株式会社 現代書館 団塊の〈青い鳥〉 戦後世代の夢と希望 池田知隆 著より転載

「障害者を納税者に」と訴えて

竹中ナミの写真

竹中ナミ

▲たけなか・なみ  1948年10月、神戸市生まれ。ITを活用した障害者の就労を支援する社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長(本部・神戸市)。著書に「プロップ・ステーションの挑戦」(筑摩書房)、「ラッキーウーマン−マイナスこそプラスの種−」など。ニックネーム「ナミねえ」で親しまれている超元気な関西人。

・・・・・関西から「ユニバーサルの風」を・・・・・

 「日本では、保護の必要なかわいそうな人と見なされがち。でも、障害者も収入を得て、納税者として社会を共に支えていかなくてはなりません」

 「チャレンジドを納税者にできる日本」をスローガンに、障害者の就労支援活動を続けている。チャレンジド(Challenged=挑戦する人)とは、「神から挑戦という課題、あるいはチャンスを与えられた人」を意味する。障害をマイナスとみるのではなく、障害を持つことでいろんな体験ができるとポジティブ(前向き)な意味を込めた米語だ。

 自らを「学歴は中卒。障害児を抱えたバツイチのおばちゃん。それから体重もすごいんです」とあっけらかんと語るから、大抵の人がファンになる。国内外の官僚、自治体関係者、企業、団体の間に多くの仲間が広がり、誰もが親しみを込めて「ナミねえ」と呼ぶ存在だ。

 08年3月、「ユニバーサル社会の実現をめざすシンポジウム」(プロップ・ステーション、読売新聞社などが主催)を開くと、政界、経済界のトップが顔をそろえ、超党派で制定が進められている「ユニバーサル社会基本法」の趣旨が発表された。関西から「ナミねえ」が巻き起こしている「ユニバーサル(共生、共助社会)」の風が広がっている。

 「参加者の多くから、日本の分岐点といえる日を目の当たりにした、といわれました。チャレンジドの言葉はじわじわと広がってきたけど、まだまだね」

 

・・・・・障害の子に学ぶ・・・・・

 父は京都帝国大学を出て大会社の幹部候補生だったが、レッドパージの余波で解雇された。母は、女性解放運動に関心を持ち続けながら内職を続けた。そんな両親から「お前の人生、好きなようにしたらいい」と言われて育ち、「ゴンタクレ(非行少女)になった」と振り返る。

 中学時代から演劇に熱中し、一時、劇団の研究生にもなった。高校1年で同棲、結婚し、高校は除籍になった。22歳で長男が誕生し、24歳のときに授かった長女に重い脳障害があった。

 「父が、この孫を連れて死んだる、と言うのでびっくり。父を死なせないためにも、わたしたち親子が楽しく生きるしかない。そう思って生きてきました」

 障害福祉や社会の仕組みを懸命に学んだ。知れば知るほど、障害者を気の毒な弱者と見なす考えに違和感を抱くようになった。

 「障害者を哀れみや施しの対象と見なすと、障害者の可能性や社会進出の機会を奪いかねない。障害があっても、どうやったら楽しく生きていくことができるのか。自分なりに納得できる答えを探してきたのです」

 手話通訳や介護ボランティア、おもちゃライブラリーの活動を続けた。障害者にも労働意欲がある、と91年、IT(情報技術)を活用した団体「プロップ・ステーション」をつくった。「プロップ」とは「支えあい」を意味する。講習料をめぐって「障害者から金を取るのか」と非難が出たが、「自立のために自己投資するのは当然」とはねのけた。

 

・・・・・社会の「つなぎ」役に・・・・・

 43歳で離婚。引き取った長女は国立療養所で預かってもらった。

 「娘の入院費の明細を見ると、月に数十万円も税金で負担してもらっている。そんな娘を置いて死ねない。わたしが安心して死んでいくためにも、誰もが支えあう社会をつくりたい」

 自ら「つなぎのメリケン粉」と称し、ネットワークづくりは得意だ。98年、法人化に際してはマイクロソフト・ジャパン社長(当時)の成毛眞さんが賛同し、基金1億円を支援した。

 「重度の障害があっても、ITを活用すれば、予想外のことができるのです。犯罪だって、やろうと思えばできます」

 そう語る竹中さんの活動モデルは、米国防総省のコンピューター電子調整プログラム(CAP)。高度のコンピューター技術を駆使し、障害者一人ひとりのニーズを調べ、障害を補う技術を探し出し、仕事ができる水準まで訓練している機関だ。同時多発テロで手を失った国防総省の女性職員は、音声を認識する装置の付いたコンピューターを使い、働き続けている。話すことも歩くことも、手を使うこともできない重度障害を負った傷痍軍人も仕事を続けている。

 「すべての国民が誇りを持って生きられるようにする。それが国防の第一歩、という考えなんです」

 

・・・・・自立に向けて・・・・・

 06年4月には障害者自立支援法が施行され、いまは、「ユニバーサル社会基本法」の実現に向けて奮闘している。ユニバーサル社会とは、年齢、性別、障害の有無などにかかわりなく、誰もが暮らしやすい社会のこと。障害者のバリア排除に重点を置いた「バリアフリー」に対し、より普遍的な価値の実現を目指している。

 「米国でも、多くの企業が、障害者を雇うにはコストがかかると、最初は及び腰でした。でも、実際に雇用してみると、むしろ利益を得られるとわかってきました。長寿社会では、誰もが障害者になる可能性があり、ユニバーサル社会は、障害を持たない人たちにも利益をもたらします」

 団塊世代もあと10年もたてば、老化によるさまざまな障害を余儀なくされる。しかし、障害を持ったからとはいえ、能力が有効に生かされない社会はつまらない。

 「その人に合った働き方を求めているのは、チャレンジドだけではなく、定年後も働きたい高齢者も同じ。障害があって生まれようが、人生半ばで障害者になろうが、誰にでも学ぶチャンス、働くチャンスを持てる日本にしたい」

 熱っぽく劇的に生きた半生を振り返り、しみじみと語る。

 「障害をもつ娘が『日本の非行少女のハシリというようなワル』であったわたしを現在のわたしに育て上げてくれた。プロップの活動は、娘の支えによって続けられ、娘もわたしも『チャレンジド』です。さらにいえば、娘はわたしにとって四つ葉のクローバー。自然の中では異端ですが、幸せのシンボルです」

 

【ちょっと一言】

 人は障害の有無に関わりなく「誰かから期待されている時」自分に誇りが持てる。マイナスだけに着目する福祉は、いくらそこに「慈愛」が込められていても、人の誇りを奪いかねない。「人の力を眠らせるほど"もったいないことはない!"」と持論を展開する「ナミねえ」の奮闘ぶりにいつも元気づけられる。シンポジウムでは親友、大平光代さん(弁護士)がダウン症の愛娘、悠ちゃんとご主人と一緒に駆けつけてくれたのをなによりも喜んでいた。

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