Bulletin 2006年7月号より転載

MCEI大使 訪問記

ふぁっとえばー

「障害者が納税者になる社会」の実現をめざして

MCEI大使 岸田 弘

「ふぁっとえばー」の取材に先立って

MCEI大使第2回の訪問は、今年4月に認定されたばかりのNPO法人「ふぁっとえばー」です。

実はMCEI大使の岸田が5年前の2001年6月、ある勉強会(サロン)で右半身と言葉が不自由な方が「障害があっても就労のチャンスが得られ、障害者が納税者になる社会につりたい」と訴える姿に共感を覚えました。

同年2月に定年退職し、失業保険の認定のために毎月ハローワークに通う中で、「就業の意欲と能力があっても全く仕事がない/その一方で保険金目当ての受給者を監視するシステム」に怒りを感じていた時だったので、「年齢を理由に働く機会を失う社会が、高齢者だけでなく障害者にも就業の機会を与えていない」と気づかされました。

この時の障害者が秋山岩生さん。南房総勝山町の自宅を拠点に、「ふぁっとえばー」を立ち上げるために支援者を求めていたのです。

以来、人脈紹介を手伝いながら活動を遠くから見守ってきました。今回、4月にNPO法人に認定され、6月10日には「第3回安房からのチャレンジド大会」を開催するとの案内を戴いたので、大会参加とインタビューで「ふぁっとえばー」を取材してきました。

過労が原因で中途障害者に。そして問題に真正面から取り組む

【岸田】先ずは秋山さんと障害について聞かせてください。

【秋山】1945年終戦の年に勝山で生まれ現在61歳です。1969年に日本大学経済学部を卒業、大阪と東京の繊維問屋に就職し営業を5年程経験しました。その後独立し、衣料品の卸業を始めました。最初は順調でしたがだんだん業績が落ち込み、手形の決済に悩む日々が続きました。月末やっと手形を落としホッとする間もなく、翌日から売上と資金繰りの苦労を続けていました。この心労から42歳の時、突然脳出血で倒れ、右半身が動かなくなり、字が書けず、計算も出来なくなりました。

障害者2級と認定され、千葉市内の障害者訓練校に通いリハビリを始めました。中途障害ですが障害を意識する前に「何で字が浮かんで来ないのだろう/何で一桁の計算が出来ないのだろう」と不思議でした。訓練校の帰りに内房線の車内で公文式をやっていると、勤め帰りで一杯やっている乗客から「何でこんなことが出来ないんだ。これは12だろう」と声を掛けられます。障害を意識しないということはこんなことだと思います。

その内、文字を探して文章を書くためパーソナルコンピューター(PC)を始め、意思の疎通が出来るよう努力しました。高校時代の先生の尽力でタナベ経営にも入社でき、シュレッダー作業等雑用をやらせてもらいました。最初の給与は9万円でしたが、3年後には32万円にもなり「何でこんなに戴けるのだろう」と思っていました。

仕事に恵まれホッとしたのも束の間、母が急逝し、その翌日母を追うように父が亡くなってしまいました。障害を機に妻子とも離縁をしていたので自分一人になりました。そこで京都の大家族集団一灯園で一生過ごすことにし、タナベ経営を辞めたのですが、何故か出発の直前に入居を断れ、家族も仕事も0になってしまいました。

この時、自分は経済学部を出ていても経理や実際の経済を知らないことに気づき、大原簿記専門学校に通い簿記3級の資格を取りました。

【岸田】秋山さんは悩む前に行動するのですね。

【秋山】悩んでいても解決しません。行動すれば何かの結果が出ます。

「障害者が仕事を創り、税金を納める」という活動との衝撃的な出会い

【岸田】その中で、どのようにして今の活動にたどり着いたのですか。

【秋山】新しい居場所として授産施設東京コロニーに通い、PCを使った訓練とリハビリをしていました。1997年、職員の方から「面白い話があるから聴きに行きましょう」と誘われたのが、東京大学で開かれた「第3回チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)」です。研究者、官僚、企業人、障害者の代表が次々登壇して提言・討論し、最新のテレビ会議システムが公開される等、夢を見ているようなフォーラムでした。その中心に重度障害者を娘に持つ竹中ナミさんがいました。彼女の講演を聞いて「わっ!こんな考えがあるのだ」と目からうろこが落ち、体が震えました。

