タイトル・バー:CJFロゴ&「第11回チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)2006国際会議 in TOKYO / The 11th Challenged Japan Forum 2006 International Symposium in Tokyo」


【第11回チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)2006 国際会議 in TOKYO 議事録】


<各国のチャレンジド・ゲストからのメッセージ>

記念講演 「チャレンジドのユニバーサル社会」
(米国 弁護士:ジョン・ケンプさん)


コメンテーター 浜四津敏子 (参議院議員/与党ユニバーサルPT副座長)
  坂本由紀子 (参議院議員/与党ユニバーサルPT委員)



竹中/
 午後の部、最初のセッションは、各国のチャレンジドの皆さん自身からのメッセージ、元気、勇気、あるいは誇りを持って帰っていただけるお話です。コメンテーターとして、与党ユニバーサル社会形成促進プロジェクトチームから浜四津敏子さんと坂本由紀子さんにご参加いただきます。ご一緒にチャレンジドの話を聞いて、ご意見、お考え、質問など出していただきます。

では、記念講演をしていただくジョン・D・ケンプさんをお迎えします。(拍手) ジョンさん、どうぞよろしくお願いします。

ケンプ/ 皆さん、こんにちは。妻に、私がどこにいたかをきちんと示すために写真を撮りたい思います。(笑) チーズ! ありがとうございます。

写真:持参したカメラで「チーズ!」と客席の笑いを誘うジョン・ケンプさんこのように皆さんの前でお話できますことを、たいへん光栄に思います。2006年チャレンジド・ジャパン・フォーラムに来られて嬉しく思います。2003年にも参加させていただきました。素晴らしい友人の方々にお会いしました。その後、友情を深めて参りました。ナミさんとの友情は深まる一方で、私は心から彼女を敬愛しています。

ビリー・イチダさんやお母様など、ご家族にも温かいおもてなしをいただいたことに感謝します。そして今回再び東京にご招待いただいたことに、感謝いたします。

友人である坂本さんは、3年前に東京でお会いしまして、その後、ナミさんと一緒にワシントンDCまで来られました。再びお会いできて嬉しく思います。また、お集まりのゲストの皆様、スウェーデンのレーナ・マリアさんとタイのスポンタムさんに新たに知り合うことができて嬉しく思います。

今日の午前中、猪口大臣が国連の障害者権利条約についてのお話をされました。これは世界的に障害者が発言権を得ていく上で、これまでで最も大きな努力の一つです。私は、今年8月に国連がこの条約に関する委員会の勧告を採択し、今後3〜5年をかけて世界各国の政府がこれを批准することを期待しています。

午前中のお話の中で最も力強く思ったのは、猪口大臣が「日本政府はすでにこの権利宣言を支持している」とおっしゃったことです。これは、たいへん賞賛に値することです。

二人の少女の話をします。二人が海岸を歩いていると、何百というヒトデが岸に打ち上げられているのを見つけました。一人の少女がヒトデを拾って海に戻してやり始めると、もう一人がこう言いました。

「なぜそんなことしているの? そんなことをして何になるというの?」。

ヒトデを拾い上げた女の子は、こう言いました。

「このヒトデにとっては意味があるのよ」。

これが、私たちの障害者に対する配慮や敬意の示し方です。そうした行為が、毎日それぞれに生活をしている障害者の「クオリティ・オブ・ライフ」(生活の質)にとって意味を持つことになるわけです。

写真:記念講演をする弁護士のジョン・ケンプさんアメリカの障害者の人口は、どれくらいでしょうか。「障害を持つアメリカ人法」(ADA)が定義する障害者の数は、アメリカの人口のおよそ20%です。3億人近い人口の5人に1人、つまり約6000万人です。

さらに、世界人口の半分が、何らかの形で障害によって影響を受けています。障害のある本人だけでなく、家族、あるいは友人に障害者がいるという人たちがいます。つまり、障害者の問題は、どこか別のところの人の問題ではなく、私たち自身の日常的な問題なのです。

