リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 井上 雅友さんの場合

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井上さんカット「花いろいろ」

 一月十七日。この日は私にとっても一生心に残る日になりました。
 私の家の近くに桜の木があります。今は寒々とした風景ですが、春には、その景色が一変するのです。あの四年前の大震災の混乱の癒えなかった時もそうでした。我が家は崩壊を免れ、半月ぐらい経って寒い朝、家の前に立った時は

是がまあつひの栖か雪五尺   小林一茶

の句が頭を過ぎりましたが、それは贅沢というものでしかない事は回りの状況から一目瞭然でした。(注意:以後の俳句は著作権の関係で、私以外は江戸時代の句とさせて頂きます。)上の桜の木の回りの家々は被害を受け、今は新築になった所もあります。ですが、四年前の春は、その桜の下を歩いていた人達の顔が今も忘れられません。私も含めて心を和らげてくれた様に思いました。どうも今の日本人にとっても「桜」と言う花は特別の何かを感じる花になっているのです。江戸時代にも

さまざまの事思ひ出す桜かな  松尾芭蕉

があります。もう一句、これは地震とは直接関係は無いのてすが、震災を経験した時から忘れ難いものになった句です。

命二つ中に生たる桜哉     松尾芭蕉

 「花」という季語は俳句の世界では、桜を指す事は誰でもご存知であろうと思います。詳しくは知りませんが、古代には「桃の花」や「梅の花」が春の代表的な花だった時期もあったらしいのですが、中世から近世にかけて「春の花」を代表する様になったのです。その顕著な例は、豊臣秀吉の「醍醐の花見」の話です。

  日は花に暮れてさびしやあすならふ
               松尾芭蕉

などを読むと現代と変わらない感覚に驚かされます。
 桜で想い出す俳句が、もう一句あります。それは私の初めての俳句で中学二年生の春の作です。

雨にぬれ桜の花びら道にちる  井上雅友

が師匠から誉められたのが運の尽きでした。特に「道にちる」が良いと言って下さいましたが、その時は何故良いのかは分からなかったのを記憶しています。今になって思えば何の「嘘(脚色)」もない所が先生のお気にかなったのでしょう。今ならもう少しかっこを付けた句になるでしょうし、もしも、私が選者ならば、この俳句を良いとは言えないと思います。その意味からも我が師匠は素晴らしい人であったと感服します。
 ところで、「桜」は現代人にあっても特別な花だと私は言いました。しかし、それは私の思いこみに過ぎないのではと、この頃考えます。言わんとする意味は違うのですが、

さくらより桃にしたしき小家哉 与謝蕪村

という句を思いだします。今、新しく建っている家々を見ると「さくら」や「桃」よりチューリップとかパンジーとかが似合いそうな家ばかりです。これが時代の変化というものなのでしょうか。私が去年作った句にも

我が町
あらたなる家に庭新た鬱金香  井上雅友

とあります。「鬱金香」(うこんこう)はチューリップの別名です。
 平成十一年の今でもまだ家は建ちつつあり、新たな道も出来つつあります。それは素晴らしいバイタリティです。それから、上記の桜の花は今年も咲く筈です。巨木は何にもなかった様に毎年、毎年。

     今回のカットは「チューリップ」に致しました。余り陰気にしたくない為です。

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