リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 北岡 りつこさんの場合

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「りこのスイス・パリ旅行報告 〜ときめきを感じたパリ〜
 
これがあの有名なノートルダム寺院で〜す 5日目、いよいよ、パリへ。ジュネーブ駅から時速300キロを出すというTGV特急に乗った。氷河特急にしても、このTGVにしても1等車だったので座席がゆったりしていて楽だった。それに日本の電車みたいには揺れないし静かだった。リヨン駅まで2時間半。車窓を眺めていると、黄色が目に飛び込んできた。よく見るとひまわりが咲いていた。一面、見渡すかぎりひまわり畑が広がって見事だった。この風景は、日本ではあまり見られない。海外では、こういうスケールの大きさを目にできるから気分がゆったりとして、わたしは好きだ。昼食は車内で和食弁当。何日ぶりかで日本食にありつけた。やはり食事だけは、日本だと思う。
 リヨン駅に着き、トイレに行ったら有料だった。以前からわたしは弟から「海外はお金がいるところがある」と聞いていたが、今まで3回の旅行では経験していない。
入り口に人がいてお金を払って入る。有料だからキレイなのかと思ったら、あまりキレイではなかった。これも、いい経験になった。
 そのあと、リフトバスでノートルダム寺院へ。荘厳でおごそかな雰囲気が漂い、心が洗われるようだった。ガイドさんの話に耳を傾けながら「ここで結婚式を挙げたらロマンチックでいいだろうなぁ」と自分の世界に入っていた。私は、すぐ自分の世界に入って、いろんなふうに想像をめぐらしてしまう。凱旋門、エッフェル塔、ルーブル美術館、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、セーヌ川など、テレビでしか見たことがないところを現実に自分の目で見ている。この感動は、どう表現すればいいのかわからない。
 またスイスとはがらっと違って、はなやかさの中に歴史と文化をかもしだし、まさに「世界のパリ」という雰囲気を漂わせていた。しかし、どこへ行っても観光客の多さには驚いた。この時期、パリに住んでいる人達はバカンスであちこちに行っているらしい。 ホテルについたら、エアメールが届いていた。それは、弟夫婦からだった。思いがけないことだったのでビックリしたし、ちょっと疲れていた頃で励みにもなり、嬉しかった。
 夜、近くのコンビニへお酒を買いに行った。本場のワインを安く手に入れ、部屋でYさんと飲みながら話をはずませた。こうして毎晩のようにお互いのこと、旅行のこと、恋愛観、男性観etc ・・・いろんな話をして、もうこの頃には友達以上の間になっていた。
 
 7日目、観光に行く前、初めてホテルから国際電話を家に。わたしが話していると長くなるため、Yさんに頼んだ。
 ベルサイユ宮殿へ。広大な敷地に唖然とした。石畳が敷きつめられ、中に入ればもうそこはルイ16世とマリーアントワネットの時代にタイムスリップしていた。壁や天井の美しい絵にため息が出た。誰がどうやってこんな所にまで描いたのだろうという素朴な疑問が頭をよぎりながら眺めていた。二次障害で首の痛みが出てきたわたしにとって、ここの見学は少々キツかった。しかし、「もう二度と来れないかもしれないからしっかり目に焼きつけておきたい」という思いの方が勝っていた。
 凱旋門も、そばで実際に見るとものすごく大きかった。
 アメリカのシンボルといえば自由の女神像だが、元々はフランスからの贈り物。ニューヨークの像は何十メートルという大きさだが、そのお返しとしてパリに送られた像は7分の1という小ささで、それに、もっと目立つ所にあるのかと思っていたが、ひっそりとした公園に立てられていたのは意外だった。
 大都会パリと言っても、日本の東京などに比べて公園や緑が多い。あちこちの公園ではのんびりと日光浴をしている人、街を歩いていても日陰より日なたを歩く人達の方が多い。ヨーロッパは日照時間が少ないためらしい。わたしには太陽を大切にしているように見えた。・・・紫外線がどうのこうの、最近では小さな子供にまで日やけ止めクリームを塗って外で遊ばせる日本人が何かこっけいに思えた。
 