障害者の人口は急速に増えています。一般の人口の増加率よりも、ずっと速い率で増加しています。よく人々が忘れがちな統計があります。アメリカ人は、平均して生涯のうちの13年間を、障害を持って生きるという統計が出ています。つまり、アメリカの一般の人はかなりの期間、障害をもって生活することになります。ですから、アメリカでは、障害は見知らぬ人の問題でなく、私たち1人1人に影響を及ぼす問題だということが認識され始めています。

障害をもつ人たちは、将来の健康と幸せに対してより大きな懸念をもっています。アメリカの障害者の半分は、自立できないことや、家族の負担になることを懸念しています。障害を持っていない人たちでそういう懸念を抱えている率は、25%にすぎません。まだこのような格差があります。

生活に対する満足度も同様です。障害を持つ人の3分の1しか満足のいく生活をしていません。私はその3分の1に入ると思います。しかし、障害を持たない人の場合は、3分の2が「満足している」と答えています。ですから、私たちはまだ平等の達成のためにもがき苦しんでいます。

アメリカと日本は、いろいろな共通点があります。その1つは高齢者人口の増加です。
財政基盤を確立し、高齢者のサービスに対しての財源確保すること。そして、私たちの生活を支援する人、人的支援を提供する人を育てること。コストパフォーマンスの高い形で高齢者、障害者へのサービスを提供することなどの課題があります。

これはチャンスでもあります。新しい方法で高齢者、障害者に対するサービスを作っていかねばなりません。高齢者の数はさらに増え、寿命も長くなっているからです。私も、質の高い生活を、どんなに年をとっても送りたいと思います。

今日の世界では、誰が仕事を求めてくるか、誰が会社の製品を買ってくれるか、誰が現れて自分の友人や隣人になるかわかりません。障害を持つ人が、そういう人として身の回りに現れる可能性もあります。ですから、できるだけ幅広い人々に対して、サービスや商品あるいは雇用を提供していかなければなりません。より大きなアクセスを、障害を持つ人だけでなく、あらゆる人に向けて作っていかねばなりません。

 ユニバーサル社会は、同時に、障害者と高齢者の問題を解決し、政府にかかるコストを削減できます。これは間違いないことです。にもかかわらず、それが、われわれが納得できるように進んでいかない、その根本的問題は、人々の取り組み姿勢にあります。

われわれは、障害を持つ人を見たとき、本当に対等な相手と見ているでしょうか。あるいは、非常に触発される人だと思うでしょうか。あまりにも珍しいということで、自分が吹き飛んでしまうような気がするのでしょうか。気の毒に感じて、自分はあんな生涯を送りたくないと思ってしまうのでしょうか。私たちは、こうした他人の態度から影響を受けるのです。

障害を持っていない人たちは、私のように明らかに障害を抱えている人を見ると、知性にも欠けた人と見てしまうことがあります。身体に障害があるというだけで、すぐに「この人はダメだ」と見てしまう。それにして私たちは、対等な立場で見てもらえるように闘っています。

一般化という問題があります。人々は、目の不自由な人を見たとき、十把一絡げに「目の不自由な人はこういうことができない」と決めつけがちです。車椅子の人に対しても同様です。彼らは、障害を持つ人々それぞれの置かれている状況、モチベーション、家族関係などの違いについて何も知りません。

たとえば、父は私に、自分がなりたいものには何でもなれると教えてくれました。私はそれを信じて育ちましたました。しかし、私たちはそのような個々の背景を知らず、それぞれユニークな個人として見ようとしません。

