子供時代を過ごしたのは、戦後も貧しい時期。当時でもつましい家庭で育ち、「堅くなったパンに霧吹きで水分を含ませて柔らかくして食べ、友達に笑われたことがあるんですよ」と苦笑する。
だが、ディズニー映画が公開されると、母親は必ず映画館に連れて行ってくれだ。「白雪姫」「砂漠は生きている」…。カラーの大画面には、夢のような世界が描かれていた。
「入場料は決して安くはなかったはず。でも、母は、ディズニーの映画が夢や希望を与えると信じていたんだと思う」
「シンデレラ」もその一つだった。シンデレラを慕うネズミや小鳥が、歌いながら楽しげにドレスを縫う。着飾ったシンデレラが振り向く姿。魔法使いがつえで、カボチャを馬車に変える。
「すべてがキラキラと輝き、人間が想像する世界ってすごいな、と目を奪われた。おかげで"夢見る夢子"になり、子供のころ、バレリーナや女優など、さまざまな将来像を描いたんです」
漫画好きにもなった。「ドラえもん」や「鉄腕アトム」、「月光仮面」などを読みあさった。漫画家を目指し、通信教育で学んだ時期もあった。今も「モーニング」や「ビックコミック」などの雑誌を欠かさず読む。
「絵は、想像力をかき立てる。悩んだとき、行き詰まったとき、日常から離れてドラマを感じ、『なんて小さなことでくよくよしてたんだ』と思わせてくれる。漫画は暇つぶしではなく、不可欠な栄養剤」
24歳のとき、重症心身障害がある長女を出産した。自分がいなくなっても娘が生きていける社会にしたいと18年後の1991年、「プロップ・ステーション」を設立。パソコンを活用した在宅作業など、障害者の仕事を創出し、自立を支援している。
「日本で、チャレンジド(障害者)は、チャンスよりも保護が必要な人と位置付けられているのが、残念。人間にとって最も大切なのは誇り。すべての人が、可能性を発揮できる社会にしたい」
目標は、安定した就労を前提に、障害者が納税という形で社会を支えるシステムを構築することという。
「私がすることって、突拍子もないと思われがち。だけど想像力があれば、思わぬことも一つ一つ、形になっていく。想像するすばらしさは、ディズニー映画が伝えてくれた大切な贈り物です」
(記事・佐藤 由里 写真・水田日出穂) |