リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 貝本 充広さんの場合

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貝本さんカット「デザインワールド」
 僕はここの所よく外へ出かけるようになりました。おデート、映画を見たり、飲みに行ったりと。行き帰りの手段に電車を使うワケですが、各路線とも駅員さんは親切で不都合などはなく、安心して利用できるように配慮・お手伝いして下さいます。
 ある日いつものように日が落ち電車に乗り家路につくときに、ボーッと電車のドア越しに見える夜の光景を見ていました。流れる光は色とりどりで無機質でありながら、人々の息づかいを感じさせていました。そこから視点を近距離に絞り直したときにドアに貼られているシールに目が留まりました。「ゆびにご注意」。指のイラストが描いてあるヤツです。電車に一人で乗っているときと言うのはある種エレベーターに乗ったときと同じ状況で、思考が停滞した感じになります。そういうときは突拍子もないことを思いついたりするものです。
「この指のイラストも、誰かが必死に考えて試行錯誤を繰り返した結果出来たのか。」そう思ってチラチラと目をランダムに泳がせてみると、映るモノ全てにその考えがオーバーラップしました。電車にあるモノ全て、僕を取り巻くモノ全てが誰かによってデザインされたのだという当たり前のことに行き当たりました。誰かって誰かは知りませんが、人の目に触れる存在である以上安易に採用されたはずもなく何人もの人の労力が注がれているのだと、シンプルなモノであればあるほどそう思えました。きっとこの「ゆびにご注意」の文句も字体もそうやって、服はもとより車内アナウンスの”しゃべり方”もどこかで誰かがデザインしたモノなのだろうなと思いました。
 そう考えると人間自体が神様のデザインのたまものであり、その人間は自分という個性で内面をデザインしているのです、そこにセンスのあるなしがあるにせよ。そんな十人十色の個性に訴えかけていくデザインが人々の目には映っています。形作られているからにはそれを作った人たちがいます。僕はそんな”どこかの誰か”の一端を担う仕事で生きていこうとしています。改めて考え直すとすごいことです。いつかどこかで僕と同じようなことを思う人や僕のイラストを気に入ってくれる人が出てこないとも限らない、そう考えるとしっかりしなきゃナなんて思いました。
 計らずも世の中は歴史や文化によってデザインされ、それすら大多数もしくは一部の意志によって形作られてきたのだとすれば、その内の何ピースかは今後自分たちの手ではめられていくのでしょう。電車が最寄りの駅に到着するまでのほんの十数分の間にそんなことを考えたりしまし た。それは僕という頭の中の小さな世界で偶発的に思いめぐらされた虚構のようにも思えました。しかし考え過ぎな部分があったとしても、ある意味世界を構成している部分に触れている気もしました。何とも大げさですが、夜・遊んだ帰りに・電車で・一人の時に準急のスピードでないと思いつかないような次元の話なのかも知れません。
 しかしこの事を冬の夜の絵空事として片付けてしまうよりも、むしろそういったことに着眼する感覚や、つまらないことにこだる感性を僕は大事にしていきたいと思いました。
 これから先、自分自身をデザインし世の中に発表していくとしたら、それらこそが重要になってくるのだと思い至ったからです。
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