<傍聴記番外編>

職場復帰した厚子さんと再会の記

2010年9月29日

 

2010年9月21日夜。最高検と大阪地検が、村木厚子さん(一審・無罪判決)について上訴権放棄の手続きをとり、厚子さんの無罪判決が確定しました。

同日政府は厚子さんの復職を決定。22日、厚子さんは「内閣府政策統括官(共生社会政策担当)」として、国家公務員の仕事を再開したのです。

私が厚子さんの無罪確定を知ったのは、21日夜、神戸三ノ宮のライブハウス「チキンジョージ」で、沖縄のバンド「紫」の演奏に招かれ、盛り上がっている最中でした。

厚子さんから携帯に連絡があり「今、弘中弁護士から『検察が上訴権を放棄した』って連絡が有ったの!!」という弾んだ声に、思わず「やった〜!おめでとう!!!」と叫び、飛び上がりました。

そして演奏会場に戻り、休憩タイムに立ち上がって観客の皆さんに「今、検察が村木厚子さんの上訴権を放棄したそうです!!」と大声で報告しました。キョトンとしてる人も居たけど、大勢が厚子さんの事件を知っていて「わぁ、そうなん」「良かったねぇ!!」と祝ってくれました。

すぐにも厚子さんのところに飛んでいきたい気持ちやったけど、23日からシルバーウイークを利用し、83歳の母を連れて上海万博に行く予定やったので、上海から帰ったら会いに行こう!と決意しました。

[写真]内閣府政策統括官執務室にて

そして28日(火)無罪確定後はじめての再会。内閣府政策統括官の執務室を訪問し、固くハグし、職場復帰を心から祝しました。

新しい職場で、次々訪れる職員から仕事の進捗などの説明を聞き、テキパキ指示を出しておられる厚子さんの生き生きした姿に「やっぱり厚子さんは仕事師や!」と改めて痛感。職員たちも、心から嬉しそうな笑顔で厚子さんに資料説明していました。

長居したらアカンと思いながらも、少しだけ「おばちゃんトーク」。無罪確定時の記者会見で厚子さんが「30年近い結婚生活で、こんなに夫と手紙の交換をしたの初めて!」と言われてたので「太郎さん(ご主人)に惚れ直したやろ?」って聞いてみました。

すると「ふふっ」と恥ずかしそうに微笑み「そんなこと言ったら調子にのるから言わない〜」といいつつ真顔になって「娘たちは、何ものにも代えがたい、かけがえのない存在で何でも話せる親子だけど、自分が打ち込んでいることを話したり、価値観を共有できるのは夫だけだったって、改めて実感したわ。拘置所で150冊くらい本を読んだんだけど、交換した手紙を読み返してみると、殆どが本の感想のやりとりだったのよ。あぁこれは夫とでなくちゃ話せないことだったなぁ、って・・・」と、感慨を込めて話してくれた厚子さんでした(^^)/~

退室する前に、政策統括官の席に座る厚子さんと記念のツーショットを、携帯で撮影。秘書の女性が、ニコニコしながら快くシャッターを押してくれました。

厚子さんの無罪確定、職場復帰をやっと実感し、内閣府を後にしたナミねぇです。

嬉しい気持ちでいっぱいやけど、厚子さんの闘いはまだ終わった訳やありません。「証拠改竄」という、絶対有ってはならない罪まで犯して検察が厚子さんを陥れようとしたのは何故だったのか。厚子さんを通して国民全体が知ることとなった、検察・特捜部という組織の甚だしい劣化、暴走、暴挙に、今後検察自身が、政府が、そして私たち国民一人ひとりがどう向きあって行くのかが、問われてます。まさに「パンドラの箱」は開いてしまったのです。

<文責:ナミねぇ>

 

関連リンク

2010年9月22日 村木厚子さん、1年3ヶ月ぶりに職場復帰! 厚生労働省職員たちが温かい拍手で出迎える (厚子さんの同僚 撮影動画)

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