこの日は倉沢被告と会ってないと証言されたためか、別の日の可能性を強くにおわせる

弁護側反対尋問:長時間の取り調べを行いながら、まったく供述調書を作ってない時期があることを指摘。この時期に何を調べていたのかを聞くも、証人「よく覚えていない」と。「全然覚えてないのか」の追及に、いくつか答えるが、それはすでに調書作成済みのこと。不自然さを追及され…

「経緯が長いですから」と苦しい答弁。その間にメモは取っていたのかを問われると、しばしの沈黙のあと「ある程度はとっていました。私の頭の中に倉沢さんの生の言葉として残っておりましたので、あとでまとめて調書にすればいい、と」。そのメモは廃棄されている

「石井議員についての供述は6月3日の調書に初めて出てくるが、この日に言い出したのか」の問いに、「5月末か6月1日」と。弁護人「そういう重要な話を聞きながら、その日に調書にしなかったのはなぜか」と問う

証人「倉沢さんの供述の出方からして、すぐに調書を作成しなくても、翌日、翌々日に作成しても供述は動かないだろうと確信していた。毎日顔を合わせて、人間関係が形成されていた」と。机を叩いて叱りつけなきゃいけないようなこともあったのに?

倉沢被告が石井議員に会って依頼をしたという日が100パーセントではないと述べたと主張する坂口証人に対して右陪席裁判官が鋭く突っ込む。「手帳に書いてあるのは予定、変更になった可能性もある」と弁解。さらに右陪席は「あの手帳では予定を消化すると赤線で消してある。この日も赤線で消してある」と指摘。「本当に倉沢さんはそんなこと言いましたか」と検察官の証言に疑問を呈した。

裁判長、倉沢被告が本件で逮捕された後、裁判所で行われた勾留質問で、「証明書偽造されたものとは知らなかった。そういうもの作成するよう共謀したことはない」と述べている点を指摘。逮捕後、そういう趣旨の検察官調書ができてないことについて「否認の調書を作らないんですか」と

質問。さらに「否認の弁解をそのまま調書にとることはないんですか」と重ねて質問。取り調べをしているのに調書がなく、否認の調書もない状況に、裁判所は不自然さを感じているよう。検察は否認調書は作らないのではないかという裁判長の質問は、本件捜査の本質を突いている

続く検察官側証人は、凜の会の河野被告、村木被告の上司だった塩田元部長ら3人の厚労省関係者を取り調べた林谷検事。スーツがはちきれんばかりの”豊満な”肉体の大阪地検特捜部検事は、ペットボトルを片手にヒョコヒョコ軽い足取りで登場。いかにもこういう場は「慣れている」雰囲気

それもそのはず、捜査中の取り調べが問題になって証人出廷するのは、これで3回目という。「宣誓してください」と裁判官に言われて、「は~い」と間延びした返事。リラックスのし過ぎなのか、それとも余裕を演出しようとしているのか……こういう態度の証人はちょっと珍しい

しかも林谷検事の話は、声が小さく、とにかく早口。いくら主尋問の検察官が「ゆっくり」と言っても、改まらない。速記官が、最初は困惑顔、そのうち、うんざりした顔をしている。中身のあるなしはともかく、ぺらぺらとまくし立てて、相手を圧倒しようとするタイプのようだ。

林谷検事もメモを取ったノート2冊は廃棄している、と。理由を聞かれ「私にとって必要ないから」と。大阪地検特捜部では、被疑者が否認しても調書にしない、取り調べの時のメモは廃棄する、というのが慣例なのだろうか

林谷検事に取り調べられた4人は、いずれも公判の証言で調書の内容を否認し、捜査段階で無理な取り調べがあったと証言している。しかし林谷検事は、大声で追及したことはあったと認めながら、威嚇的な取り調べや取り引きなどは一切なかったと、4人の公判証言を否定

村木被告の上司である塩田厚労省部長は、公判で「石井議員との通話記録がある」と林谷検事から言われて、それならば電話をしたことがあるかもしれない、と認めた旨を証言している。しかし、後でそのような通話記録はなかったと知らされ、欺かれたとショックを受けたというのが法廷証言

林谷検事は、そうした塩田証言を一切否定。自分から通話記録についての話を持ちかけたことはないと述べた。そのうえで、塩田部長を2度目に取り調べた時に、「すみません。実は昨日は隠していました」と石井議員とはこの件で2回話をしていることを供述した、と証言

本当のことを話そうと思った理由を尋ねると、塩田部長は小泉元首相の秘書だった飯島氏に相談したところ「本当のことを話なさい」と言われたからと述べた、と。自分自身の逮捕をおそれた塩田氏が、かねてから知り合いの飯島氏に相談をしたが、当たり前の返答しか返ってこなかった。