「チャレンジドとは障害を持つ人のことだが、障害をマイナスに捉えるのでなく障害者が体験する事象を自分のため社会のために生かして行こう/チャレンジドを納税者にしよう/ITを活用して障害者にも仕事が出来る仕組みを創ろう」というものでした。

【岸田】私も「第1回安房からのチャレンジド大会」の基調講演で竹中ナミさんの提言を聞き感動しました。さらに彼女は「障害者が動ければ行政や支援者が動く。システムや法律が不備ならシステムを創り法律を変えればいいじゃないか」と発言していました。

【秋山】「こんなことが出来るんだ/こんなことを実際にやっているのだ」と共感し、竹中さんが代表を務める神戸の社会福祉法人プロップステーションで働かせてもらおうと知人の新聞記者に紹介をお願いしました。その時、記者の方は、「共感するなら千葉から同じ活動を起こすのが先ではないか」と言ってくれました。

【岸田】それが契機で「ふぁっとえばー」が誕生したのですか。

【秋山】いやいや未だです。竹中さんの提言に共感しても、具体的に何をして良いかが分からない。一所懸命PCで「千葉からチャレンジドを…/障害者を納税者に…」との趣意書をA4一枚にまとめ、千葉県内の市町村長全員に送りましたが全く反応がありません。一件だけ、ある市の福祉担当職員の方から問合せがあり、直ぐに連絡しましたが、その後連絡が途絶えてしまいました。

【岸田】思いが先行して、相手を動かす内容になっていなかったのですね。

【秋山】その通りです。でも当時は、そんなやり方しか出来なかった。

県庁に出向き窓口で説明を始めると窓口をたらい回しにされ、結局最初の窓口に戻ってくる。主旨が伝わらないのですね。

でも無心に活動していると学友や地元の人々が応援してくれるようになる。効果的なやり方やキーマンにたどり着く人脈を紹介され、これがネットワークになってきます。

【岸田】そんな時、東京湯島のサロンでお会いしたのですね。

【秋山】そうです。サロンを主宰する佐藤修さんが、提案の機会をつくってくれました。また、「ふぁっとえばー」の構想、趣意書、定款等を上手にまとめてくれ、活動に拍車が掛かりました。

一気に立ち上がった「ふぁっとえばー」の活動

[写真]
NPO法人「ふぁっとえばー」代表の秋山さん

【秋山】2003年の年初、突然県庁に呼ばれ堂本知事が主催する「第9回チャレンジド・ジャパン・フォーラム2003」を8月に幕張メッセ国際会議場で開催するのでその実行委員長をやって欲しいと要請を受けました。

「人前でまともに話もできない」と固辞し、すぐに神戸に竹中ナミさんを訪ね相談すると「あなたがやらなくて誰がやるの」と強く肩を押してくれました。今考えると、竹中さんが裏で仕組んでいたようです。

【岸田】フォーラムはいかがでしたか。

【秋山】初めて出会った第3回を大きく上回るフォーラムでした。テーマを「千葉からユニバーサルの風を」とし、2日間で12,000人が参加しました。竹中ナミさん、野田聖子衆議院議員、浜四津敏子参議院議員を始め、岩手・宮城・和歌山・兵庫県の各知事、そしてMSのビル・ゲイツ氏もビデオ対談で提言してくれました。

この会場に、「ふぁっとえばー」の支援者が聴衆として参加。この盛り上がった千葉からの風を追い風に、安房からの風を吹かせようとなって、翌2004年6月、全く手づくりの「第1回安房からのチャレンジド大会」を館山市内で開催、100人の参加者を得ました。

【岸田】先ほど話したように、私もこの大会で竹中さんの提言・経験を初めて聴き感動しました。

【秋山】この大会は個人のボランティアの方々が企画から運営まですべてやってくれました。大会の参加は無料とし、会場手配、講演の依頼、ポスターの掲示、プログラムの作成と広告の取り付け等、手分けをして準備してくれました。費用は総額150万円程度でしたが、寄付金と広告収入、講師の無償協力で赤字を出さずに済みました。

【岸田】その後どんな変化が…。

【秋山】「ふぁっとえばー」の形が整い、理解者と支援者が広がりました。これまでも元小学校教師で地域の文化活動、地域起こしをされている高橋稔さんが、房州日日新聞にコラムを週二回寄稿しており、ここで「ふぁっとえばー」の活動を機会あるたびに紹介してくれていました。大会後は、館山市の市報、JMAM発行の「人材教育」誌、読売新聞の安房版等に紹介される機会が増えました。

