作者の近況(2005年8月4日)
「逗子の海岸開眼事件」

どうして私が強くなれないのか・・
その謎が解けたある暑い夏の日でした。
「ねえ、ねえ、Yさん、私は
新入りのYちゃんにだったら勝てるでしょ?」
と私は久々の新入りを指さして
アメリカで留学中に黒人相手に
ボクシングの修行をしたという、
Yさんに聞いた。
「いや、勝てないでしょう。無理っす。
SさんはYちゃんにだって負けますよ。」
こともなげにYさんは答えた。
「えー!なんでー!」


Yさん

それからしばらくたって、
ボクシングのジムの逗子海岸での
バーベキュー大会に参加した私は
またまた無心でお肉をパクつくNさん
に同様の質問をぶつけてみた。
「どうして私はうまくならないの?」
Nさんはミリオンダラーベイビーを越える、
ファイトボクサーである。
少なくともお年だけは遙かに彼女を越えている。
「あなたにかけているのはね、闘争心よ。
闘争心っていうのはね、つまり、
殺すぞ!ってことよ。」
彼女遠い水平線を見つめたまま
お肉をほおばり続けた。
ガーン!
私にかけているのは「闘争心」だったのかあ!
こ・ろ・す・ぞ!かあ・・。
確かに・・。

これが私にとっての
「逗子の海岸開眼事件」である。
うーん・・私はそれからしばらく
「殺すぞ!」について考えた。
確かに私には「殺すぞ!」の気持ちはない・・
っていうかあ、こんな平和ボケの日本において
「殺すぞ!」はありえない。
「殺すぞ!」って思って生きている人は
「殺すぞ!」の相手に
「殺される」についてもやむなしと
思う人のことである。
逆に言えば殺されてもいい、と命をはる人のみ、
「殺すぞ!」なんである。
つまり、サムライである。
それって、超かっこよくない?
(ここんとこ、コギャルっぽく尻上がりの発音で)

Aさん
私は日頃「バカのすすめ」を実践して
生きている人間であり、
「面白い」「楽しい」「気持ちいい」を最優先にして
やるべき事を選択している。
そんな人間なのに、
この「殺すぞ!」の思想が妙にはまったのである。
なぜならそれは
「面白い」「楽しい」「気持ちいい」の
上級進化形だからである。
そして日頃の自分の
ボクシングスタイルについて考えてみた。
平成のこの世にふさわしく、
相手が本気でかかってくることなど"想定外"のことなので、
防御なんかそっちのけで、
自分がいかに気持ちよく打てるかばかりに
重点を置いている。
日頃よく、お手合わせしていただいている
日本チャンピオンのKコが本気だったとしたら、
防衛戦の相手の顎を砕いた破壊力を持つ
彼女のパンチに「殺される」かもしれない。
だから「殺すぞ!」なんである。
「殺される」から「殺すぞ!」
ここのところが私にかけていたー!
そーだったんだあー!
目からうろこー!ポローン!
・・・で、それからの私のジムにおいての
練習態度が180度変わったのは
いうまでもない。
「なんか、いつものSではないみたい。
超気合いはいってるっていうかあー」
とジム仲間が口々に言う。
でも、そんな私にレギュラーの松本くんが
相方の西川くんにささやいた言葉が
聞こえたような気がした。
「か・ら・ま・わ・り、この言葉の意味をな、
よーく考えてみよう、西川くん、な?」

という松本くんの声が・・。

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