「津久井やまゆり園」の事件に寄せた、読売オンラインへの寄稿を転載させていただきます。

2016年8月13日

相模原市「津久井やまゆり園」で起きた残虐な事件に
重症心身障害の娘マキ(43歳)が国立病院で暮らす私は
他人事ではないショックを受けました。

名前を呼ばれても返事が出来ない人から殺傷した・・・
生きている価値のない人間だから・・・
娘と同じような方々が、こんな理不尽な理由で、こんな無残な目に遭うなんて
絶対赦せない!

ショックを受け、呆然とし、冷静になろうと努め
そして私は、この事件をどう受けとめるべきかを、深く深く深く考え
読売新聞オンラインに寄稿させていただくことにしました。

8月10日、以下の寄稿が資料写真とともに、読売オンラインに掲載されました。
寄稿を取り上げて下さった読売新聞社の皆さまへの感謝とともに
ここに転載させていただきます。

娘と過ごす2016年のお盆に
亡くなられた方々への鎮魂を込めて・・・

竹中ナミ(ナミねぇ)

☆読売オンラインの、元の寄稿記事は、こちらです↓↓
 http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160809-OYT8T50005.html

      ◇        ◇        ◇

相模原事件 マキの母として、鎮魂と障害者福祉の未来

社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長 竹中ナミ

読売オンライン 2016年08月10日 より転載
引用元URL
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20160809-OYT8T50005.html

 神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設で19人が死亡、27人が重軽傷を負った事件。逮捕された植松 聖( さとし) 容疑者(26)は、今年2月まで約3年間、その施設で働いていた職員だった。「障害者は死んだ方がいい」などと、障害者の人権を侵害する発言をしていたことも分かり、関係者を 震撼( しんかん) させた。重症心身障害のある長女マキさん(43)の母親で、障害者の自立を支援する社会福祉法人「プロップ・ステーション」の理事長・竹中ナミさんに、この事件をどう受け止めたのか、障害者福祉の未来はどうあるべきか寄稿してもらった。

 

あの朝、背筋が凍った

消防隊員と救急車両が慌ただしく行き交う現場付近。植松容疑者は2016年2月、「自傷他害の恐れがある」として精神保健福祉法に基づき措置入院していた。事件はその4か月後に起きた(神奈川県相模原市緑区で、2016年7月26日撮影)

 <<あまりにも理不尽で許し難い犯罪に、怒りと恐怖でいっぱいです。もしマキの病院で起きたことなら……と、想像するだけで身体(からだ)が硬直するような思いがします。

 マキは、温かい看護と療育を下さる病院スタッフの皆さんに護(まも)られ、穏やかに暮らしていますが、障害のある人に対するジェノサイド思想を持つ人間が、一時期とはいえ施設職員として働き、卑劣な犯行計画を醸成し、一厘(り)のためらいもなく実行したことに、背筋が凍る思いです。

 亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、このような犯罪が二度と起きることがないよう、福祉関係者だけでなく、社会全体で対策を考える必要があるとともに、障害のある人や家族の多くが「ポジティブに生きていること」を、発信し続けなければと、改めて強く思います。

 障がいがある人も、ない人も、人として同等の尊厳と、しあわせを希求しながら生きる権利があることを、私自身これからも伝え、行動して行きたいと思います。>>

 これは、神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で起きた事件を報道で知った朝に書いた、私のブログである。事件は、「聖」という名を愛を込めて両親から名付けられたであろう26歳の男が起こした。

 

まぶたに浮かぶ父の"脅迫"

大勢の報道陣が詰めかける中、横浜地検に入る、植松容疑者を乗せた警察車両(横浜市中区で、2016年7月27日撮影)

 私が重度の脳障害のある娘マキを授かったのは43年前。マキの障害を知った父が「孫を連れて死んでやる」と言ったことを鮮明に覚えている。「障害のある子を授かることは不幸」であり、「その子のせいで娘がつらい目に遭うに違いない」と父が考えていることに、私は強く反発した。

 なぜなら、私は親や親族に迷惑をかけた「不良娘」だったが、両親はそんな私を責めることもせず受け入れ、見護り続けてくれたからだ。たとえ子が親の意に沿わない存在であっても、親は子を受け入れるものなのだという感覚が、私には染みついていたのだ。私は「父ちゃんが言うような不幸な存在になんか、絶対ならへん!」「障害、イコール不幸やなんて、絶対に信じへん!!」と反発した。

 父はすでに天に召されているが、「天の邪鬼(あまのじゃく)の娘が孫とともに腹をくくって生きられるように」と、"命がけの脅迫"を演じたことが、今の私にはよく分かる。私の中にある「どんな人にも尊厳があり、幸せを希求しながら生きる権利がある」という確固とした理念は、両親から受け継いだものに違いない。あの時の気持ちは、「プロップ・ステーション」の活動を続ける現在の私へとつながっている。

 

厳然と世間に存在する障害者差別

植松容疑者は2016年2月、2度にわたって衆院議長公邸(東京・千代田区)を訪問し、議長宛ての手紙を預けていた。犯行を予告するような内容が記されていた(2016年7月26日撮影)

 私は障害者への「差別」「蔑視」が厳然と世間に存在することを、43年間娘と生きる中で様々な場面で実感した。古来、個人にも、国家にも、弱いもの、劣るものは排除したほうがよい、排除すべきだという「優生思想」が根深く存在してきた。

