POCO21 2010年1月号より転載

interview この人が語る

チャレンジド(障害者)も能力を発揮できる社会に
社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長

竹中ナミさん

竹中ナミの写真

障害を持った人をアメリカでは「神から挑戦すべきことを与えられた人々」という意味を込めて「チャレンジド」と呼ぶ。ナミねぇこと竹中ナミさんは、障害をマイナスとのみ捉えるのではなく、障害を持つゆえに体験するさまざまなことを、自分や社会のために生かしていこうという思いを込めて、日本でいち早く「チャレンジド」という呼称を提唱した。コンピュータネットワークを活用して、チャレンジドの自立と社会参画、就労の促進を目指す竹中さんの活動は、産・官・学を問わず、社会各層から幅広い注目を集めている。
撮影/タカオカ邦彦 取材・構成/高崎真規子(ノンフィクションライター)
 

たけなか・なみ 1948年神戸生まれ。重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。20年以上にわたり、おもちゃライブラリーの運営、肢体不自由者の介護などのボランティア活動に携わり、91年、草の根グループとしてプロップ・ステーション(http://www.prop.or.jp/)を発足。98年厚生大臣認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。著書に『プロップ・ステーションの挑戦』など。

 

--- 1990年代当時、障害を持った方の就労については、社会的に目が向けられていなかったように思います。そこに竹中さんが注目されたきっかけは何でしたか。

 1988年に、西宮でチャレンジドの人たちが中心になって運営する車椅子の全国大会があって、そこでアメリカなどで行われている「アテンダント」という新しい介助の考え方を導入したんです。

 アテンダントというのは、自分がペイを支払うことで必要な介助を受けられるという仕組みです。これまでのボランティア活動のように「やってあげる」、「してもらう」という関係ではない介助。無償の善意に甘える介助とは違う関係での介助を意味します。

 すごく好評で、日本でもこの仕組みを定着させようということになったんですけど、アメリカと違って、チャレンジドの人は働いていないし、働けるシステムがない。制度だけを取り入れても、主体的にアテンダントを雇うという自立意識が生まれてこないんです。チャレンジドがどうやって自分で収入を得るようにするか、そこが課題だと痛感しました。

 

--- 障害がある人は働けないという意識が根強かったと。

 そうです。日本では障害者と言われた瞬間に世間からはかわいそうな人、気の毒な人というネガティブな位置づけを受けてしまいます。で、世間の側には何がしかのお金を与えて保護しようという発想しかないんです。

 社会や組織だけじゃなく、家族もそう。障害者の可能性を伸ばすというより、社会に対してこの子を守ってくださいと……。

 私の娘が重症心身障害で、視覚は明るさがわかる程度の全盲で、音の意味するところはわからない、声は出るけど言葉は喋れないという状態やったんです。

 どう対応したらいいか、マニュアルも育児書もない中で、見えへんのやったら見えへん人、動かれへんのやったら動かれへん人に習おうと、いろんなタイプの障害の人に会ってきました。そこでわかったことは、自分の娘のように100%の保護のもとでないと生きられないというのは極めて一部で、重度障害といわれていても、それぞれいろんな思いを持ってはるし、できることもあるということ。

 それなのに、ひとくくりにして「働けない人」と決めつけるのはおかしい。この思いは、ずっとありました。

 

--- コンピュータを武器にしようと思ったのは。

 プロップ・ステーションを設立する前に、全国の重度重症のチャレンジドのみなさんにアンケートをとらしていただいたんです。すると、80%の人が働いてみたいという返事です。「働くときにどんな道具が必要ですか」という質問に、ほとんどの人が「自分たちのように家から出ることさえ困難な者が働くには、これからはコンピュータが役に立つんじゃないか」という回答やったんです。

 当時、まだパソコン通信じゃなく、ワープロ通信だったんだけど、少し通信が始まったころでした。コンピュータは会社のような所から離れていても仕事を可能にする、ということを重度のチャレンジドたちが知ってはった。これにはものすごくびっくりしました。

 だけど、学校もないし、ベッドサイドで個別に教えてもらっているだけでは、自分の技術が働けるレベルに達しているかどうかわからない。それなら、まずちゃんとプロから習う場を構える。次に技能評価をしてもらう仕組みを設ける。そのうえで実際に仕事があって、家でできる体制を作ればいい。そうしたら彼らは働ける人になるんや、ということに気づいたんです。よし、だったら私らはそれをしようと思いました。それによって自分でアテンダントを雇えるような人たちが育つ。そして、自分の意志で社会に飛び込んでいけるような人たちが自然に生まれてくると思ったんです。

 

--- それで、プロップ・ステーションがスタートしたわけですね。

 最初は大阪のボランティア協会の中に机を一つ置かしてもらって始めました。「重度の障害のある人が仕事できるようになるために、コンピュータの勉強会のボランティア求めます」って新聞に載せたら、一流のエンジニアの人たちがいっぱい集まってくれた。ボランティアって、お食事させてあげたり、お風呂入れたりするものと思ってた。だから、自分たちみたいな技術者ができると思っていなかったけど、何かしたいと思っていたって……。

 ダメ元で申請したら、コンピュータを提供してくれる会社も出てきて、週1回のセミナーがスタートしました。

 

--- 受講者の方々の応募も、たくさんあったのですか。

 フタを開けたらどっと問い合わせがあって、本当にやる気のある人が集まりました。キーボードを打つにも、指が一本も動かせないので小指の関節だけ使ったり、口棒を使ったりという状態。だけど「ここで技術をマスターして絶対に仕事をつかんだるで」という気持ちで食らいついてくる。今は技術をマスターして仕事をしている卒業生たちが、教える側に回ってくれています。

