村木厚子さんの裁判を見守り支援する部屋

平成22年3月17日 第13回公判がおこなわれました。

田村一・元社会参加推進室補佐と江波戸一敏・元社会参加推進室長が証人として出廷しました。

第13回公判 傍聴記 平成22年3月17日
by ナミねぇU

「厚子さん、第13回公判傍聴記 by ナミねぇ」

3月17日(水)東京で、例年より早く桜がの開花が見られた、とのニュースが流れる。
朝から暖かい。
コートを着ることなく大阪地裁に向かう。

今日の証人は二人。公的証明書偽造事件があったとされる、平成16年当時、厚労省社会参加推進室補佐であった田村一氏と、室長であった江波戸一敏氏。

午前の証人田村氏は、倉沢被告に会ったこと、室長と一緒に厚子さんの席に倉沢を案内したこと、倉沢を交えて凛の会について話しあったこと、企画課長(厚子さん)から「大変な案件だけど(石井議員からの依頼なので)よろしく」と言われたこと、などなどなど・・・全てを「全く、覚えていないことだった」と言い、調書に書かれていることは、「(単独犯であると証言した上村元係長の前任者である)村松係長が、貴方がああした、こうしたと証言しているぞ」という検事の誘導的尋問の結果だ、と証言した。

田村氏は、そのような調書にサインした理由を「自分の記憶が欠落していたので、村松さんがそういってるなら、そうだったのだろうと思った」という。
「取調べ検察官に、覚えていないと言ったけれど聞いてもらえなかったし、記憶に無いということは、(逆に)そのような可能性もあるなぁ」と思ったので「可能性はある、と一般論として話した」と、淡々と語る田村氏。
「調書が重大なものとの認識もなかった」ともいう。

「あなたの供述調書が証拠として使われることや、その調書で罪に落ちる人が出るかもしれない、逮捕される人が出るかもしてないとは、考えなかったか?」という検事の(弁護士でなく検事の!)問いかけにも、平静な声で「はい、思い至りませんでした」と答える。

「よく覚えていない、と言うと、よく思い出しなさい! と取調官に言われ、サインした。」と答えつつ、恐怖にかられるような取調べではなかったとも言う。
「いったい、この人はどういう神経してんねん!」と思うほどの「いうなり証人」だ。
取調べ検事がほくそ笑む顔が目に浮かぶ。

それでも一度だけ取調官が「机をたたいて、大声を出した場面があった」という。
「覚えてないはずはない!」「こちらにも考えがある!」と言われたが、田村氏はその時「なぜそういう言い方をされるのか、分からなかった」とここでもまた、平静な声で語る。

田村氏の証言を聴き続けるうちに、なんだか少し背筋がゾッとするような感覚が湧いてくる。
あまりにも平静で、淡々としすぎている・・・もしかしたら、この人は、生まれて初めての「検察での取調べ」体験で、どこか壊れてしまったのかも・・・と。

尋問が検事から弁護士に変わったが、尋問を交代した信岡弁護士も戸惑った声で質問する。
「公判前に、お会いしたいとのお手紙を差し上げたが、(地裁への)到着時間の関係で無理とのことで、お電話を下さいましたね。その時、何分くらい話したか覚えておられますか?」「2-30分だったと思う。」と田村氏。「話の内容は覚えておられる?」「私の記憶に関することだったと思う。」とそっけなく答える田村氏。

そこで初めて、田村氏が「弁護側証人」ではなく「検事側証人」として出廷したのだということが分かった。
そうか「まるで感情というものを失ってしまったような、声と態度」の秘密は、もしかしてこれやったのか・・・と、思い至る。

それでも弁護士が示した「事件当時の企画課と社会参加推進室の見取り図」に関する質問への田村氏の答えで「両室は、窓際までロッカーで仕切られており(倉沢被告の証言のように)窓際の通路を通って、村木課長の席に行くことは不可能」ということが、証明された。

約1時間の昼休みの後も田村氏の尋問が続き、3時から弁護側証人として出廷した、江波戸元室長の尋問に移る。

江波戸氏も、田村氏同様「調書はすべて検察官の誘導で作成された」と語ったが、田村氏と違った点は、取調べにおいて上村元係長の「稟議書や公的証明書の偽造を、知っていたはずだ」と何度も言われたが「知らない」と答え続けたこと。
とはいえ調書に関しては「議員案件などという、私の使っていない言葉が書かれたので、直して欲しいと言ったが、検事は『まぁ、まぁ』と言って応じてくれなかった。」という経緯を辿り、最終的に「(事件が起きたことは事実だが)私は知らなかった」ということが調書に記載された、と語った。

