リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 貝本 充広さんの場合

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貝本さんカット「GATSUNNN!! 顛末記ー後編」

 僕の脳裏をよぎった小ずるい発想は、後で思い直すと何とも子供じみた見栄っぽい物で「ブランド品のバーゲンじゃないんやから、あんまり早く完成しすぎても手抜きしてると思われたら損やなぁ。ちょっと値打ちコイてもう一週間かかったことにしよかな」と。 しかし結局はそのまま普通に提出した。そうしてそれは正解だった。最終的な仕上げ までには相当な時間がかかり、急いで出してもスケジュールギリギリだった。
 その後ムービーデータは音付けとクオリティーアップのために僕の手を放れ、次の段階の作業へと送られていった。後で聞いたのだが、ムービーは僕の所にあった時点で500MB、それを音付けしてきれいにして4倍以上のサイズで書き出すのだからそりゃ時間もかかるはずである。最終的には1.5MBという大作になって作業工程を経るときのデータの受け渡しにはハードディスクごとという荒技が使われていたらしいのだ。この段階で僕の仕事はほとんど終わっていた。他にゲーム用のキャラクターを依頼通りに作るなんてこともしたが結局これは時間的な制限もあり、日の目を見ることはなかった、つまりボツ。後は共同作業の他に個人的な作品を展示するコーナー も設けられることになっていたので、僕はそれに向けて新作を描き上げることにした。 ちょうどシンポジウムの時にいとこの結婚式があると言うことで、僕に出来る精一杯のお祝いと言うことで心を込めたイラストプレゼントすることにして新作と共に完成させた。 それから展示ブースでプリクラをすることになっていたので、その背景画像の手直しをする作業をした。これは思いのほか楽しかったので今度する機会があれば是非初め から作ってみたいと思った。
 そうこうしているうちにいよいよシンポジウムの日が近づいてきたのだが僕には無視 できぬ更に大きな試練が待ち受けていた。そのことが知らされたのはムービーが仕上がりに近づいた頃で良からぬ値打ちコキを画策していた頃のように記憶している。当初いとこの結婚式があるのでシンポジウム二日目は参加しないつもりだった。その事を確認されたときに「貝本君、シンポジストになってるで」と言われた。広報用のホームページを見るとなるほど書いてある。本人も知らないうちにとは、なかなかPropStaion恐るべし。絵を描くのももちろん大事なのだが本人の露出も無視できないと考えていた僕は鼻息を電話で悟られぬように荒げ、当然これを引き受けた。代表のナミねぇは今回のことで忙しく飛び回っておられたので僕の出演する部分の打ち合わせも十 分には行われなかった。一人緊張し議題に沿った自分の意見を切々とノートにまとめて、キーワードの整理を終えて、掲示板に挙げられたみんなの「明日は頑張ろう」の書き込みを読み、深く息をついた。
 そしてシンポジウムは一日目を迎えた。機材や裏方を担当する人たちは朝からセッテ ィングに追われ、グラフィックやムービーをお客さんに美しく観て戴くための仕掛けがいかに大変なものか痛感するとともに、僕たちの作品をこんなすごい機材で観て戴 けることに感謝した。慌ただしく一日目は終わりを迎え、その晩のパーティーへと舞台は移った。夏のイベントの時もそうだっただが今回またも思い知らされた。幾師匠 をはじめPropStationに関わって仕事をするチャレンジドの中でも有名な人の所には来客の方々も集まり名刺交換なども頻繁に行われる。そこで僕はと言うとせっかく作った名刺も悲しく、視線が僕の前を素通りしていくのを感じていた。やりきれない思いが反骨精神に着火した。それでも何枚かの名刺を交換することになり、名刺にだけは寂しい思いをさせずに運命の二日目を迎えることになった。
 二日目は午前中にバーチャル工房のメンバー紹介があった。それだけで早くも緊張し てしまった。そして昼ご飯もそこそこにいよいよ僕の出番が来た。初めてピンマイクという物もつけた。ネタを書き記したノートもしっかり膝の上に置いた。ほっぺたも2,3回叩いた、深呼吸もした。準備はオッケー。TVカメラとスチルカメラの砲列の中メインゲストの労働省の方と羽曳野市市長の紹介が終わりお僕たちの順番になり竹中さんから「緊張してない?」とのフリがあったが「全然!」の一言が口をついてでた。しかし実のところ昼に食べた焼き魚の身が前歯に詰まりそれが妙に気になって仕方ないほど緊張していた。しゃべられへんと思っていたが実際あまり話するヒマもなくシンポジウムはあっという間に終わった。だが終わってみると言いたいことがたくさんあったようで不完全燃焼で消化不良気味だった。しかし壇上から退いた後何名かの人に挨拶をされて名刺の交換をした。昨夜の僕の気持ちも幾分晴れやかになり、雲間からやる気が顔をのぞかせる結果となった。
 表面上は目立った事故もなく(本当は色々・・・)シンポジウム全体も終焉の時を迎えた。最後にみんなで再び舞台に上がりそこで読み上げられた工房メンバーの中村弘子さんのエッセイはなかなか聞き応えがあり、その内容もさることながらプログラムの最後に彼女のエッセーを使う、というチョイスはさすがだった。自分のエッセイが使われるとはその場になるまで知らなかった弘子さんの驚きは(目立たなかったかも知れないが)僕にはとてもおもしろかった。
 今回も前と同じパートでの作業が多く、参加できなかった作り込みの部分があったので次からはそこにも参加できるように頑張って早くサポートしてくださる方々の負担を自分たちの実力に変換出来るようにしないといけないと感じた。慌ただしかった3 ヶ月が過ぎてゆっくりしようと思ったのも束の間、締め切りが急に短くなった仕事が出来て、翌日から早速それに取りかかった。ここのところ目まぐるしい日々が過ぎていて少々疲れ気味だと感じたが、実社会で活躍する僕の友達などは毎日一年中このよ うな暮らしを送っているに違いない。そう考えると同じレベルでの行動には無理があるかも知れないが、後に続く人たちが多く控えているこの世界、ちょっとやそっとで弱音を吐いてられないという思いが胸にこみ上げてきた。(おわり)

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