 8日目、ルーブル美術館へ。世界一とほこるだけあって、敷地7万坪。展示数、約3000 点。丁寧に全部を見ようとすると何年もかかるらしい。わたしは絵のことはよくわからないが、あの『モナリザ』を見たときはモナリザが飛び出してきそうな感じがした。優しい微笑みで「よく来たわねぇ。思う存分、わたしを見ていってね」と言っているようだった。『ミロのヴィーナス』も見る予定だったが、あまりにも広いのでガイドさんもどこにあるのかわからず、見ることができなかった。
 パリ最後の夜、夕食は、セーヌ川のディナークルーズで楽しんだ。男性はネクタイ・ジャケット着用、女性ももちろん正装して行くことになっていた。わたしもこの日のために白のスーツを持って行った。Yさんと、一緒にツアーに参加していた女性の方、二人に化粧までしてもらった。船に乗り込み、セーヌ川を遊覧しながらフランス料理や美しい夜景を楽しんで、パリ最後の夜は更けていった。
 
 9日目、ホテルの近くで朝市が出ていた。わたしは花を買った。・・日本で買うよりずっと安かった。ホテルに戻り、荷物をまとめた。あらためて、わたしはYさんにお礼を言った。・・と同時に涙がボロボロこぼれてきた。Yさんの目からも涙。抱き合って泣いた。このとき、二人の間に言葉はなかった。わたしは人前で泣いたことがなかったが、この時ばかりはどうすることもできなかった。いつの間にか、わたしたちはお互いを「ちゃん」づけで呼ぶようになっていた。もし、母が一緒だったらこんな関係にはなれなかったと思う。
 フランスでの3日間のリフトバスの運転手ミッシェルに花をプレゼントした。ミッシェルは喜んでくれて「メルシー」と言って、わたしの頬にキスしてくれた。ミッシェルは優しかった。バスが駐車できる所だと必ず、自分も降りてきてさりげなくわたしの車いすを押してくれたり、一緒にお茶を飲んだ時もYさんが席をはずしても、何も言わなくてもわたしに飲ませてくれたりもした。
 フランス語しかわからないらしいので寡黙な感じだったが、バスに乗る時はニッコリしてウインクする。それに見た目もかっこ良く、ジーンズがすごく似合っている人だった。「日本の女性は、外国へ行って男性に優しくされて、だまされる」ということをよく聞くが、わかるような気がした。わたしもYさんも、彼にすっかりひかれてしまっていた。 シャンゼリゼ通りを散歩した。有名なブランド店が軒を連ねていた。わたしはブランド品には興味がなかったし、とても手が出るような物はひとつもなかったが、目の保養にはなった。
 わたしはM添乗員さんに行く前にひとつのお願いをしていた。それは、このシャンゼリゼ通りのオープンカフェでお茶することだった。Yさんは「わたしも買いたい物があるから、お二人でごゆっくり」と言い残し、どこかへ消えてしまった。ほろ苦いコーヒーを飲みながら、「あーあ、もうあと何時間で帰るのか・・・帰りたくないなぁ」「りっちゃん、気持ちはわかるけど、帰る所があるから旅というのはまた行きたくなるんだよ」「そういうもんかなぁ」「そういうもんだよ」楽しいひとときだった。
 そのあと、ショッピングセンターへ。ここは、Yさんとわたしの独断場のようだった。女性のファッション店が多く、しかもバーゲンしていてお値打ち商品ばかりだった。こんな所へくると女性としては「買い物の虫」がムズムズしてくる。わたしもスカートと、Yさんとおそろいのスーツを買ってしまった。両手に大きな袋を下げてバスに乗り込んだのはわたしたち二人だけだった。
 いよいよ、ドゴール空港へ。最後にバスを降りたわたしに、ミッシェルはみんなと同じ握手と、優しく両頬にキスしてくれた。何も言えなかったが、たぶん彼にはわたしの気持ちは伝わっていたと思う。ウルウルしたが、一粒涙をこぼせば無茶苦茶になりそうだったで必死に笑って別れた。
 飛行機の窓からパリの街の灯りが見えていた。「9日間、思い出をたくさんくれてありがとう・・」とつぶやいていた。
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