このような活動と成果が評価され、今年4月にNPO法人に認定されました。

【岸田】NPO法人になってどんな変化がありましたか。

【秋山】まだ大きな変化は見られません。でも地方銀行財団の活動支援に応募しても今まで相手にされなかったものが、今回は申請〜審査まで進んでいます。

啓蒙活動は順調だが、仕事創りはまだまだ

【岸田】「ふぁっとえばー」の主な活動と成果にはどんなものが…。

【秋山】最大の活動と成果は年1回の大会です。昨日を含め3回開催し、何れも大成功です。本当に感謝しています。今回も11人のスタッフがそれぞれの能力、資源を持ち寄り、手づくりの開催でしたが、どうやら寄付金や広告費で賄えたようです。

【岸田】その他の活動は…。

【秋山】私や支援者が、竹中ナミさんの主催するCJFや他の障害者セミナーに参加し、事例や人脈を戴き、活動への知恵と活力をもらっています。各フォーラムのパネリスト、施設の責任者、自治体の職員の方等、ご縁を戴いた方には私が出かけて行き、交流と支援をお願いしています。これでネットワークが次々拡大し、理解者、支援者がまた増えます。

遡って、2002年11月には館山のハローワークが主催した障害者の雇用促進合同面接会に求人側で参加しました。

【岸田】読売新聞の県南版に、1997年竹中ナミさんの提言に出会う直前に経験したエピソードとして「木更津の職安で『お前みたいな障害者で高齢者の働く場所などない。帰れ!』と職員から罵声を浴びた」と紹介されていました。その5年後求人者側という全く逆に立場になっていたのですね。

結果はどうでした。

【秋山】他の求人側と合わせ、合同面接に50名程度の参加者がありましたが、お互いの条件が合わず採用には至りませんでした。

【岸田】昨日のパネラーで市川市や和田町で更生施設、授産施設を運営する里見吉英理事長が「通所・通勤タイプの就労は、通勤手段や勤務時間等の制約が多く、その解決のために勤務地近くに住宅を借り、障害者が共同生活している」例を紹介していました。

【秋山】障害者には就業以前に通勤、職場環境等の制約があります。そのためにも、ITを活用した在宅勤務が望ましいのです。

2002年6月から半年間、館山駅直近の空き店舗を借りて、「ふぁっとえばー」の事務所を開き、「ちょこちょこ弐番館」を併設し、仲間の障害者施設でつくった焼き物・手工芸品等を販売しましたが全く売れませんでした。地元の商店が努力しても商売が難しい中で、福祉を売り物にしても売れません。

【岸田】昨日の大会のワークショップには、協賛企業の他に5つの施設が参加し、障害者が作ったパンやジャム、木工品等を販売していましたが、そこそこ売れていたようです。障害者支援を理解する人が集まっていて、お付き合いでお買い上げ戴いた部分が大きかったようです。

それでも売れた時、嬉しそうな表情を素直に出す障害者の姿が印象的でした。

[写真]大会の様子

1,000円の寄付より、1,000円の仕事を

【岸田】今まで横から見守り、今回の大会にも参加して感じるのは、広報・啓蒙活動の側面は大成功ですが、事業・財務の面が心配です。

私共MCEINPO 法人として財務が課題です。NPO 法人は、利益を出せば利益団体になってしまうし、赤字組織でも認められません。ぶしつけですが、事業の側面はどうなっていますか。

【秋山】おっしゃる通り、事業の面はまだまだです。NPO法人としての今年度の予算は230万円です。

【岸田】MCEIでは会員からの会費とセミナーの参加費が事業の柱です。「ふぁっとえばー」では、大会が寄付で運営され、参加費無料では、何が財源になるのですか。

【秋山】会費と点字名刺の売上げが柱です。

【岸田】点字名刺作成といっても、この事務所を拝見する限り、沢山仕事があるようには見えません。これで納税者になれるのですか。

【秋山】納税者への道は遥か遠くです。点字名刺は100枚で1,500円。注文を戴くとこのように私がPCで点訳し、指示書をつくり、作成委託している障害者施設中里ホームに送ると、昨日の大会で開会宣言をしてくれた岡田俊彦君が一枚ずつ丁寧に印字してくれます。1,500円のうち1,000円を「ふぁっとえばー」に残し、500円を岡田君に払います。

