潮 2006年10月号より転載

世界を駆けめぐる義手義足の弁護士。

竹中 ナミ

先天性四肢欠損症の少年は、父親から自立心とユーモアを受け継ぎ、障害者の自立のために世界中を走る。

[写真]ジョン・D・ケンプ(弁護士)
米ウォシュバーン大学法科大学院修了。現在、ワシントンD.C.の法律事務所のパートナー弁護士。先天性四肢欠損のため、義手義足で生活を送る。アメリカ障害者協会(AAPD)の共同設立者となるなど、多くの障害福祉関連団体、機関の役員・理事を歴任。2003年5月にウォシュバーン大学法科大学院より名誉法学博士号を授与され、2006年3月に米国における障害者のリーダーへの最高の栄誉であるヘンリー・ビー・ベッツ賞を授与された。

両手両足のない弁護士

「できるだけ多くの人たちの人生が、より良いものになるように、努力していきたい。そして、そのなかで、人生を愛し、生きているということを楽しんでいきたい。これが、私のモットーです」

ケンプさんは、1971年に米ジョージタウン大学を卒業、74年にウォシュバーン大学法科大学院を修了し、弁護士資格を取得(しゅとく)した。

ケンプさんには、両手両足がない。先天性(せんてんせい)の障害で、生まれたときから腕と膝から先がなかったのである。原因は不明だが、妊娠中(にんしんちゅう)に母親が服用(ふくよう)した、つわり用の薬の副作用(ふくさよう)ではないかと推定されている。障害を日本語で示せば、「先天性四肢欠損(せんてんせいししけっそん)」。『五体不満足(ごたいふまんぞく)』の著者(ちょしゃ)である乙武洋匡(おとたけひろただ)氏の持つ障害に近い。

移動手段は電動車(でんどうくるま)イスだ。義手(ぎしゅ)でレバーを器用(きよう)に扱(あつか)って動かす。レバーの手前側には亀が、奥にはウサギが描かれている。「ウサギのほうにレバーを押せば速くなるんです。だいたい10キロくらいは出るかな」と自慢(じまん)げに、いたずらっぽく笑った。彼はこの"足"で、全米を、そして世界を駆(か)けめぐっている。

ケンプさんの仕事は、多岐(たき)にわたる。パートナー弁護士、つまり共同経営者として名を連(つら)ねる法律事務所(Powers.Pyles. Sutter & Verville,P.C.)は、医療や福祉、保険、健康などを専門とする全米有数(ゆうすう)の事務所だ。彼はここで障害者の権利保護や地位向上のために働いている。また、米国務長官の諮問(しもん)委員会である障害者支援政策担当委員会や、低所得者の医療扶助(いりょうふじょう)制度諮問機関のメンバーでもある。90年に成立した法律「ADA=障害を持つ米国人法」の制定にも貢献した。これは、雇用(こよう)などにおいて障害を理由とした差別を禁止した画期的(かっきてき)な法律だ。さらに、アメリカ障害者協会の共同設立者となるなど、多くの障害福祉関連団体、機関の役員や理事を務めている。これらの仕事の合間(あいま)を縫(ぬ)って、全米だけでなく、世界各地での講演活動を精力的に行っているのだ。

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ケンプさんと竹中さん

重度の障害を持ちながら、これほどの成功を収め、いまもなお溢(あふ)れんばかりのバイタリティで行動できるのはなぜか。この疑問にケンプさんは、明快に答えた。
「父のおかげです」

ケンプさんが1歳3ヵ月のころ、母親は子宮(しきゅう)ガンで亡くなっている。子どもは3人。ケンプさんのほかに当時5歳の姉と、生後3ヵ月の妹。

「親であれば誰でも分かると思いますが、そもそも健康な子どもでも育てるのは大変なんです。もし障害を持っている子どもが生まれたら、離婚や一家離散(いっかりさん)など家庭が崩壊(ほうかい)することも珍しくありません。でも、父は、その場にとどまり、闘いました。父の奮闘(ふんとう)のおかげで、我(わ)が家(や)は一つの家庭として存続(そんぞく)できたのです」