私が最も好ましく思うのは、たとえばこういうことです。

子どもたちは、私たちのような明らかに障害を抱えた人を見ると、非常に大きな好奇心を示します。障害を持った大人の中には、子どもたちとの出会いを楽しみにしている人もいます。子どもたちは、たとえば私の手(義手)に気づくと、「手をどうしの?」と聞きます。よくスーパーマーケットでそいうことがあります。子どもは好奇心から、どうしても私に聞かないではいられません。「この豆の缶を持てるの?」「字は書けるの?」「絵は描けるの?」「コンピュータのタイプはできるの?」。しかし、7つ8つ質問に答えれば終わりです。彼らの好奇心は満たされ、私は完全に彼らに受け入れられています。

大人の場合は、そうはいかず、もっともっと大変です。彼らは、まるで私たちが存在しないかのようなふりをします。私が彼らの傍を歩いたりスクーターで走ったりしても、私のほうを見ようとしません。見たくない理由があるようです。しかし、2〜3歩先に行くと、必ず振り返ります。「今の人は何だったの?」というわけです。私も、きっとそうだろうと思って、彼らを振り返って見たりします。

この世の中で障害を持つ人を避けることはできません。私は、あなたに会ったらアイコンタクトをしてもらいたい。あなたのことを知りたい。あなたの友達になりたい。対等な人間として受け入れてもらいたい。私のことをよく知ってもらえば、好きになるかもしれないし、そうではないかもしれませんが、もちろん好きになってもらいたいと思います。

たとえば就職の面接にいくと、面接者は障害を持つ人に対して見て見ぬふりができます。彼らはちゃんと私たちのことを考えなければいけません。こうした問題は、私を障害者のアイデンティについての議論に導きます。

ほとんどの人々、ほとんどの文化が、障害を持つ人のことを、まだ厄介者や弱い者と見ています。それはしばしば障害を持つ人の誇りや自尊心を失わせます。アメリカの障害者の半分以下の人しか、障害を持つ人としてのアイデンティティを共有していません。つまり、全米で5600万人の障害者の一員とは思っていない人が半数以上です。そう思っている人の割合はだんだん上がってきていますが、他のマイノリティー・グループのアイデンティティの共有にはまったく追いついていません。

障害を持つ人の85%は、後天的な理由で障害を持った人です。先天的な人は15%で、私はそちらに属しています。私は手も足もなく生まれ、義足と義手が付けられるように、手と足に手術をしました。4歳半で普通の幼稚園に行き、それからずっと普通学校に行って教育を受けました。

写真:ジョン・ケンプさんの講演に壇上で聞き入るナミねぇ母は私が生後15ヶ月のときに卵巣ガンでなくなりました。そのとき、妹は生後3か月でした。他に4歳上の姉がいました。この2人は、障害はありませんでした。私たちは父に育てられました。家族が子どもを尊重して勇気づけることは、子どもが他の子どもとの関係の中で自分をみる見方を育てるのに非常に重要です。ですから、私は偉大なる父を持ったことに非常に感謝し、すべては父のお陰だと思っています。

障害というものは、常に新しい現象です。私たちのほとんどは、交通事故、労働災害、病気など、後天的な理由で障害を持つからです。障害を持つと、私たちは常に自分がどういう人間なのか、どうしてこうなったのかを説明し続けることになります。

会場でお聞きになっている方の中に障害を持つ方がいらしたら、毎日、スーパーで出会う子どもたち、あるいは自分の話を聞いてくれる大人に対して、教育プログラムを実施しているのだと思ってください。くよくよするのはやめましょう。

障害を持つと、他の人とは違うこともあるかもしれませんが、他人以上になったり他人以下になったりすることはありません。同等です。ですから、自分自身を形作っているユニークさを受け入れていかなければなりません。

障害は、いまやわれわれを誇りある存在にしています。障害者としての自分に誇りを持つようになっています。そして、障害者としてのアイデンティティを大切にするようになっています。政治的・経済的な力は、障害者としての集団のアイデンティティを強化しています。

