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月刊NEW MEDIA 2005年8月号より転載

 

「ユニバーサル社会」視察団同行記

 
 

教育がチャレンジドを変えていた!

 
 

 

  「すべての人々が持てる力を発揮して支えあうユニバーサル社会の実現」を提唱する竹中ナミ・社会福祉法人プロップステーション理事長と、これに共感して模索する野田聖子衆院議員、坂本由紀子参議院議員らの視察団が、米国ワシントンDCを訪ねた。
世界に先んじて障害者差別を包括的に禁止した「障害を持つ米国人法」(ADA)が制定15周年を迎える社会に学ぶためた。
本誌もこの視察に同行した。(レポート:中和正彦・ジャーナリスト/写真:中和正彦、鈴木重昭)
視察団一行の写真
GWUを訪れた視察団一行。視察全体をコーディネートしてくれたアイリーン・ザイツァーさん(前列左から2人目、元社会保健省)とジョン・ケンプさん(同3人目、弁護士)は、2年前、チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)千葉大会に招聘されて講演した経緯がある

支援は自分の障害について
きちんと説明できることから

 「政治の世界に進むつもりです」
 視察2日目、パウエル元国務長官も学んだ名門ジョージワシントン大学(GWU)を訪ねた時のこと。1年生のジェシー・メイヤーさんが、竹中理事長の「将来は?」との質問に、そう答えた。

 政界志望の動機は「人々のために働きたいから」で、夢は大統領の補佐官を勤めること。そこに至る長い道のりの第一歩として、この夏、ヒラリー・クリントン上院議員の事務所でインターンシップの予定という。

 野田・坂本両議員ら約20名の視察団一行から感嘆の声が漏れた。おそらく、少なからぬ人が「障害があっても、適切な支援と受け入れ環境があれば、こうも伸び伸びと高い志を抱く青年が育つのか」といった感慨を覚えたことだろう。実はこれに先立って、彼がディスレクシアという障害を持つことや、GWUに彼のような障害にも対応できる障害学生支援室があることが紹介されていた。

 ディスレクシアとは、6と9やpとqなど形状の似た文字を混同してしまうために、読み書き能力が他の知的能力に比べて極端に低いという障害。学習障害の一種だが、日本ではまだ認知度が低く、障害と知らずに本人は悩み、周囲は不当な扱いをするというケースが少なくないと推測されている。障害の性格上、学力が高くてもペーパーテストは苦手なので、障害を知って適切な訓練や配慮を行わなければ入試合格もおぼつかない。

 では、メイヤーさんの場合はどうだったのか。彼は13歳で正式に障害の診断を受けた後は、家族などから間違いやすいところにアンダーラインを引いて注意喚起するなどの適切な支援を受けたことができたという。

 大学の障害学生支援室の責任者、クリスティ・ウイリスさんはこう述べた。
 「障害のある学生にとって一番大事なことは、自分の障害についてきちんと説明できることです。私たちはそれを聴いて対応を検討します」

 検討の結果、メイヤーさんは試験時間の2倍延長、ノートテイクサービスの利用など、さまざまな支援を受けられることになっているという。

 

メイヤーさんと彼のノートの写真
自らの障害と夢について語るGWUの学生メイヤーさん。彼が自分の障害を説明するために見せてくれたノートには、確かに左右の逆転した文字が散見された

リハ法504条と
個別障害児教育法

 ウイリスさんの説明によれば、メイヤーさんは特別な学生ではない。約2万人の学生が在籍するGWUにおいて、障害学生支援室はこの1年間だけで600〜700人の障害を持つ学生を支援したという。また、そんなGWUも特別な大学ではない。全米どこの大学でも同様のことが行われているはずだという。

 一方、日本では障害を持つ学生を受け入れる体制が整った大学はほとんどなく、東大や広島大学など近年積極的に取り組み始めた少数の大学も、まだ受け入れ人数では米国の大学に遠く及ばない。少子化で誰でも大学に入れるといわれる時代に、就学支援を必要とする障害を持って生まれ育った人はほとんど大学まで進学しない、できないのが実情だ。