 日本でも戦後になって「優生保護法」が制定された。1996年に母体保護法に改正されたが、「不幸な子どもを産まない運動」などと、当たり前のことのように喧伝(けんでん)されたことは、多くの日本人にとって記憶に新しいところだろう。

 幼かったマキと障害児の早期訓練施設に通っていたころ、一緒に通っていた母親が、「障害のある子を産んだ」と親族に責められ続け、将来を悲観して母子心中するという悲劇を何度か経験した。逆に、障害のある子を目の中に入れても痛くないほどかわいがっておられたのに、不慮の事故でお子さんを亡くした時、「親が殺したにちがいない」という前提で警察が捜査するのを、その親御さんと悲痛な思いで見守ったこともある。

 

人は自分の意思で生き方を決めることができる

 しかし、世界各国が、日本社会が「障害者の社会参画を推進する」「支え合う社会を構築する」という目標を掲げて、差別を払拭する歩みを進めてきたことに、私は喜びを感じている。それとともに、その歩みを推進する一人でありたいという想(おも)いを、今回の事件で一層強くした。

 この事件を受けて、障害者の身の安全を図ることが何よりも重要だと私は考えた。だが、障害者とその家族を閉じこめたり、囲いこんだりすることによって、社会に開かれた施設や共生を目指す地域を育んできた、これまでの地道で真摯(しんし)な取り組みが否定されることはあってはならない。結果的に、今まであったような差別を助長するようなことになりかねないからだ。

 障害のある我が子を「不幸のタネ」ではなく、「家族の宝物」ときっぱり言い切る親たちに、私は今日までにたくさん出会った。しんどいこと、つらいことは決して人を不幸にするだけでなく、強くも豊かにもすると、私は言い切れる。

 おそらく私は、両親から「悲観ではなく楽観を」という教えも受け継いだのだろう。私のように、親から「無条件で子どもを受け入れる」ことを受け継いだ者もいれば、両親から虐待を受けたからこそ、「自分は決して子どもを否定しない」と、強い意志で家族を築き上げる人もいた。人は自分の意思で生き方を決めることができる――。そう私は学んだ。

 

「障害=不幸」の図式を壊す

「津久井やまゆり園」正門前に設置された献花台。被害者の家族と同じ思いを抱く親たちが足を運び、花を手向けた(2016年7月28日撮影)

 残虐非道な事件から、私たちは何を学ぶことができるのか。それは、「障害=不幸」という図式を放棄できる人が増えるよう、自分にできることを続けていくしかない、という確信である。

 プロップ・ステーションは、障害のある人を「チャレンジド」(挑戦する人)と呼び、チャレンジドが力を発揮できる社会の実現のためにソーシャルビジネスを創造してきた。活動の原点は、チャレンジドを支える社会の力をつけることが、「娘マキを残して私自身が安心して死ねる社会」につながるという発想、いわば「おかんの我が儘(まま)」に尽きる。

 今回の事件で命を絶たれた方々と同じように、娘は社会に支えられて生きているが、間違いなく私を育て、行動させてきた。私にとって娘は「宝物」であり「恩師」である。どんな障害があろうが、人には人を支える力があり、障害のない人も必ず誰かに支えられて生きているのだ。

 

再発防止策の前提は「人が支え合う社会」

事件発生から1週間がたった「津久井やまゆり園」の正門前。手で顔を覆う人もいた(2016年8月2日撮影)

 相模原の事件は天災ではなく、人災である。残虐無比の犯罪である。非道な犯罪を防ぐ手立ては、もっともっと緻密に構築しなければならないし、事件を防げなかった後悔は多くの人が痛切に感じているに違いない。

 だが、二度とこのような犯罪を起こさないという決意を込めたシステムを構築するなら、その根幹に「社会は障害のある人と、ない人が支え合って、尊重し合って創造するものだ」という共通理解があることが前提だ。

 事件の後、チャレンジドやそのご家族から、「私たちは不要な人間なのか」「堂々と生きてはいけないのか」といった悲痛なご相談が、相次いでメールで寄せられた。「障害者」「弱者」という文言にも、多くのチャレンジドが「社会が自分たちの立ち位置を決めつけないでほしい」と、批判の声を上げている。

 今回の事件は、「これからもっと社会全体で変えていかなければ」と考えてきた私たちの気持ちを、真っ向から否定するものだ。「障害者」や「弱者」と呼ばれている方々は、事件がまき散らした強烈な「負のエネルギー」によって、胸がつぶれるような気持ちを味わっている。しかし、私たちはこれを跳ね返さねばならない。亡くなった方々の無念を晴らし、生き残った方々とともに「事件後」を生きる私たちの、それが真の鎮魂ではないかと思う。

プロフィル
竹中 ナミ (たけなか・なみ)

社会福祉法人「 プロップ・ステーション 」理事長。1948年、神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒。重症心身障害のある長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。91年、プロップ・ステーション発足。98年、厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。ICTを駆使して「チャレンジド」の自立と社会参画、とりわけ就労の促進を支援する活動を続けている。NHK経営委員、関西大学経済学部客員教授、財務省財政制度等審議会委員などを歴任。

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