父親はジョン少年に「お前は将来、社会の一員として活躍していける。学校に行っても、他の子どもたちと変わらずに生活するようになる。大学にも必ず行けるようになる」と常に語り続けた。

父親の言葉によって、ジョン少年の毎日の生活は、些細(ささい)なことまで、"一大プロジェクト"に変貌(へんぼう)した。

「将来、仕事をするようになったら、ひげを剃らなければならない。だから今から練習しておくんだ」と父親は教えた。ジョン少年にとっては、「ひげ剃り」の練習が、将来、仕事をしている自分の姿に結びついた。「家庭でも、平等に、普通に生活していきなさい」という父親の言葉も、ジョン少年が学校で、社会で、他の子どもたちと一緒に、平等な生活を送るためのプロジェクトの一環(いっかん)となった。

もちろん、へこたれることも、父親の励ましをプレッシャーに感じることもあった。将来に不安を感じるときもあった。しかし、父親は決してジョン少年を甘(あま)やかさなかった。

ジョン少年は、養護(ようご)学校ではなく、一般の学校に通った。彼は当初、他の子どもたちが受け入れてくれるのかという恐怖を感じていたが、予想通(どお)り、いじめられてしまう。

父親はジョン少年に「障害」と「ハンディキャップ」との違いを説明した。障害とは、身体や臓器(ぞうき)の機能が損(そこ)なわれた状態のことを指す。ジョン少年に当てはめてみれば、四肢欠損という状態がそれだ。ハンディキャップとは、本人とは関係のない外的要因から生じることである。たとえば、手が使えずに扉が開けられないことや、段差があって動けないこと。周囲の無理解のために、嫌(いや)な思いをさせられることもハンディキャップに含まれる。

このように説明したうえで父親は、「生まれつきの障害も、いじめられることも、お前の責任じゃない。悪いのはクラスメートたちだ」と断言した。

「もちろん、父はそう言いつつも、『だからといって、みんなが同情し、支えてくれるわけじゃない。できるだけ自立していかなければいけない』と教えてくれました」

ジョン少年の内面は、徐々に変化を遂(と)げていく。

「自分のことを好きになれたんです。一人の人間としての自分が好きだし、障害を持っている自分が好き。また、社会の一員として活躍している自分が好き。それぞれの自分を本当に好きになれました。そして、自信を持てるようになったのです」

課題に挑戦し、乗り越えたときには、達成感を味わえる。果(は)たすべき責任を果たしていけば、自尊心が生まれる。だが、適切な目標設定がなければ、不要な挫折(ざせつ)感を味わうことになる。自分の責任範囲を明確にしなければ、いつしか空虚(くうきょ)な気持ちになる。父親は、絶妙(ぜつみょう)な判断で、ジョン少年を導いていった。

「でも」とケンプさんは続ける。
「父はさまざまな教訓(きょうくん)を与えてくれましたが、それ以上に、いまの私を作ってくれた大切なものがあります。私の家庭には、常に笑いがありました。明るい家庭で、家族で一緒にいることが楽しかったのです。私は笑うのも好きだし、話すことも大好きです。父がそんな家庭を作ってくれたからこそ、私も明るく、積極的な人間に育ったのだと思います」

ケンプさんの父親は現在87歳。パーキンソン病の症状が見られ、歩行が困難になっているが、頭はクリアだという。

健常者と障害者の壁を乗り越えるには

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幸福の出発点は、自分自身を尊敬し、好きになることです。
誰にも自分にしかない価値があり、社会の一員として生きる権利があるのです。

今回、ケンプさんが来日したのは、第11回チャレンジド・ジャパン・フォーラムでの講演のためである。チャレンジドとは、米語で障害者を指す。「神からの挑戦――あなたなら、この試練(しれん)を受け止め、乗り越えることができるはずだ――を受けている人」という意味が含まれている。

