あの日から13年
 阪神淡路大震災から13年目を迎えて

2008年1月17日

13年目のあの日 〜1月17日〜 を迎えました。

多くの尊い命が失われ、私の愛する神戸の街並みも壊滅的な被害を受けた阪神淡路大震災。今ではすっかり復興しその傷跡を見ることも少なくなりました。震災後生まれた子供がすでに小・中学生に育ち、他府県からの若い世代の流入も多く、すでに震災の記憶は地元神戸でさえ薄れようとしています。

あの時、多くの人が共有した災害へ立ち向かう勇気と助け合いのこころ。ボランティア元年とも言われ、「人と人の支え合いの素晴らしさ」をおしえてくれた出来事でもありました。そうした貴重な経験を私たちは決して風化させてはならないと思います。身をもって体験したからこそ伝えることの出来る知恵や記憶を、情報として後世に残すことが、とても大切やとナミねぇは思います。

阪神淡路大震災は、実はパソコンボランティア元年でもあります。プロップでスキルを磨いたチャレンジドたちは、震災時、在宅スタッフとしてパソコン通信を使って活動していました。震災が起き、自宅が全焼したナミねぇをはじめ、仲間全員が被災者という状態になった時、電気と電話回線が復旧すると直ちに皆は「私は生きてます」「僕は無事やで!」と、各自の安否情報を発信し始めました。

そうするうちに「誰それさんはどうした?」「どこそこの避難所に入れたみたい」「どこで今日は水やお弁当をもらえるの?」「車椅子でも、お湯を使わせてくれるお風呂屋さんはないかなぁ?」などと安否だけでなく生活情報の受発信が始まりました。そして「避難所になってる○○養護学校で、おむつがなくなってしもたらしいで」と誰かが書き込んだ時には、そのメールがバトンリレーみたいに各地に送られて、東京の企業から千箱くらい「紙おむつ」が届いた! ということもありました。

今では「パソコンボランティア」は立派に(?!)ボランティアの一分野として定着してるけど、実は、ベッドの上で被災したチャレンジドが、日本におけるパソコンボランティア第1号、と言うても過言じゃありません。そしてプロップにとっては、ICTの「人と人、人と社会を繋ぐパワー」を腹の底から実感した出来事になりました。

そうした経験をプロップでは、当時の機関紙フランカーで発表しています。13年目を迎えた今、あらためてその記録を読み返していただければと、ここに掲載させていただきました。リンクからご覧いただければ幸いです。

by ナミねぇ

 

リンク

郵政省委員会レポート 「阪神・淡路大震災と情報通信」 by 竹中ナミ

阪神大震災「復興期」に想う プロップ・ステーション代表 竹中ナミ

フランカー12号より 私の阪神大震災ほか

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