ワシントンDCの最も強力なロビー活動団体のひとつは、アメリカ障害者協会です。
私も11年前に創設に係わることができました。第1回のチャレンジド・ジャパン・フォーラムが開かれた頃です。当時、数十万もの障害を持つ人々が、障害を持つ人の政治的・経済的な力を高めるために創設したものです。障害者としての集団のアイデンティティを受け入れることを目指しています。

「障害の文化」というものがあることを、皆さん、信じていただけるでしょうか。イエスですか、ノーですか。私はあると思います。固く信じています。障害を持つ人の85%は後天的であるのに、障害者の文化を持つことが可能でしょうか。可能です。私たちは、お互いから学ぶことができます。同じ障害を持つ人だけでなく、別の種類の障害を持つ人からも、自分たちの人生や生活にあり方について学ぶことができます。

私の父は先天的な四肢切断者ではありませんでした。父は私に対してできる限りのサポートをしてくれましたが、どういうスクーターや車いすが必要かについては、私が使っている人から情報を得て調達しました。

障害者の文化は単に抑圧の経験を共有するだけではありません。障害者のほとんどは、いつもいつも「あーあ、本当に自分は抑圧されているよ」などと考えているわけではありません。時には「いったいこの階段を作ったのは誰だい」とか「なんでバリアばかりの建物をつくるのか」と思うわけですが、それを口には出しません。自分たちが標的になっているとも考えていません。

また、障害者の文化には、新進の芸術またはユーモアも含まれています。今日展示されている作品も、障害者の歴史と文化です。アーティストが障害について描けば、私たちは私たちの生活に関する非常にすばらしい表現を得ることになります。

日本の障害者運動の歴史は、どんなものでしょうか。誰がそれを記録しているのでしょうか。障害者としての歴史的人物は誰でしょうか。米国でも同じ問題があります。いま適切なものは、10年後には適切ではないかもしれません。

私は、非常に統一された世界の価値観を信じています。障害者の文化を言うとき、いま私が言ったようなことが世界中で話されています。

障害者の文化の中核的な要点を、5つ挙げてみたいと思います。第一は、障害を持っているがゆえに人間の違いをより良く受け入れているということです。どういうことかと言うと、たとえば私はいつも誰かに「あなたは違いますね」と言われます。その時、私はそういう人に向かって、「違いには尊敬に値するものがあるので、私は違いを大事にする義務があるんですよ」と言います。

障害者の文化の2番目は、相互依存を人生の一部としていることです。私たちはお互いに、助けを必要とするときに助けるという義務があります。何か大きな箱を抱えて1軒ずつ訪ね歩いて「何かしてあげましょうか」と言うわけではありません。私には私にできるやり方で、助けが必要な人に手を差し伸べることができます。

3番目は、明確な結果が出ないことも受け入れるということです。こういうことは、人生の中でよくあると思います。たとえば、政府の補助金をもらう時、なかなか結果がでなくても、それを受け入れて努力を続けるわけです。

4番目は、ユーモアの精神です。うまく翻訳で伝わるといいですが、たとえばこんな具合です。私がトイレに行って急いで用を足そうとしたら、義手の先が取れて落ちてしまいました。そして、靴にあったって跳ね返り、隣の人の足のところに行ってしまいました。どうですか。おもしろい状況ですよね。隣の人はびっくりしたと思います。私はどう言いましょうか。こういうとき、ユーモアの精神が大事です。

「すみません。ちょっと手を貸していただけませんか」(Could you give me a hand?) わかりましたか? ときとして、このようにとっさのユーモアが必要なときもあります。

最後の1つは、他の人の気持ちを汲み取る能力や、言葉の裏に隠された社会的メッセージを読み込む能力があるということです。

私も、人の気持ちを察するのは得意な方ではないかと思っています。相手が私を見下す気持ちを持っていることや対等な人間としてみていないことは、すぐにわかります。私は「そういうはさせておくものか」と思います。私は、あくまでも対等に、尊厳を認め合う接し方をしてほしいので、なんとか工夫してうまい解決策を考え出すようにしています。