 また、一流のプロに教わると、技術の高まり方も全然違うんです。2008年から、一流のパティシエに来ていただいて、お菓子作りのセミナーも始めています。一斉に作業所で箱折りというのでなく、音楽でも、アートでも、チャレンジドが主体性を持ってチョイスし、スキルを学べる場が必要なんです。

竹中ナミの写真

 

--- 就労支援はどんなふうに行っているのですか。

 ラッキーだったのは、講師のエンジニアの方が一流の企業にお勧めやったわけですよ。その人が、"そんな体でどうやってコンピュータやるの? よだれ出てるし……"みたいな子に教えたら、必死に勉強して、ぐんぐんできるようになっていく。すると、仕事をさせてあげたいと思うんですよ。それで上司や会社と交渉してくれたりして、仕事の始まりができたんです。それでちゃんとした成果を出すと、次にまた信頼できるだれかを紹介してくれたりして輪が広がっていった。

 私のやっていることはコーディネイトなんです。それぞれのチャレンジドの力と仕事をつなげていく。その人間関係を積み上げていく役割です。

 バックオフィス機能は、私たちプロップ・ステーションが受け持つ。一人でできへんのやったら、チームを組んでもらって、途中で体調不良になっても、代わりに入ってもらうように責任を持つ。法人契約でないと仕事を出してもらえないので、98年に社会福祉法人にしたんです。

 

--- これまで、どのくらいの方が社会に出られたのでしょうか。

 勉強しはった人は数千人。プロップ・ステーションを通じて一度でも仕事をしたことがある人が500人ぐらい。まだまだ少ないです。日本は障害者雇用とはいうけど、アウトソーシングや起業することに対しては、いっさい制度によるサポートがない。多様な働き方をバックアップする制度になれば、企業にとってもチャレンジドにとってもチョイスができると思うんです。もっとよりよく進むためには、制度が必要ですね。

 

--- 働けないのではなく、働きたくても、働けるような体制が整っていないということですね。

 はい。だから、チャレンジドを働ける人にしようというのなら、社会のシステムをちゃんとしていかないといけない。制度にしていかないと、社会が変わるというところまではいかへん。それは頼んでも無理。だから、プロップ・ステーションでは、実験プラントみたいな形で、こうやるとこう変わるというモデルを自分たちで作った。そして、そのモデルを元に、こういう制度が必要だと提唱もしてきました。何より幸いだったのは、コンピュータやインターネットがものすごく発達したことです。これはラッキーやった。前の時代やったら、道具がなかったですから。

 

--- これまでになかったモデルをゼロから作られて、ここまできたわけですが、一番のご苦労というと。

 それは人間の意識ですね。障害のある人に対して、もしかしらこの子が自分と違うやり方で、もっと違うことができる人や、というふうにはだれも見ない。できへんところばかり見て、わ〜、大変、つらいでしょうと同情しはるだけ。

 女性の問題と並べてみるとわかりやすいと思うんです。60年余り前には、女は外で働くなといわれたし、政治に参加したらいけないという意識だった。だけど、女性たち自身も自分たちが男性とともに社会を支える立場になれるって努力もし、均等法みたいな法律もできた。

 チャレンジドに対する意識もそんなプロセスをたどるんだろうなと思います。

 

--- そういう意味では、竹中さんは、草創期の先駆者のようなものですね。

 私はもともと不良やったから、既存のルールっていうのはいつでも変えていいし、疑ってかかっていいと思ってる。よい子やったら、常識にとらわれて、へたってたかもわからへん(笑)。「障害者=働けない人=保護が必要な人」という捉え方では、チャレンジドも介護するオカンも働けへん。二重の損ですよね。

 このまま手をこまねいていたら、娘のように社会全体の助けがなければ存在しえない人をみんなが守ったろう、という意識を持てるだろうかと思った。

 私の気持ちは、チャレンジドの人を支援するというより、あんたらもうちの娘を支える側に回ってくれるかと。そして、いっしょになって、だれもが支え合うという誇りを持って生きられる社会にしようよということ。支援する、されるの関係ではなく、いっしょに思いを実現しようという立場で始まったってことが、また珍しいと思いますね。

 

--- 今後の目標を聞かせてください。

 チャレンジドが働いて納税者になる。税を出す側に回るというのは、主体者であり主催者であるということです。社会福祉の活動家っていわれる人は、困っている人たちのために、税金から予算をとってくるのが福祉活動だといったりします。

 私はそうではなく、もし福祉という言葉を使うなら、弱者を弱者でなくしていくプロセスを福祉と呼びましょうという考え方。発想のチェンジなんです。

 私は別に福祉活動をしようと思っているわけじゃないんですよ。自分の中に眠っているやりたいこと、やれることを、よく磨いてできるようにしましょう、という呼びかけをして、そのプロセスを作る活動をしてきた。

 広げて考えてみると、チャレンジドに限らず、みんなにあてはまる話やと思います。

 性別とか、年齢とか、障害のあるなしとか、文化や地域の違いとか、そういうものにかかわりなく、その人の持っている能力が尊ばれて、なおかつみんながそれぞれの能力を発揮し合う社会。自分のできることでお互いに支え合うユニバーサルな社会が実現したら、私も娘を残して安心して死んでいけるなと思います(笑)。

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