リレーエッセイ 「チャレンジドの夢」

 吉田 幾俊さんの場合

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吉田さんの写真  「自己紹介」

 今、この原稿を人差し指一本で打っている後ろでは、インターネットで捜してきた、お気に入りポップスのMIDI(コンピューター演奏の共通規格)音楽が鳴っています。(ここまでに曲は三往復)実に便利で楽しい時代になったもんです。(音源も今はソフト音源という手軽さ!)
 はい、皆さん、はじめまして、バーチャル工房の賑やかし屋(よしだ いくとし)です。夢はマルチメディア・アーチストです。まぁ、希望は大きく。さらに欲張って笑いも取れるクリエーター、必笑・仕事人?という小粋な職種も開拓したいですな。それにしても、プロップ・ステーションのセミナーに通い、(というても幾星霜、風雪雨にも負けず、車椅子をガイドヘルパーさんにお世話になり押してもらい、JRから地下鉄を乗り継ぎ講習会場へ、早速、パンorおにぎりで早めの夕食をすませ(講師ボランティアの先生は仕事を終えて駆けつけられるため、夕食抜き?)少し満腹で眠たくなったところで、ナミねぇ様の始業ベルがわりの大きな第一声で目覚める、毎回これ納得と感心の受講期間)パソコンの「いろは」、プロ御用達グラフィックソフトの「ABC」を学び、(アルファベットはZまであり・・・)ぼちぼちですが、現在、みなさんのお力添えで、好きな絵で仕事をこなせるまでになり、それ自体、本当に夢のようだと喜んでおります。子供時代、鉄腕アトムで描かれていた巨大な魔王みたいな電算機械が、いま、身近な強い味方になっているのですから、このこともまた、夢のような驚きです。(長生きは、するもんじゃわいと前厄のオヤジは涙ぐむ)
 けれど、パソコン画に、たどり着くまで時間がかかりました。養護学校高等部卒業の頃、ワープロが世に出て一台数百万円もしており、福祉機器としては電動かなタイプライターが支給されて使ったのがキーボードとの最初の出逢いでした。カナとABCが打てるだけでも感動もので、当時、タイプアートという、これを使って編み物の柄をつくるように絵を描くことが手の不自由な障害者の表現手段として話題になっていたので、私もトライしたものの、打ち間違いの修正は出来ず根気のいる作業で、一点の作品も残せぬまま、リタイアしました。数年後、20文字列3行程度のモノクロ液晶つきワープロが出始め、今度は縦24・横24外字登録機能でドット絵師となり「エッシャー」もどきのパターンを作ったり、時計の文字盤デザインに応募したりしていました。油絵や水彩画を学びながらも、脳性マヒのために震える手先では、デッサン以前の基本的なところでいつも限界を感じ、ナイーブな性格?を反映させられる精緻な絵を描きたい、何かを使えば思い通りに・・・と模索するばかり。次に買い替えたワープロの画面はモノクロながら大型となり、マウスをつなぎ、スキャナーも準備し、いよいよ、絵が描けるぞと意気込みましたが、ひどい残像で動く矢印に眼が疲れてきて、使いものになりませんでした。
 私にとってパソコンは「ナンバー・ディスプレイ」ならぬ、やっと、見つけた「マインド・ディスプレイ装置」なのです。秒進分歩のこの世界ですので、日々の勉強も忘れず、自分の世界、想いを伝えられるように作品とネタ帳の充実に努めなければと思っております。そんな、日々の夢想をこれから、機会あるごとに書き散らかすつもりです。どうか、電脳市民のみなさん、よろしゅう、お頼み申し上げます。

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