林谷証言によれば、飯島氏は、以前厚生省次官だったO氏が逮捕された時のことを引き合いにして、「あの事件のことはよく覚えているだろ」「嘘をついてもばれるから正直に話した方がいい」と、至極まっとうなことを勧めたとのこと。林谷検事は、そのいきさつを調書化しようとしたが

塩田元部長が飯島氏の名前を出すのを嫌がり、その部分は調書にしなかった、と。それにしても、なぜ検察側はここで飯島氏の名前をわざわざ出したのか?一部で、飯島氏がこの事件の黒幕であるかのような陰謀論が出回っていることを意識してのことか、それともマスコミがこの名前に

飛びついて、検察官の取り調べの問題よりも、飯島氏に関心が移ることを期待してのことか?あるいは、特別な意図はなく、事実経過を単に述べただけなのか?その意図はいまいちよく分からない

弁護側の反対尋問で、捜査情報がマスコミに伝わっていたことについて質問が及ぶと、検察側が相次いで異議申し立て。「誤導だ」「関連性がない」と検察側は主張した。リークが問題になることをおそれてなのか、検察側の過敏な反応が印象的

凜の会の河野被告の弁護人が林谷検事の取り調べは問題だと大阪地検に抗議。林谷検事は、特捜部副部長から注意を受けた。その辺の事情を聞かれ、「大きな声で追及はしたかもしれない」と。ただし、「大きな声で何を言ったか」と問われても「覚えていません」と

林谷検事は、任官10年にして大阪地検特捜部は7カ所目の任地であることも明らかになった。あまりに優秀なので、あちこち引っ張りだこになったのか、それとも……その辺は次回の弁護側尋問で明らかにされるかもしれない。

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「裁判傍聴記 by ゆきこ」

少し肌寒い朝、前回と同じのぞみ号に乗って、村木厚子さんの裁判の傍聴に。今日は家族席にお嬢さんがいて、村木さん、なんだか嬉しそう。こちらも嬉しい気持ち。
今日は取り調べ検事の証人尋問。公判で供述調書を次々に否定されている検事が、果たして正直に取り調べの模様を言うのだろうか。

まずは倉沢邦夫被告を取り調べた坂口英雄副検事が証人席へ。昭和53年に検察事務官に任官、平成11年に副検事となり、昨年4月から堺支部所属、今回は応援で駆り出されて取り調べに加わった。

取り調べメモのノートは2冊、倉沢被告のプライバシー、主任検事の指示事項、雑談の内容などを記載していたが、起訴の済んだ7月4日にノートを引きちぎってシュレッダーにかけ、廃棄してしまったとのこと。弘中弁護士から、石井議員の聴取が行われたのは9月11日、聴取は捜査の一環なので、それまで取り調べメモを破棄するなという指示はなかったのかと鋭く指摘され、自分の判断でやったと答えるが、本当だろうか。
 裁判官からも「何故捨てたのか」 坂口「倉沢の名誉を考えて」
 裁判官「メモは外部の人に見せるのか」 坂口「見せない」(それなら捨てることないだろうに)
 裁判官「開示対象と知っていたのか」
 裁判官「供述の信憑性が問題になっている時に、メモを破棄すればおかしなことになるとわかっていたのか」
と小気味よい質問。やっぱり破棄したのは検察にとって都合が悪かったからですね!

調書の作成が恣意的であることも判明。弘中弁護士は「調書は予め作っておいて、一部手直しするというやり方していたのではないか」「5月1日~19日(計12~13回)、5月25日~6月2日(毎日)、6月15日~21日など長期間の取調べの間、なぜ調書を作成しなかったのか、6月30には1時間24分の取調べで3通の調書があり、作り方は先程言ったようなやり方で・・・」と調書作成の不透明さを厳しく追及。
 裁判官からは「調書を取るか否かの判断は」 坂口「自分の判断又は主任検事に相談して」
 裁判官「倉沢の話の裏づけをとってから、調書にするという理由は」 坂口「関係者、関係する事項と整合しているか確認するため」
 裁判官「整合していなければ調書とらないのか」 坂口「(関係ないこと答える)」(痛い指摘ですね!)
 裁判官「検察が考えて違うと思うものは調書にとらないのか」坂口「認識の違いを倉沢も理解した」(ズバリ聞きますね!)
 裁判官「調書が全てとられていないというのでは、初めにどういう供述があり、どういう経過を経て供述ができてきたのかわからない」

調書を一週間も二週間もまとめてとるなんておかしなこと、検察に都合のいい調書しかとらないと言われてもしかたない。調書作成の実態がこういうことでは、証拠としての価値に大きな疑問符がつく。

裏付け捜査のずさんさ、供述の誘導、矛盾も判明。
倉沢が「係長、室長、課長の順に挨拶した」というのに、厚労省関係者の取調べから「挨拶はふつう上からではないか」と誘導、倉沢の手帳にある面会記録(2月25日13時 石井―バートル木村)の裏づけ調査をしない、倉沢が「公的証明書は、絶対に偽造(自分たちが勝手に作ったものの意味と思われる)ではない、河野からも偽造とは聞いていない」と言っているのは、証明書を直接厚労省からもらったという倉沢の供述と矛盾する。

