福祉みやぎ 2007年3月号より転載

「第6回福祉セミナー in みやぎ」からの投げかけ

〜あたり前の生活をめざして〜

特集

平成19年1月10〜11日、本会主催の「第6回福祉セミナー in みやぎ」を開催しました。

これまで当セミナーでは、障害のある最も支援を必要としている方が、地域の中であたりまえの生活を送れるよう、議論を重ねてきました。障害者自立支援法が施行され、障害程度区分認定やグループホーム・ケアホームなどの報酬水準など、不満の声が上がる今、新制度の理念を実践するべく、全国で先駆的に障害者の地域生活を進めている実践者を講師に招き討論しました。また、司法と福祉の制度の狭間におかれた、再犯をおこす障害者の支援についても議論しました。

ここでは、そのプログラムの中から、障害者の就労支援についてのリレー対談と、入所施設からケアホームへ移行した知的障害者のご家族のお話の二つについて、一部抜粋して紹介します。

リレー対談
「それでもやっぱり地域移行〜自分らしく働き暮らしたい〜」

対談者紹介

コミュニティーネットワークふくい 専務理事
松永正明まつながまさあき
[写真]松永正明氏昭和40年から障碍者雇用に関与し、障碍者とともに会社を再建する。昭和63年福井県育成会(現コミュニティーネットワークふくい)理事、平成5年専務理事に就任。コミュニティーネットワークふくいは、平成3年、福井県育成会の有志が障碍のある子どもたちの社会自立を目的に、就労雇用と地域生活の促進を目標に施設経営を始めた。現在、知的障碍者217人を雇用し、企業就職者104人の支援と191人の職業自立に取り組む他、介護事業にも進出している。
プロップ・ステーション 理事長
竹中たけなか ナミ
[写真]竹中ナミ重症心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。平成3年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足、平成10年に社会福祉法人格を取得、理事長になる。ITを駆使してチャレンジド(障害を持つ人の可能性に着目した新しい米語)の自立と社会参画、とりわけ就労の促進を支援する活動を続けている。スローガンは「チャレンジドを納税者にできる日本」。ニックネーム「ナミねぇ」で親しまれている超元気な関西人。
宮城県社会福祉協議会 会長
浅野史郎あさのしろう
[写真]浅野史郎

障害者自立支援法のポイントの一つに、就労の強化が挙げられています。障害があっても障害が重くても、自分らしく自立して生きる。その上で「働く」ことは重要なキーワード。お二人の講師からそれぞれ取り組みを紹介していただいた後、対談者の三人で鼎談した様子を抜粋します。

障害者自立支援法を成長させるのは私たち

会長 この人がいたからね、障害者自立支援法ができたと言われています。

竹中氏 あんたみたいなのがいるからだと言われます。だけど、初めて厚生労働省が、彼らも働けるように理念を転換した意味では非常に画期的ですね。法律なんて生まれてそれがいいんじゃなくて、それをどう成長させていくか国民にも責任があるわけで、何をしていくべきか、自分らに返ってくる話ですよ。

松永氏 障害者自立支援法を前提として、そこから就労と所得保障問題を攻め込んでいく。できないではなく、みんなで一緒にやりましょう。

竹中氏 だからね、厚生労働省のセミナールームで、障害者雇用の担当職員や企業の人事担当者に集まってもらい、ベッドの上だってチャレンジドの人達が教える側にまわれて稼げる、そういう話を聞いて体験して初めて意識が変わる。どうアピールするか、プレゼン能力も問われるわけですよ。

会長 プレゼン能力はあるよね。障害者自立支援法ができて、どういうところが伸びてほしいですか。

竹中氏 いろんな働き方の創出。雇用という形で働きたい人達の道筋も当然必要。それから、アルバイトや自営、ベッドの上で社長をやりたい人だっている。日本の障害者の世界で何が一番間違っていたかといったら、選択肢が無かったこと。私らはたくさん選択肢を持っているから無い人のことをよく考えないんだよね。選択肢をどれだけたくさん設けられるか。就労で力をつけて雇用に移るなど柔軟にできるよう、障害者自立支援法と障害者雇用促進法の改正にあります。でもあまりにも応益負担の話ばかりでそこらへんが全くというほど語られていない。