よく知能指数が高いと良いように言われますが、それは人生の成功には20%しか寄与していないとも言われます。残りの80%は、感情指数とでも言うべきもの、つまり、他の人の気持ちを汲み取って人間関係を大事にする能力に基づいています。配偶者、両親、子ども、上司、部下といった身の回りの人々と良好な人間関係を築くことが大事です。

アリストテレスが、次のようなことを言っています。「適切な相手に対して、適切な程度、適切なときに、適切な目的で、適切な形で怒る。この条件がすべて揃ったら、相手に対して怒ってもよろしい」と。しかし、このような条件が揃うのは、とても難しいことです。いらいらしただけで怒ってしまうことは、よくあることです。相手がなぜ怒っているのかわからなくて考え込んでしまうこともあるでしょう。

写真:記念講演をするジョン・ケンプさんユニバーサル社会というのは、年齢、性、人種、障害、経済的地位、宗教、国籍の別を問わず、お互いを大事にする社会です。すべての人が安全に安心して暮らせる社会、能力を生かして花咲かせることができる社会、そして適切な報酬を得られる社会です。また、市民が政府活動に充分に参加できる社会です。公職に就くことも選挙に参加することもできる社会であり、公的な教育をきちんと得られる社会でもあります。自分が選んだ宗教を迫害を受けることなく信じることができる社会でもあります。そして、どのような差別も受けない社会です。そういう社会では、市民は納税し、さまざまなニーズに従って活動することによって、自らの役割を果たします。

ユニバーサルなアクセスは、実現すれば、すべての障害に対応します。一番解決しやすいのは、私のような身体障害の分野かもしれません。2番目は感覚障害、3番目は資格や聴覚の障害、そして一番難しいのが認知障害を持つ人への対応ということになるでしょう。しかし、障害を持つ人は、その種類にかかわらず、自分の障害に対して何か後ろめたい思いを感じる必要はありません。障害の種類に何か順位や序列があるわけではありません。

いちばん対応が難しいのは認知障害だと申し上げました。しかし、克服のし方はあると思います。われわれがいろいろな障害を持つ人が使えるようなシステムや技術を、まだ作り出せていないことに問題があるわけです。技術を開発する会社が、いろいろな技術開発をして、認知障害を克服する技術を今後作るでしょう。

IBMが、CAST(Center on Applied Special Technologies)という教育分野のソフト開発を行う非営利組織を立ち上げました。UDL(Universal Design for Learning)というユニバーサルデザインの学習システムを開発しています。

これを使うと、誰もがオンラインでいろいろなコンテンツを使って勉強ができます。たとえば、わからない言葉が出てきたらクリックすると、それを説明するビデオが出てきます。言葉の定義なども出てきます。たとえば、5年生レベルから2年生レベルへとパラグラフへと変えることもできます。とてもすばらしいシステムです。このUDLのことを考えたら、もうその他の障害を持つ人に対する対応が出来ないという言い訳はできません。

私はこう問いたい思います。「今やらないなら、いつやるのか。あなたがやらないなら誰がやるのか。ここでやらないなら、どこでやるのか」と。そして、こう答えたいと思います。「私たちがいまこでやるのだ」と。

ありがとうございました。(拍手)

竹中/ ありがとうございました。それでは、浜四津さんと坂本さんから、法案をつくる立場でのご質問でもいいですし、ご意見でも結構です、一言ずつコメントをお願いします。