一般的に障害者の施策で仕事をすると1ヵ月5,000円程度の収入といわれています。岡田君は15,000円程度の収入があります。

【岸田】しかし、これでは納税者になれません。

【秋山】本当の納税者になるには小倉昌男さんが創設したヤマト財団の当面の目標、一人当たり月10万円の収入(と障害者年金)が必要です。残念ながら今の社会の仕組みの中では、障害者が施設で働いても月5,000円にしかなりません。

【岸田】マーケティングの現場にいる私共から見ると全く効率が悪いとしか見えません。「ふぁっとえばー」の会報を拝見していると点字名刺の仕事を創るのに秋山さんが紹介者を辿って見込み客に説得することから始めているようですね。

【秋山】できることから着実に成果を上げることが大事だと思っています。確かにスピードや効率から考えると未だ事業とはいえないと思います。ただ点字名刺は「視覚障害者だけのものでない/健常者の方々に使っていただくことで、点字名刺がコミュニケーションのきっかけになり、障害者への理解も高まる」と考えています。

何よりも印字作業に関わっている岡田君が生きがい・働きがいを持ち、大会で開会宣言をするまでに自信をつけています。この仕事を増やすことで岡田君のような人を増やすことができます。そうすれば「ふぁっとえばー」の職員も増やせます。

【岸田】設立趣意書にあったITを活用した事業の面はどうですか。

【秋山】現在は外房大原町の施設から会報の作成・印刷を引き受けています。このように(PC画面で)パワーポイントで入力・構成し、銚子の南にある旭町の提携施設の印刷機で印刷し、納めています。

【岸田】横持ち(資材・商品の移動)だけ見ても効率が悪い…。

【秋山】「ふぁっとえばー」と施設にお金が入ります。私たちは障害の程度に応じて仕事ができ、社会に役立っていることが実感できればいいと思います。

1,000円の寄付より1,000円の仕事の方がありがたいのです。

「障害者が納税者になる」ための課題は

【岸田】納税者になるには大変な道ですね。秋山さんの生活はどうなっているのですか。

【秋山】私は月6万円の障害者年金と親が残してくれた家の家賃5.5万円が収入のすべてです。この収入も「ふぁっとえばー」の活動のための交通費等で消えてしまいます。食事は玄米を粉にして食べていれば生きて行けるという教えを実践しています。

それでも、今私はとても幸せです。「障害者を納税者にしたい」という思いに共感し、大会が開かれ多くの支援者が集まってくれました。少なくとも倒れた時のように手形の心配がしなくても良くなりました。

【岸田】仕事を増やすことが当面の課題のようですね。

【秋山】堂本知事は2003年の大会で「今年を障害者雇用促進元年に」と宣言しましたが、その時の千葉県庁の障害者の雇用水準は47都道府県中44位でした。

岡田君は一日700枚の印字能力を持っています。フルに仕事があれば月20日で7万円の収入になります。これができれば納税者に近づけます。

今は、軌道に乗り出した点字名刺の仕事を確実に伸ばして行くことだと思っています。

【岸田】マーケティングの現場から見るともっと効率的な仕事はないかと考えてしまいますが。

【秋山】私共の経験と知識では今が精一杯です。皆さんの会員企業や個人の目から、「こんなことが出来ないか」と声を掛けていただければ幸いです。障害者の特性を考え、例えば「ゆっくりでも集中できる仕事/量は少なくても継続的な仕事」です。

私にご連絡をいただければどこにでもお伺いして、相談させて戴きます。

発注側の要望と障害者側の特性、個人の資質を加味して、「どうしたら出来るか、方法や仕組みを一緒に考え、今までにない仕事のやり方を創って行きたい/お役に立ちたい」と願っています。

【岸田】昨日のパネラーである元宮城県知事浅野史郎さんが「一般の人は福祉が嫌い。無縁のままで一生を暮らしたいと考えているが、高齢社会は誰でも加齢で障害者になる。この意識と社会の仕組みが変わらないと誰にとっても生きやすい社会にならない」と提言していました。確かに、私も記憶障害・運動障害が進んでいます。残念ながら他人事ではないようです。

2日間、どうもありがとうございました。

NPO法人:ふぁっとえばー
代表:秋山 岩生
〒294-0045 千葉県館山市北条1737
Tel&Fax:0470-30-9188
携帯電話:090-3339-5000
E-mail:whatever@skyblue.ocn.ne.jp

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