明日から、いよいよ取調べ検事の出廷だが、記者会見での弘中弁護士の話によると「検察官は、平気でシラッと嘘をつく。塩田元部長に電話の交信記録が有ると言って証言を誘導したことや、北村元課長補佐に、倉沢被告があなたの名刺を持っていると言って、二人が会ったことがあると言わせたりしたことなど、すべて『そんなことは言っていない。被疑者の勘違いだ』などと証言するはず。」とのこと。

えっ、ホンマかいな!? と思うが、本当に検事は公判で「平気で嘘をつく人たち」というのが、弘中弁護士の、長年の経験則だそう。

しかし弘中弁護士は「厚労省の証人がすべて証言を覆したので、検察は『省ぐるみの犯行』と言い募るはずだが、今回の公判では検事側証人もすべて証言を覆しているので、出廷する検事たちがどのように対応するのか・・・お手並み拝見だ。」と、自信を見せた。

判決は、最終的に裁判長の判断になる。
横田信之裁判長の、公平で怜悧な目と心に期待しつつ、明日からの公判もしっかり傍聴し続けようと思うナミねぇやけど「平気で嘘をつく人」って怖いなぁ・・・と、ちょっと弱気にもなる私。

改めて、一人でも多くの方が公判の行方を見守り、支援して下さることを切に願っています!!!

<文責:ナミねぇ>

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「第13回公判傍聴記」 by U

3月17日

 仕事の関係で先週は傍聴できず、久しぶりの大阪地裁。冒頭のカメラ撮りの後、弁護側が、弁護士側提出の上村証人の「被疑者ノート」2冊の一覧部分と各日毎の取り調べ状況記載された部分を示し、証拠採用を求めた。又、取り調べ検事の証言者の拡大と証言内容拡大についての異議が表明された。検察側の反論の後、林谷証人の立証趣旨の追加の許可を裁判長が述べ、証人尋問に移った。

 今日は2人の証人が予定されている。まず、田村一(元社会参加推進室長補佐:平成15年4月1日~平成18年3月31日)氏の尋問が検察側より行われた。

*「記憶がない」「覚えがない」を繰り返す。調書への署名は、「村松氏がそういっていると検事から言われ、それを明確に否定する記憶もないので署名した」

 田村氏は、検察の取り調べ回数や場所も含めて曖昧な内容を述べ続けた。「この案件の証明書の発行の決裁ラインは、担当の推進係→二人の課長補佐→室長→企画課の担当係→企画課長で年に数件程度で、発行団体で覚えているのは東京女子医大関係の団体のみ。仕事のウエイトは高くなかった。「凜の会」の申請書類は見たことがない」とのべた。そして、倉沢氏が来たときに村松係長と一緒に村木課長の席に行ったことや倉沢に手続きについて村松係長とともに説明し、障定協に相談に乗ってもらうことを進めたこと、倉沢が石井事務所のものと名乗ったこと村松係長課や上村係長に引き継ぐよう指示したことなど検察調書に書かれているとして、検事から問われたことに、ことごとく「記憶にない」「覚えがない」「私からは、何も申し上げていない。」「村松係長がこう言っていると言われたので、村松が確かと行っているのであれば、その可能性はあると答えた」「村松の行っていることを否定する記憶もないので迷ったが供述調書に署名した」
「村木課長から『ちょっと大変な案件だけどよろしくね』といわれた」と田村の行ったこととして調書に書かれていることについても、「自分から言っていない」「これらの調書は、上村逮捕の件で使われると思った。」「可能性があるという意味合いでの調書の記載であることを最後に書いてほしいと検事に要請したが、書いてもらえなかった。それは何故なのかとか、と問うことや何度も求めることはしなかった」
「最初の調書に可能性があると言うことでの記載に署名したので、その後の調書もその延長線上のこととして業務の経過としては当然かと思った」検事とのやりとりは、「私がよく覚えていないと言い、検事さんがよく思い出しなさいと言うことの繰り返し」その結果として「可能性がないわけではないと話した」

*「村木さんの逮捕にこの供述調書が使われるとは思っていなかった」
記憶している内容と違う調書が書かれていることについて「何故そうなっているのか説明できません」

*「検事からの圧力や怖いと感じたことはなかった。一度、大声を出されて机をたたかれ『こちらにも考えがある』と言われたたことはある。」

<10時過ぎより11時40分頃まで延々と上記のようなやりとりが続いた。いったいこの人は、どういう人なのか、冷静に淡々と不誠実な曖昧な内容を可能性はあり得ると言うことで供述調書に署名する。この神経が理解できなく、責任能力を疑わざるを得ない状況に陥っていたのかと思ったり・・・>