浜四津/ 私どもにとりましては、アメリカはユニバーサル社会づくりの先輩といいますか、アメリカの背中を見ながら走ってきたという思いがあります。

今から16年前に「アメリカ障害者法」いわゆるADA法ができました。私は、当時はまだ政治家ではありませんでしたので、「アメリカはすばらしい法律を作ったんだなあ。日本にもそういう法律ができる日がくるといいなあ」と人ごとのように思いました。いまも日本のほうが深刻な問題を抱えていると思います。しかし、いまジョン・ケンプさんの話をうかがうと、アメリカもまださまざまな課題を抱えておられるというお話で、示唆を受けましたし、感慨深く聞かせていただきました。「結局どこの国でも本質的問題は同じ」ということを深く理解いたしました。

写真:コメントを述べる参議院議員の浜四津敏子さんすべての人が、障害の有無にかかわらず、また、あらゆる差別の要因になるものの有無にかかわらず、生まれてきた以上、人間として自分らしく幸せに生きる権利があるということ。それが一番尊い目的であって、その人にとってすばらしいだけでなく、社会にとって、あるいは国にとって、世界にとって大事なんだということ。そういう思想や哲学が一番大事なんだろうと思います。

施策や法律の面でどこまで進んだかについては、各国で多少の温度差もあるかと思いますが、本質的ポイントは変わらないのだと思います。ですから、人々の意識を啓発していくことの大切さ、教育の大切さを認識させていただきました。

私どもはこれを認識しながら、挑戦・前身しつづけていかなければならない。私どもは今、与党で法律を作ろうと一生懸命やっていますが、それも長い道のりの中でのワンステップです。本質的な目的のためには永遠に挑戦し続けないといけない、と、ケンプさんの話を聞いて深く感じました。ありがとうございます。(拍手)

竹中/ では坂本さん、お願いします。

坂本/ 私は、去年のゴールデンウイークに、ナミねぇと一緒に、アメリカにADA法の実情視察に行きました。そのときにケンプさんにお会いしました。そのときも素敵な男性だと思いましたが、今日も一段と素敵でした。皆さん同感ですよね。(拍手) ありがとうございます。

写真:ジョン・ケンプさんの隣でコメントを述べる坂本由紀子さんいまケンプさんもおっしゃいましたけど、チャレンジドの問題は、「チャレンジドという特別な人たちの問題」というわけではないと思います。私たちも、転んで怪我をして松葉杖が必要になるなど、一次的な身体障害者になることはありますし、最近は日本でもうつ病で悩む人が増えています。みんなの問題、私たちの問題として、この問題をどう捉えるかということだと思います。

最後にケンプさんがおっしゃった「私たちが今日ここから行動を起こしましょう」ということが、この問題を前に進めていく一番大きな施策だと思いますし、もう1つ、ケンプさんが「いろいろな技術革新が進んでいますから、それをうまく使えば乗り越えられます」とおっしゃいましたが、そういう技術革新も私たちの未来に大きな希望を与えてくれるものだと思います。そういうことを、社会の枠組みの中に形として国民に示すことが、私たち政治家の仕事です。

浜四津先生がおっしゃったように、私たちはユニバーサル社会を実現するための法律をつくりたい。その法律によって、みんなが自分の持つ力を十二分に発揮して、みんなに住みやすくするという社会を一日も早く実現しないといけない。

法律って、こういう条文を作れるとか作れないとか、けっこう細かいことをうるさく言うところがあります。そういう問題のために、ナミねぇがチャレンジド・ジャパン・フォーラムでこういう法律の必要性を言い始めてから時間がかかりすぎているところもあります。

でも、浜四津先生や多くの仲間がこの与党プロジェクトに参加しているので、「ユニバーサル社会基本法」のようなものをつくることにより、日本の社会がいい社会になる。そういう日は近いと思っています。皆さんと一緒に取り組んでいきたいと思います。(拍手)

竹中/ ありがとうございました。「ユニバーサル社会基本法」については、後半でまたお話をしていただきます。では、ケンプさん、ありがとうございました。(拍手)
写真:右から浜四津敏子さん、ナミねぇ、ジョン・ケンプさん、坂本由紀子さん。講演を終わっての記念撮影



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