1996年 年頭に思う


昨年の天災と事件の数々から得た教訓をもとに、多くの市民が「おかみ」と「市民」 の関係を(心の中で)「縦並び」から「横ならび」へ置き変えました。
「既存の政治形態や権力の構造をとっぱらったところから、何かが生まれるような気 がする」という人が、私の周りでずいぶん増えています。
信頼できる人が立候補していない選挙で1票を投じるより、自分が起こす行動で社会 を変えよう、という会話をあちこちで耳にしました。
日本人には希薄だ、といわれた「自治の精神」が、震災やテロや銀行の倒産や官官接 待によって高まるのは、皮肉ではあるけれど当然のことです。
そうした時代の中核に位置する「団塊の世代」の私たちが、責任ある行動を基に社会 変革の担い手にならなければいけない、とも思います。


昨年はボランティア元年とかNPO元年とか言われました。
今年はそれが言葉だけでなく、どれだけの内容を伴うものかを問われるでしょう。ボ ランティア団体でありNPOであるプロップにとって、また多くのNPOにとっても 正念場といえる1年が始まったわけです。

ところで、このように日本社会が劇的な変化を遂げようとしている時代に拍車をかけ るのが、コンピュータネットワークであり、マルチメディアだというのは、たぶん間 違いないことのように思います。

たとえば、challenged(障害を持つ人)の自立と社会参加、とりわけ就労の促進を目 指すNPOプロップは、「コンピュータの活用」を活動の柱においていますが、コン ピュータネットワークは(日常的に使っている人は充分ご存じのように)既存の価値 観を打ち砕く摩訶不思議な力を持っています。

プロップにとっては、コンピュータネットワークによって時間と距離を超えた情報交 換が可能になったことから、「通勤する」という「就労の概念」が変化し、「通勤出 来ない」と言われていた層の人達に就労のチャンスを生み出すきっかけになりました。 また、ネットワークの中の「肩書き」に縛られない意見交換は、「誰が意見を言った か」でなく「どんな意見を言ったか」が評価される世界を、いとも簡単に生み出しま した。
勿論、多くの体験者に指摘されているように、コンピュータネットワークは決してバ ラ色の世界ではないし、新たな困難や課題を私たちに突きつけているのも事実ですが、 プロップでコンピュータを学び、自立のツールにしようとするchallenged達にとって は、新しい世界を拓く鍵を手に入れた、といっても過言ではありません。
そしてこの鍵は、結婚を機に、あるいは出産を機に、あるいは定年を機に職場をリタ イアせざるは得なかった人達にとっても役立つに違いない、という予感がしています。

プロップのキャッチフレーズである「challenged(障害を持つ人)を納税者にできる 日本」という言葉は、「働き、収入を得、納税する」という一般の市民が普通に行っ ていることを、challengedも「普通に」行える環境整備をしよう、あるいは社会シス テムを作ろうということですが、団塊の世代の一員である私がこうした活動に取り組 んでいるのも、実は自分に間もなく訪れる「おしくらまんじゅう状態の高齢化の時代」 を自分達が中心になって解決しなくてはならないという意識からでもあります。

重い障害を持つ娘を得たという体験は、自分が障害を持つ状況に置かれた時のことを 考えずにいられない私を生み出したわけです。
コンピュータを活用することで市民にとっての新しい生きがいを生み出す、あるいは 新しい納税者層を生み出すというのは、私自身にとっても必要な行動です。
そしてNPOの強みは、多種多様な人たちが、こうして自分にとって必要なシステム を造り出そうとする想いが中心にあるから、といえるでしょう。

コンピュータネットワークのもう一つの可能性は、緊急時に人間を護るシステムが生 み出せる、ということです。
すでに普及している電話やマスメディアに続く第三の道が、ここにあります。
でも、緊急時に役立つためにはコンピュータネットワークが「日常的に」使われてい ることが重要です。
しかも、どんなにバリアの重い人にも使えるものでなくてはなりません。
どんなに便利な道具でも「その人に優しく」なければ、それは絵に描いた餅と同じです。 1996年は、市民一人一人が「自分に優しい社会」「自分に優しいハイテク」を主 張してはどうでしょう。
わがままは、個性と多様性の生みの親です。
そして前述したように、NPO活動というのは、まさにその多様性を求める想いから生 まれたものですから、激動の1995年に続く今年こそ、「市民の自治による日本」を 生み出すチャンスかもしれない、と思う私です。


(この文章は、1996年1月20日毎日新聞に掲載されました)