毎日新聞 2006年8月26日より転載

いきいき 人生 池田知隆の「団塊」探見

障害者が収入を得て 納税者として社会を支える道を

関西から「ユニバーサルの風」を広げる 竹中ナミさん(57歳)

たけなか・なみ 1948年生まれ。ITを活用した障害者の就労を支援する「プロップ・ステーション」理事長(本部:神戸市)。著書に「ラッキーウーマン」などがある。


「すべての人が誇りを持てる社会に」と語る竹中さん

「チャレンジドを納税者にできる日本」をスローガンに、障害者の就労支援活動を始めて15年になる。チャレンジド(challenged=挑戦する人)とは、障害という課題に挑戦する人というポジティブ(前向き)な意味を込めた米語だ。

「日本では、障害者は保護の必要なかわいそうな人と見なされがち。でも、障害者が収入を得て納税者として社会を共に支えていかなくてはなりませんよ」

自らを「学歴は中卒。障害児を抱えたバツイチの57歳のおばちゃん。それから体重もすごいんです」とあっけらかんと語るから、大抵の人がファンになる。いつしか国内外の官僚、自治体関係者、企業、団体の間に多くの仲間が広がり、誰もが親しみを込めて「ナミねえ」と呼ぶ存在だ。

東京で先月主催した「第11回チャレンジド・ジャパン・フォーラム2006国際会議 in TOKYO」には政官界のトップが顔をそろえた。「ユニバーサル(共助)社会の実現」に向けて、関西から熱っぽい風を吹き込んだが「チャレンジドの合言葉はじわじわと広がってきたけど、まだまだね」と語る。

〈神戸市生まれ。旧京都帝大卒の父は大会社の幹部候補生だったが、レッドバージの余波で解雇される。内職を続けた母は、女性解放運動に関心を持ち続けた〉
親からは「お前の人生、好きなようにしたらいい」と言われて育ち、「ゴンタクレ(非行少女)になりましたよ」と振り返る。
〈高校1年で同せいし、結婚。高校は除籍になった。22歳で長男が誕生し、24歳の時に授かった長女に重い脳障害があった〉
「わしがこの孫を連れて死んだる、と言うのでびっくり。父を死なせないためにも、私たち親子が楽しく生きるしかないと思いましたよ」
障害福祉や社会の仕組みを学び、障害者を気の毒な弱者と見なす考えに違和感を抱いた。
「障害者を哀れみ、施しの対象から見ると、障害者の可能性や社会進出の機会を奪いかねない。障害があっても、どうやって楽しく生きていくのか。自分なりに納得できる答えを探してきました」
障害者にも労働意欲があると91年、IT(情報技術)を活用した団体「プロップ・ステーション」をつくった。「プロップ」とは「支えあい」を意味する。講習料をめぐって「障害者から金を取るのか」と非難が出たが、「自立のために自己投資するのは当然」とはねのけた。
〈43歳で離婚。引き取った長女は国立療養所で預かってもらった〉
「娘の入院費の明細を見ると、月に数十万円も税金で負担してもらっている。そんな娘より先に安心して死んでいくためにも、誰もが支えあう社会をつくりたい」


明るい竹中さんの周りには笑いが絶えない――いずれも神戸市東灘区で、武市公孝写す。

自ら「つなぎのメリケン粉」と称し、ネットワークづくりは得意だ。98年、法人化に際してはマイクロソフト・ジャパン社長(当時)の成毛真さんが賛同し、基金1億円を支援した。

〈4月には障害者自立支援法が施行。さらに「ユニバーサル社会基本法」の実現に向けて奮闘中〉
団塊の世代が定年を迎え、日本は急激に高齢社会化が進む。
「その人に合った働き方を求めているのは、チャレンジドだけではなく、定年後も働きたい高齢者も同じ。障害があって生まれようが、人生半ばで障害者になろうが、誰にでも学ぶチャンス、働くチャンスを持てる日本にしたい」
熱っぽく劇的に生きた半生を振り返り、しみじみと語る。
「娘は私にとって四つ葉のクローバー。自然の中では異端ですが、幸せのシンボルです。娘のおかげで成長しました」
ちょっと一言
「重度の障害者も今やITを活用すれば、予想外の犯罪ができるんです」。そう逆説的に語る竹中さんの活動モデルは、米国防総省のコンピューター電子調整プログラム。最先端の科学技術を使って、最重度の障害者を政府職員や企業のリーダーに育てる機関で「すべての国民が誇りを持って生きられるようにすることが国防の第一歩」という考えだ。
人間にとって働くことの大切さ、障害がある人の社会参加のあり方について考えさせられた。チャレンジドという言葉が提起している課題は大きい。 (論説委員兼編集委員)

ページの先頭へ戻る