松永氏 よく福祉関係でね、働くとはチマチマした仕事でも良いから何かに携わなければいけないと思っているんですね。コインランドリーで働きたい人に「毎日出てきてね」と言って雇用しましたが、月に1回の出勤では雇用契約は結べませんね。区分判定をしたら雇用者の28人が生活介護対応の判定でした。

会長 とても雇用、就労には向かず障害が重いということですね。というように普通は見られていると。

松永氏 障害の重い人も雇用されて、普通に働いていますよ。

いいものを提供する

会長 松永さんのところでは、中学校の給食の仕事を受けているとか。

松永氏 給食も障害者の働きぶりが評価されて学校給食の話がきたんです。これまでの学校給食は画一的メニューで摂食率は75%位でしたが、私共はランチルームでのメニュー選択ですから利用が97%、3%は欠席の方です。

会長 それは味も良くなったという意味ですかね。

松永氏 まあおいしいのでしょうね。野菜類は自分達で作ったものを優先。そして"勉強ができる食事"というのを貼り出すとウケますね。その中身は、早寝早起き朝ごはん。食事をしっかり摂ることが大切。脳は寝ていても400カロリーのブドウ糖を消費する。夜に間食し朝ごはんを食べないと、出てきてもぼけーっとする。学校では朝礼で倒れると危険だから座らせる。それで地べた族が増えた。教育の基礎は食育です。

出会いの場は10人10通り

会長 プロップ・ステーションでは、知的ハンディのある方はどうしていますか。

竹中氏 知的なハンディがあるとコンピュータは無理だと言われた。昔、知らないから。でも、面白そうだとテープレコーダーをガチャガチャ触っていたら、いつのまにか自分の好きな曲を聴いているって子はたくさんいるでしょ。なのにコンピュータなど高い物を触って壊したらいかんと言われる。知的ハンディのない人が仕事の道具として使うために勉強するのと、知的ハンディのある人がまず面白い道具と思って触ろうとする場をつくるのと、結果は同じだけど人口は違わないとね。10人いれば10通りのやり方でコンピュータとの出会いの場を作ればいいだけ。重い自閉症の子が走り回り10秒位座って触り、また走り回る。その子の好きな音や絵が出るように設定しておけば、座る時間が増えていく。教えなくても、触っていたら自然と線が引けたり色をつけられたり。自閉症の人は人間関係は難しいんですが、機械との相性はいい。興味もったら何時間でもやる。そして面白い絵は、一流のデザイナーを連れてきてセンスはどうか見てもらう。カタログ通販会社のフェリシモと組んだ例もあります。知的や精神にハンディのある子がプロと作り上げた一品もののバックが、今フェリシモ製品売れ筋ベスト10位に入り、年間1億円の売り上げ。プロップ・ステーションはそういう人と組んだだけ、プロップが稼いでるのとは違う。

一流になりたいから一流の人と付き合う

会長 どうしたら一流のデザイナーが吸い寄せられてくるの?

竹中氏 おかしなことに、日本の福祉の世界ってお世話をしたいと優しい人は多いけれど、ビジネスのプロってほとんどいないんですよ。言っときますけど、人間、趣味程度の人に習ったものは趣味以上には絶対ならない。物作りでも何でも全てそう。でも人間一流になればなる程、稼ぐだけでは嫌になる。社会へ何ができるか、人間の心理なんです。

会長 そこを刺激するわけだ。松永さんの給食だって一流を作り出している。仕事の誇り、原動力となっていますよね。

松永氏 例えば京料理のコック長さんに教えを請うのは、一流になりたいから一流の人と付き合うのです。

会長 大事なことだね。皆ね、障害者の世界では一流なんてとんでもないと思っている。

松永氏 一流の人がいない独特な世界に浸り、そういう人がゴロゴロいる一般社会に立ち向かえる仕事を求めても無理ですよ。日本の福祉は雇用就労に本気で取り組まなかった。今、本気でやろうという人間がいろんなところで動き始めています。