フォーラムを主催する社会福祉法人プロップ・ステーションは、障害者を弱者とし、保護や隔離(かくり)の対象とする日本の福祉政策を転換し、一人でも多くのチャレンジドが自立し、貢献できる社会形成を目指している。プロップ・ステーションの代表を務める「ナミねぇ」こと竹中なみ女史とケンプさんとは、互いの尊敬の念に基づいた長年の交流を結んでいる。ケンプさんの来日は、「太平洋を越えた友情」の賜物(たまもの)だ。

ケンプさんは、障害者と社会との間にある壁を乗り越える鍵は、「教育」にあると指摘する。障害者たちは、社会が彼らを受け入れる態勢になっていないために、引きこもりがちになり、自らの可能性を殺してしまう。一方、社会のほうも、あえて差別する意図はなくても、障害者に対してどう接してよいのかが分からず、不安や不信を感じる。無知のために、障害者を受け入れられない面がある。

「今回のフォーラムでの講演者は、スウェーデン、タイ、アメリカから来ています。全員が、健常者とともに教育を受けた経験を持っています。これは非常に重要なことです。

私の場合、障害を持っているのはクラスで私でした。周囲の生徒たちは、私を見て『障害を持つ』とはどういうことかを学び、私自身も、健常者と一緒に過(す)ごすことで『健常者』について学びました。互いに共存できるように、互いの現実を学び合ったのです。こういう経験があれば、どう接してよいかで戸惑(とまど)うことはありません」

ケンプさんは、子ども時代に、障害者と健常者が別の学校・施設で過ごすことの弊害(へいがい)を力説した。一度できてしまった壁を乗り越えるのは非常に難しいからだ。

「子どもの頭脳は柔軟です。子どもたちは、ちょっとした身体の違いを、『個性』と捉(とら)え、容易に受け入れることができます。だから、子ども時代の教育が重要になるのです」

では、固い頭を持つ大人に理解させるためにはどうしたらいいのか。

「まず、障害が生きるうえで特別なことではないということを認識させる必要があります。誰しもいずれは老いて、『障害者』となり、障害とともに生きることになるからです」

アメリカ人は、平均しておよそ13年間、何らかの形で障害を抱えるというデータがある。障害者から目を逸(そ)らし、在宅を受け入れられない人も、障害と向き合うようになることは避(さ)けられない。

どんな人でも「幸福」になれる

ケンプさんは現在、二つの問題意識を持っている。一つは、障害を持つ社会的リーダーの育成。どうしたら障害者が、社会で指導的役割を果たしていけるかを模索(もさく)している。もう一つは、障害者の政治意識を高めること。障害者は、自分とは関係ない意識から、選挙の投票に行かない傾向があるという。障害者が一市民としての自覚を持ち、社会変革に声を上げるようにしたいと語る。

「私の心が、もっとも自由に解放される瞬間とは、障害者が自立するために、自分が役に立てるときなんです。仕事・職業のこととか、教育の機会を与えることとか。これからは、社会の中で成功できるような糧(かて)を与えられるようになりたいと思っています」

取材の最後に、ケンプさんにとって「幸福」とは何かを聞いてみた。「難しい質問だ」と笑い、少し考えてから、こう答えてくれた。

「まず、幸福の出発点は、自分自身を尊敬し、好きになるということだと思います。そして、自分には、自分にしかない価値があり、社会の一員として生きる権利があるということを認識すること。

次には、友人や家族の信頼を得られる人間になるということ。そして、自立です。しっかり仕事をして税金を払い、自分で生活もでき、なおかつ社会にも貢献できるということ。そして最後に、人生を楽しめるということ。これが私にとっての幸福です」

ケンプさんはさらに、「自分はいったい何者なのか」「自分と他者とはどういう関係にあるのか」「自分と自分を取り囲む環境とはどういう関係にあるのか」を理解する精神的な営(いとな)みのなかに、幸福はあると指摘した。

幸福の本質は、物質的欲望とも、身体的障害とも関係がない。だから、どんな人も幸福になれる。そう思っているからこそ、ケンプさんは常に明るく、希望を失わない。そして、これからも多くの人の幸福に貢献していくのだろう。父親の教えを実践(じっせん)しながら。

(取材・文/岡尾一郎)

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