坂口副検事の証言は、検察官が後から補充して取り繕うなど、必ずしも検察側のシナリオどおりに進まなかった様子だったので、実直そうな坂口副検事は、尋問後組織から厳しく叱責されるのではないか と想像してしまう。

 

14時30分からは、河野克史、塩田幸雄(元部長)、村松義弘(上村勉元係長の前任)、北村定義(元企画課課長補佐)の4人を取り調べた大阪地検特捜部の林谷浩二検事の証人尋問。彼は、経歴のほとんど(9年間)を捜査に関与しているが、今回が何と3回目の証人出廷であることが弁護士から明らかにされる。いずれの時も取り調べ状況についてということであるから、取調べのやり方にかなり問題のある検事だとわかる。尋問に対しては聞き取れないほどの早口でしゃべり、度々注意されるが、わざとやっているように思えた。

破棄された取調べメモについて
聴取時のメモは、取り調べた事項ごとにわけて書いていた、村木さんが否認しているので後日証人ありうべしとは思ったが、関係者のことも書いてあり、残しておくと管理上よろしくない、供述調書と同じだから残しても意味がないから、7月下旬から8月上旬に破棄した という。破棄して当たり前という態度だ。
林谷検事の取調べに対し河野克史の弁護人から申し入れ書が出されるなど、取調べに問題があることが強く疑われるが、断固それを認めない。5月27日~6月6日まで毎日取り調べながら6月6日まで調書を作成せず、調書の取り方も坂口副検事同様におかしい。

塩田元部長の最初の取調べは5月29日11時から19時過ぎまで。
前日に勤務先に捜索に入られていて、緊張して取調室に入り、下を向いて脅えていた、それまでの人(村松義弘、北村定義)とは違っていたとのこと。被疑者としての取調べであることを告げると、
 塩田「僕も逮捕されるのですか」
 林谷「知っているのはわかっている。正直に説明しろ」。
はじめは下を向いて黙っていたが、やがて「自分が石井一から電話を受けて聞いた」と言ったので、びっくりして「どう言われて、どう下ろしたのか」聞いたところ「課長に対応を指示した」と言った。2時過ぎには調書を作成し、その後7時過ぎまで、石井議員との関係、塩田元部長の経歴、前日の勤務先での捜索で金品が出てきたので、それについて聞いたとのこと。(びっくり!)
翌日は午後から取り調べ、「村木さんから報告を受けて石井一に電話したことを隠していたが、正直に話したほうが良いと代議士秘書からアドバイスを受けたので話すことにした」と供述。
6月29日に追加的な調書作成、村木さんに自分が強い言い方で指示したことで自分に責任があると言う。
翌日2通の長いまとまった調書作成の際、石井議員から訴えられる、部下(村木さん)を売ったように思われるのでできれば公判で説明したくない、自分の話以外に客観的な証拠、交信記録のようなものないのか集めてくれと塩田元部長から言われた、自分から交信記録のことは言ってないと林谷検事は証言。また、塩田の別の犯罪、贈収賄につながるようなものと取引していることはないともいう。

証人尋問では偽証は許されないが、本日はほとんど検察側の尋問だったこともあり、林谷証人の言ったことがどこまで本当なのかよくわからなかった。次回は、村木さんを冤罪に落とし入れた大阪地検特捜部に加担して、重要な役割を果たした塩田元部長の真実の姿が明らかになることを期待したい。

検察側は冒頭陳述で、公的証明書偽造事件をリードしたのは塩田元部長というシナリオを作っており、本人の供述調書もそうなっているのだろう。政治家の圧力に屈して安易に証明書を出すことを指示したという塩田元部長こそ検察の描く今回の事件の首謀者ではないか。にもかかわらず、彼は罪に問われず、部下の村木課長に罪をなすりつけた。かかわりを全面否定しているにもかかわらず村木さんは即日逮捕、起訴され、あの汚く暑い大阪拘置所で長期勾留され、嬉々として働いていた職を奪われたのは一体何故なのか、今もって合点がいかない。

塩田氏の捜索で発見されたという金品、政治家との関係、異様におびえる様子などからは、彼の個人的資質の問題が浮かび上がり、検察がもくろんだ厚生労働省の組織的な犯罪などという構図にはみえない。村木厚子さんはもとより、3月10日の公判で堂々と証言した元企画課課長補佐の間隆一郎氏のように、国民のために真摯に公正な行政を実現しようと、情熱と誇りを持って働いている人間が省内に数多くいると思うからである。村木さんが、一日も早く無実が証明されて職場復帰して、国民のために働いてくれることを誰もが願っている。

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