リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 本岡 良史雄さん

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千里の道も半歩から
 
本岡さんカット  「富士山の絵は難しい、おまえなんかには無理なんや」
 小学校の図画の時間にいつものように富士山の絵を描いている私に言った先生の言葉。
 「富士山の絵は昔から有名な画家が描くもの。簡単そうに見えても難しいんや」
 確かに先生のおっしゃることはごもっともです。へたくそな富士山の絵ばかり描いている私にあきれ果てた気持ちも分かります。でも、絵心のない私にとって富士山は一応何を書いているのか分かる素材なんです。幼稚園児だって、それより小さい子供が描いたって富士山は一応富士山と分かるでしょ。私にはその程度の絵しか描けなかったんです。他のものを描いても何を書いているのか分からない。私だってもっといろんな絵を描きたいけれど他にまともに描けるものがないからこればかり描いていたんです。そう思いながらも富士山はやめて別のものを描きましたけれど。

 その先生の言葉は私には辛かった。そんなこともあって私はずっと美術の時間は好きになれなかった。もちろん上手な絵が描けないのが最大の原因ですけれどね。絵に対する興味も持てなかったし、持つ気もなかった。私にとって絵というものは生涯縁のないものになるはずだったのです、その道具に出会うまでは。その道具とはパーソナルコンピューター、略してパソコン。しかし、最初パソコンに出会った時は絵なんか書こうと思わなかったのです。思わなかったと言うより絵を描けるなんて思っていなかったのですが。

 とにかく相変わらず絵とは縁のない毎日を数年送っていました。そんなある日、私は交通事故に遭い頸髄損傷と言う事で首から下が麻痺してしまいました。それまで出歩くのが大好きだったのですが外に出ることもままにならなくなり、家に閉じこもるようになりました。そういうことからパソコンを多用する生活になっていったのです。パソコンを使えば外に出なくても他の人とコミュニケーションが取れる、そう思ってパソコン通信をはじめました。そしてインターネットの広がりと共に私もその中に入ってゆくようになりました。

 ある時、グラフィックのソフトを使うと写真が絵のように変わることを知り、試しているうちにはまってしまいました。自分ではとてもじゃないが絵は描けないけれど、パソコンを使えば絵のようなものが作れるんだとおもしろくなってきました。自分で描いているわけじゃないから絵とは言い切れなかったんで「ようなもの」と言っていました。写真を合成したりして下絵を作り、それを絵のように仕上げる、そういったことをやっているうちに私もだんだん絵に興味を持ち始めました。その時はまだお遊びの範囲で本格的に勉強してみよう仕事にしてみようとは考えていませんでしたが。  それからまた月日が流れました。ある日新聞でプロップステーションの記事を見つけました。パソコンを使って仕事がしたいと考えていたときでした。さっそくセミナーを見学に行き、そのままグラフィックのセミナーを受けることにしました。しかしまだその時点で自分自身グラフィックに関することが出来るという自信もなかったのですが勢いでという感じでした。

 初級のセミナーを終え、中級のセミナーを受けてはどうかと薦められた時点でもまだ本当にやっていけるのかわからない状態でした。でも、ここまで来てこのまま終わりたくない、このまま終わったらこれまでのことが無駄になると言う気持ちから進んで行くことに決めました。中級が終わり、バーチャル工房の隅っこに入れてもらい、プロップで手伝いながら自分で絵を描いたりしていますが、そんな今でもまだ本当にやっていけるのかという不安を抱いたままです。何しろもともと絵心があったといえず、美術は好きじゃないと言うことで何十年生きてきたあとでのグラフィックの世界ですからねぇ。

 今はさらに勉強しながらそれなりに絵も描いたり、アニメーションを作ったりしています。自分ではなかなかの出来映えのものが出来たなぁと思うこともありますが、他の人の作品と見比べるとやはりまだまだだなぁと自信喪失。そんなことを繰り返しながらやっとります。

 はたしてこれから先上手な絵が描けるようになるのでしょうか、良い仕事ができるのでしょうか。おそらく技術的にはそんなに伸びないのではないかなぁと消極的な気持にとらわれてしまいます。でも、下手は下手なりに見てもらった人の心に何かが残る作品が作れたらという思いで、たとえ僅かずつでも歩んでゆけたらと思っています。  「千里の道も半歩から」これは入院中の病院である人が言っていた言葉です。歩みを止めればそこで終わってしまいますが、一歩ずつでも、一歩も歩けなくてたとえ半歩ずつでも歩んでいたらそのうちどこかに辿り着けるでしょうね。

 
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