原点は障害のある子どもを持つ親の願い

会長 ソーシャルベンチャーというか、障害者雇用の革命みたいなことをしているんだよね。

竹中氏 私の場合はね、自分の娘を残して安心して死にたいんだから、こだわりや革命というよりは「おかん」の部分ですよ。やり方はハチャメチャ、不良やしね。

松永氏 私もね、活動を始めたきっかけがあるんですよ。子どもが幼稚園では仲良くするのに、ご近所では康ちゃんアホやから遊んであげないと言われ、遊んでほしさに頂いたクッキーをみんなに分け与える姿を見た家内が涙ぐむ。家族が言ったことを代弁するんですよね。またある時、南極大陸で遊覧飛行が墜落した報道を見て、家内が「康ちゃんたくさんの人が死んでかわいそう」と言うと、子どもは「かわいそう」と言い、「康ちゃんとお母さんのとこに飛行機が落ちてくるといいね」と言うと、「来るといい」とはしゃぐ。それは東京旅行の思い出があるからで、子どもは楽しく生きたいと思っているのに、母親は障害があるから、死にたいと思っている。子どもに障害があっても安心して過ごせる社会にしたい、それが原点です。

社会は変えられる

会長 松永さんのところでは二百数十人が雇われているけれども、それを通じてまわりの社会を変えているという思いはないですか。

松永氏 まず行政が変わり、地域が変わります。新興団地は障害者施設の受け入れに難色を示す傾向が強いですが、田舎だとそれが逆。ボートに乗っていて、溺れた人から救いを求められたら「定員いっぱいだから」と言えませんよね。それで働く拠点がどんどん増えた、仕事も一緒。今、従来の施設内の仕事を施設外の企業内授産へ移行するよう、企業に働きかけています。5割から2倍に生産性が上がりますから。

会長 ナミねぇも、16年やった中で変わってきた実感はありますか。

竹中氏 ユニバーサル社会をつくろうと、省庁横断事務次官会議(厚 生労働省、文部科学省、国土交通省)を立ち上げて数ヶ月になります。福祉労働では、ITを使ってチャレンジドの人達の商品が世の中に出る方法を考える。教育では、チャレンジドの人達が教える側にまわる。うちでは当たり前だけど日本の社会では習う側でしかない。それも高等教育を受けて教員資格をとる仕組みを作って先生になる方法と、もっている能力で、教員資格は無いけれど非常勤講師として先生をやれる方法。国づくりでは、福祉、教育、就労などの情報等バラバラなのを、どんな人も取り出しやすい媒体で引き寄せられるようにする。三省それぞれがテーマを出し、最後に霞ヶ関Kプロジェクトとして法律に落とし込むにはどうするか。

会長 義務教育の小学校、中学校に車イスの先生とかいるといいよね。

竹中氏 知的ハンディでアートが得意な子が、美術の大学の講師になった実例が一個ありましてね、それをモデルとして広めたい。一個のモデルが百を実現するファクターになる。百を千、万にしようと思うとこれは法律の仕事。だけど百までは私らでやれます。

さあ日本を変えましょう!

会長 なるほど元気の出る話。それではこれからどうしていくのか、皆さんへ投げかける言葉をお聞かせください。

松永氏 私のところでは、その改編と事業の自立化を掲げて、経営の品質の改善と人材の育成に取り組んでいます。福祉関係の社会は画一的で、多様性がないんですよ。全国一律なところを見直して、そして地方自治体が独自の障害者の就労雇用支援対策をやる。市町村が雇用目標数値を出し、障害者雇用事業所に雇用支援金月額3万円を支給する制度などは、既に横須賀がやってます。自治体は年間36万円の負担になりますが、国民健康保険の医療費に一人40万円使われている負担額が社会保険に変わり、自治体の福祉コストが収支ゼロになります。支援費の単価を上げるだけではなく、制度を変えて努力したところが報われる社会にしたいです。