<11時40分頃より昼休みをはさんで、信岡弁護士を中心に弁護側の尋問が行われた。当初は、検察側は、持ち時間1時間だったようで、大幅にオーバーしたのでその後の予定も変化すると言うことだった。>

*当時の社会参加推進室と企画室の配置図と座席配置図が示され、窓側には通路がなかったことが、確認された。

*重ねて、「当時に記憶がないなかであり得ないことではないと思い、村松がそういっているのならそうだろうと思った」「東京女子医大関係の団体の決裁のコピーを見せられ、自分の押印があるのをみて記憶がよみがえった。凜の会の案件は、決裁書類がなかったので記憶はよみがえらなかった。」

*「石井代議士という野党第1党の実力者。塩田部長から降りてきた案件なので、結論ありきであったと思った」結論ありきとは不正なこととの認識かという問いに対して、「可能な限り調整を続ける。その結果を上司に報告すると言うこと。『結論』と言うことに込められたニュアンスは違う」調書にある「『公的証明書を発行せざる得ないと思った』は、私から話をしたとは覚えていない」
「記憶がない、覚えがないが他の方の証言を踏まえていけば可能性はある。検事は自分より事実関係を知っていると思ったので、同意した。行政官としての検察官を信じた」「村松には確認をしていない。検察官が『村松さんのためにもよく思い出してほしい』と言ったので、私は思い出せなかったが、村松さんが虚偽を言っていないことを証言してやれと言われたと思った。村松とは約1年実務をともにし、信頼していた」

*「『凜の会』のことは、断片的にも覚えていることはない。」などなど

<いったいどういう神経をしているのか、私の理解を超える証言が続いた。検事との事前打ち合わせの時期や相手の検事も取り違えるなど、最近のことについても曖昧な内容が多かった。被疑者としての取り調べから逃れたいという思いで誘導尋問に乗ったのかとも思ったが、自分の取り調べ調書が重大な証拠として扱われ、村木さんが起訴され裁判になっているこの時点でも曖昧証言を貫くのは何故なのか???・・>

15時から5分間の休憩の後、二人目の証人、江波戸一敏(元社会参加推進室長)さんに弁護側からまず尋問された。

*「被疑者としての取り調べを受け、自宅を家宅捜索を受けたことは、唐突でもあったので連れ合いもショックを受けた。」「調書は三種類、(1)上村さんの作った稟議書の切り貼りを見せられそれについて述べたもの (2)江波戸はこの事案を知っているはずと言われ、私は知らないと申し上げ、正確ではないがそのような表現が調書に書かれた:『田村さんは、言ったかもしれないが、私は記憶にない』など (3)村木さんなどの人柄を聞かれ、いろいろ話をして断片的な話を積み上げたものだが全体として違和感のある調書になった。そういう調書になるんだなと思った。」「私が使っていない言葉を使っているので、直してほしいと言ったが、『まあまあ』と言って訂正に応じてくれなかった。その言葉は『省益』」「被疑者と言われたが、嫌疑が晴れたということは言われた覚えはない」
「仮定の話はした。大前提として、この件について知らないから出発している。推測は推測に過ぎない。田村を否定はしないが、私には記憶がない。田村が何を言ったかは承知していない」「自立支援法に関する下りの調書は不満である」
<一貫して、調書の具体的内容について「しらない。記憶にない。」と言っている証人に対して、「検察官に嘘を言いましたね」との検事の尋問の場面では、一瞬緊張をした。厚生労働省の君島氏に報告をしたと言うことについて、最初はしていないと取り調べで答えたと言う場面と言うことだった>

*「検事さんに報告したかと問われたときは、君島さんからやりとりのメールを消してほしいと言われたので、消した。だからとっさに君島に迷惑かかってはと思い、報告していないと言ったが、そのメールの打ち出したものを示されたので、報告したと認めた。隠さないといけない内容はなかった」とのこと

<証言が終わって、検察側の取り調べ検事の証人と証言の拡張内容についてのやりとりのあと閉廷した。翌日からの検事の証言は、これまでの調書の内容を否定する証言を覆すためのものなので、本格的なバトルに突入することとなるのだろう。仕事の都合で飛び飛びの傍聴になることが残念。村木さん、弁護団の皆様、一層頑張ってください。>

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