リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 後田 たけじろうさん

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「あの夏の想い出…」
 
後田さんカット 夏休み---。子どもと一緒に近くの公園でセミ採りをしている時のことでした。
 我が子に虫カゴと長い虫採り網を持たせるとその姿が、セピア色した遠い過去の自分の姿とオーバーラップして見えます。。。
 いつも生傷が絶えなかったわんぱく少年は虫採りが大好きでした。
 毎年夏休みには多くの昆虫たちと出会い別れがありました。大人になった今でも大好きな夏休みの、大切な想い出です。セミ・トンボ・バッタ・クワガタムシ・カブトムシ!!
 20世紀最後の夏休みには、自分の子どもの姿に少年時代の自分の面影を思い出したと同時に、その少年時代の私の姿を見守ってくれていた父親の目から見た世界が、今、まるで自分の目に映っているような気がしました。
 20数年前の同じ場面で、私に虫採りを教えてくれた父もまた私の気持ちと同じように自分の少年時代を懐かしく思っていたのかもしれない…、きっと同じような温かい気持ちで私を見守っていてくれていたのかもしれない…と思いが駆け巡りました。
 実は父は数カ月前に持病が悪化し60歳という歳で生涯に幕を閉じてしまい、その答えを聞けなくなったし、想い出をアリガトウと言ったとしても、その言葉は届きません。
 きっと同じ気持ちで遊んでくれていたとすれば…時代は繰り返すものなのかな…と、ふと思いました。。。
 こんなふうに純粋な瞳でムシたちを追いかける子どもを見ていると、もう一度わんぱく少年の頃に戻りたくてたまらなくなり、涙が溢れそうになりました。
 それを見守っていた父が見ていた世界も気持ちも、今の子どもの目に映る世界も気持ちも、それぞれの人生の中に存在し、そして私の手の触れられない世界であるという哀しみにも似た愛しい気持ちで胸が切なくて、そしてどこか懐かしい気がするのです。
 言葉で表現するのは難しいけどこの気持ちは誰もがいつか感じる気持ちなのでしょう。
 子どもたちの目にも少年時代の私が見ていたもの感じたものと同じようなものが見えている筈だから、子どもの胸に残るいい想い出を、こんな風に親が作ってあげることも親としての役目なのかなと思うのです。沢山ではなくてもいいから、難しく考えなくてもいいから、自分が子どもの頃に感動したもの、心に残るものを同じように伝えてあげるだけで、その子の想い出の1ページを作ってあげられると思うのです。
 ようするに私の親がしてくれていたことと同じ事をしている自分に気が付き、それを親としての役目なのだと気が付くことが、私たちと同世代の親には皆言えることだと思うのです。

 セピア色に見えたものは、紛れもなく今子どもの目にリアルカラーで焼き付き、私のこの思いは20数年後、この小さい胸の中から再び蘇るのでしょう。そしてその瞬間こそ、大切な想い出であるのだと心から気が付くのでしょう。私はそんな想いを込めてこの詩を書きました。
 過去に置き忘れられている、まだ膝を抱えた少年・少女の姿をあなた自身が解き放つことが出来た時、人はまたひとつ成長するのでしょう。。。

 そして最後に父へひとこと。
 成長するにつれ忙しくなって、ゆっくり話すことが減ってしまい、小さい頃みたいに一緒に遊ぶこともなくなったけれど、もしも願いが叶うならば?またお揃いの野球帽かぶって一緒にセミ採りでもしたいよね。。。

本文より
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とても暑い夏の日だったね
子どもの頃のキミが河原でころんで足をケガしてしまって
そのとき持ってた虫カゴは、こわれちゃったけど
泣かずに家へ帰ると お父さんが頭を撫でてくれて
何も言わずに次の日の朝、
こわれてしまった
虫カゴを直してくれていたよね…。
大きくなったキミに今、子どもがいるのなら
同じようにしてあげることこそ、きっとかけがえのない
想い出をつくってあげられる瞬間(とき)じゃないのかな…
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