月刊「清流」 2007年3月号より転載

小さな力を積み重ねて

娘を思う母心から始まった小さな活動が社会を変える大きなうねりに

竹中ナミさん

16年前に「プロップ・ステーション」という草の根団体を立ち上げ、「チャレンジドを納税者に」というスローガンを掲げて障害者の自立支援を始めた「ナミねえ」こと竹中(たけなか)ナミさん。
この型破りの発想が今、福祉の世界に新しい流れを生み出しています。
その軌跡をうかがいました。

[写真]竹中ナミの写真

たけなか・なみ●昭和23年、兵庫県生まれ。社会福祉法人プロップ・ステーション理事長。重度心身障害の長女を授かったことから、独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。平成3年、草の根のグループとしてプロップ・ステーションを発足。同10年、厚生大臣(当時)認可の社会福祉法人格を取得、理事長に。ITを駆使してチャレンジドの自立と社会参画、就労の促進を支援する活動を続けている。財務省財政制度審議会委員、総務省情報通信審議会委員、内閣府中央障害者施策推進協議会委員などを歴任。著書に「ラッキーウーマン」がある。
http://www.prop.or.jp

このままでは娘を残して死ねない

「プロップ・ステーション」(略称プロップ)はIT(情報技術)を活用したチャレンジドの就労支援組織で、現在、週に10コースのコンピュータ・セミナーを開催。技術を習得した全国の在宅チャレンジドが自宅や施設、あるいは病院のベッドの上で、プロップが企業や行政から受注した仕事に従事している。その数はすでに400人にものぼるという。

「チャレンジドとは"神から挑戦という使命やチャンスを与えられた人"という意味。障害をマイナスと捉えるのではなく、障害をもつゆえに体験するさまざまな事象を自分自身のため、あるいは社会のため、ポジティブに生かしていこう。そういう想いをこめて、プロップが提唱している呼称です」

今でこそ福祉の世界に身を投じるナミねえだが、かつては筋金入りの「ごんたくれ(不良)」。小学生の頃から家出を繰り返し、挙げ句の果てに高校1年で同棲、結婚。「不純異性交遊」で高校は除籍になった。そんなナミねえがこの活動を始めたのは、24歳のときに重度心身障害をもつ長女・麻紀さんを授かったことがきっかけだ。

「娘に障害があるとわかったとき、父は"わしが麻紀を連れて死んだる"と言い出した。"お前が不幸の目に遭うのを見とられん"と。2人を死なせるわけにはいかない。それで、障害があってもどうすれば娘と楽しく生きていけるのか。障害者福祉や社会の仕組みを学び、自分なりに納得できる答えを探しました」

その課程で、「障害者は保護の必要なかわいそうな人」と決めつける今の日本の福祉システムに反発。障害をもっていても自分で働いて稼ぎたい、社会参加をしたいと望んでいる人はたくさんいる。多くのチャレンジドと出会うなかで、そのことを知り、働く意欲をもつ人が就労のチャンスを得て社会参画できる社会を、と考えるようになっていった。

「そうしてすべての人が、もてる力を発揮して支え合う社会の仕組みをつくっていかないと、娘を残して安心して死なれへん。そう思ったんです」

[写真]セミナー風景
プロップ・ステーションでは、チャレンジドをはじめ、シニア、ITのスキルを高めて就労チャンスを得たいと考えている人々を対象に、セミナーを開いている。講師には、ここでセミナーを受けたチャレンジドもいる

すべての人が誇りをもって生きられる社会に

こうして大志を抱き、プロップを立ち上げたのが平成3年5月。とはいえ、スタート時の仲間はたったの4人。仲間のお金を全部足しても、資金は百数十万円しかなかった。それでもチャレンジドと一緒になって、「これぞ支え合いの極致」という活動を生み出すんだ、という意気込みに燃えていた。

「幸い、"ナミねえは鉄の心臓に苔が五重に生えている"と言われているほど、私はどんなお偉いさんの前に出てもへっちゃら(笑)。この心臓と達者な口を武器に、支援者のネットワークづくりに励みました」

IT社会の到来に加え、急速に進む少子高齢化。時代の変化も味方した。今のうちに世の中をどうにかしないとたいへんなことになる、と危機感をもつ人がプロップの運動に次々と共感。気がつけばチャレンジドやその家族だけでなく、政官財などさまざまな分野で活躍する人たちが応援団として集まってくれるようになった。

そして10年には、社会福祉法人格も取得。設立に際しては、マイクロソフト・ジャパン社長(当時)の成毛眞(なるけまこと)さんが、なんと基金1億円を支援してくれたという。

「なんでも自分たちで用意しようと思ったら、それが足かせになってなんもできんようになる。ないものはSOSを出して、助けてくれる人の協力でそろえればいい。お金も人材も場所もすべてね。プロップはそうして階段を一歩ずつ上がってきたんです」

そんなナミねえは、「どんなことでもそうやろうけど、前例のないことを始めるのはしんどい。でも困難が大きいほど、クリアしたときの喜びも大きい」と言う。そのパワーの源は、もちろん娘・麻紀さんの存在だ。

「娘は私にとって四葉のクローバー。自然界のなかでは異端かもしれないけれど、幸せのシンボル。親や教師もできなかった私の更生を、娘がしてくれた。すごい奴です」

昨年4月には障害者自立支援法が施行。さらに今は、すべての人が誇りをもって生きられる社会にと、「ユニバーサル社会基本法」の実現に向けて国内外を飛び回る日々。

どんな夢も一朝一夕では成し遂げられない。ましてや社会を変えようというのならなおさらだ。けれども継続は力。障害をもつ娘の誕生から始まったナミねえの活動は、16年の歳月を経て今、時代に大きなうねりを巻き起こしている。 (文・城有眞紀子)

[写真]
「第11回チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)2006国際会議 in TOKYO」の記念写真

ページの先頭へ戻る