会長 それじゃ、ナミねぇはどうでしょう。

竹中氏 ナミねぇの性格だからやれることも多いのですが、でもポイントはプロと組むとか、自分のできないことをできる人と組む。誰でもやろうと思ったらやれることなんですよ。あとそこに図々しさがあるかだけで、それは図々しい人を入れたらいいこと。そのノウハウを宮城でも取り入れて、プロップ・ステーションと情報交換しながら一緒に日本を変えましょう。私達としては、神戸が本部ですが、東京の事務所を整備したい。今、ホームページのアクセスビリティが大きな問題になっています。その世界の超一流の先生でチャレンジドの人達が勉強でき、稼げる道をつくりたい。技術を磨いた人が自ら働けるようにしていきたい。

会長 皆さんにとって、今日これは使えると思ったものは是非使ってください。マネしたら誰でもやっていける。そういう普遍性があるということを聞きました。ありがとうございました。

[写真]鼎談の様子
お二人の実践話に元気をもらいました

「入所施設からケアホームへ移った我が子を見て」
─ 実践報告「宮城県船方コロニー第一次地域移行計画 の3年間を終えて」の中より ─

講演者紹介

芳賀道郎はがみちろう
"故郷に近い場所でのふつうの暮らし"をめざし、障害者の地域生活移行に取り組む宮城県船方コロニー。言葉を話せない、裸で走り回り道路に寝そべるなど重度の知的障害があり生涯入所施設から出られないと考えてきた父親が、平成14年の船方コロニー解体宣言をどう受け止めたか。その後、自宅をケアホームに改修し、そこで暮らす我が子の姿に、今どう感じているか。講演の一部を紹介します。

●息子の誕生

宮城県ほたる学園、宮城県船方コロニーと、約30年も大規模施設にお世話になりました。難産で発達に遅れがあり病院まわり。最後は医師から「鼻汁やよだれを流してぼんやり突っ立っているお子さんにしたいか、うんとうるさく多動なお子さんにしたいか?」と問われ、多動を選びました。通院は片道約1時間半、車中から見える道路脇の看板に興味を持ち私たちに読ませては喜ぶうちに、文字が自分の気持ちを伝えることを覚えました。牛乳が欲しいと新聞から「ぎゅうにゅう」と文字を拾うようにね。

●入所施設へ入所させることへの苦悩

小学生の頃、福祉事務所から施設に入れませんかとの誘いに、家内は「あんたの子どもなら入れますか?」と断り続けました。ところがある日、いなくなって町内放送で捜索したことがありました。お風呂に入ろうとしたらしく丸裸で道路に飛び出したところを無事保護。施設に入れることを決めました。

●宮城県船方コロニー解体宣言と親としての決意

解体宣言にはびっくりしました。生涯コロニーに居られるとの頭でしかありませんでしたから。説明会で「重度知的障害者ですが…」と質問すると、「重介護型グループホームを作ります。本人のためにいい」との返答。当時、登米市には受け皿がありませんでした。家屋1棟をグループホームに活用してもらおうと考えたところ、社会福祉法人恵泉会が手を挙げてくれました。「お宅の息子さんも」と言われ、息子は私たちの隣の家屋に戻ってきました。

●息子も家族も幸せな今

息子は50音の文字盤で意思表示。日中は施設で活動。夜間や休日は仲間や職員と食事をし、レコードやテープを聴いたり出かけたり。大規模施設で多くを学びたくましく育ちましたが、自分の家の近くや家族と一緒、それが本人の望む形ではないでしょうか。こんなに多動で難しい子どもでも大丈夫。心の安定ですかね、生活態度が本当に落ち着きました。そのまま施設へ置いたならば後悔しようもありません。息子も私も幸せな毎日を過ごしています。

[写真]
息子も私も今が幸せです

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