 この差を作り出した要因は何か。一つは米国の法整備だ。日本では15年前に成立したADAが有名だが、実は大きな転換をもたらした法律は、さらに17年の前に生まれている。1973年に成立した「リハビリテーション法」の504条だ。

 この法律は、連邦政府から資金を得ている組織や団体に対して障害者差別を禁じたもので、州政府や病院、郵便局などとともに大学を含めた学校にも対応を迫った。学力があるのに障害を理由に入学を拒否したり、授業を受けられないようなバリアを放置したりすることは法律違反の差別として訴訟の対象になったため、大学はバリアフリーや支援窓口の設置を図ることになった。

 次いで大きな影響を与えたのは、75年成立の「全障害児教育法」、現在の「個別障害児教育法」(IDEA)だ。この法律は、障害を持つすべての子どもに公教育を受ける権利を認めるもので、基本的に健常児とともに学ぶ総合教育を義務づけている。そして、一人ひとりについて、障害をきちんと特定・評価し、どこでどんな教育を受けるかについての「個別教育計画」を作成し、保護者や関係者と合意の上、実施することになっている。

 この2つの法律によって、障害児と健常児と幼い頃から机を並べて学び、本人の意欲と能力によっては大学や大学院まで分け隔てられることなく学べるようになったのである。

 視察団は、こうした環境の中で高等教育を受け、当事者の専門家として障害者の権利の擁護や拡大に取り組む人々に、行く先々で出会うことになった。

 

タランティーノさんの写真
GWUの障害学生支援室で学生と支援項目の登録管理をするトム・タランティーノさんは、自らも聴覚に障害を持つ
地下鉄の車いす用自動改札を案内するダルトンカミンスさん。構内で日本に比べて暗く、弱視の人などの歩行には難があると思われる。だが、要求しても改善がなければADAを根拠にした提訴が可能な状況下で、訴えられたことはないという ダルトンカミンスさんの写真

高学歴チャレンジドの
目覚ましい活躍ぶり

 GWUの視察を終えた一行は、地下鉄のADA対応の見学に向かった。ADAはリハビリテーション法504条では対象外だった民間の企業や施設も含めて、障害を理由にしたあらゆる差別を禁じる法律で、交通機関にも障害を持つ人にアクセス可能なものにするよう要求している。

 これに対して実際にどんな取り組みがなされているのか。ADA問題担当の健常の女性が説明してくれたが、もう一人、彼女の説明に合わせて障害を持つ利用者役になって、改札を通ったりエレベータに乗ったりして案内してくれる物静かな電動車いすの女性がいた。

 セレーヌ・ダルトンカミンスさん。その役回りや障害の重さから「補助的な仕事をする人か」と思いきや、とんでもない間違いだった。彼女は大学で演劇を学んだ後、別の大学の法科大学院で障害者関連法規を学び、ADA問題の専門家として雇われていた。そして、この仕事の他に、障害者の自立生活と機会均等を広めるためのNPOの役員や、障害を持つ演劇人を育てるプロの劇団の広報なども務める才媛だった。

 次の訪問先は教育省で、教育、労働、社会保険の各省の障害者問題担当官からその取り組みを聞いたが、現れた4人のうち3人が障害当事者だった。

 中でも一番重度の障害を持つスティーブン・ティンガスさんは、教育省に所属する国立障害者リハビリテーション研究所(NIDR)の所長を務める人物だった。その経歴がすごい。

 彼は筋ジストロフィで早くから全身が麻痺したが、その身体で電動車いすを駆ってカリフォルニア大学で自分の病気の研究に取り組み、生理博士号を取得。その後、別の大学で公共政策を学び、州政府の仕事などを通じて障害者政策の提言を始め、ブッシュ現大統領の2期目の選挙戦ではアドバイザーを務めた。

 その功績からNIDRの所長に任命され、その後、障害者研究に関する省庁間合同委員会の議長、ブッシュ大統領の提唱した「ニューフリーダム・イニシアチブ」の教育省における作業チームのリーダーなども兼務する。「ニューフリーダム・イニシアチブ」とはIT時代の障害者の教育・雇用増進政策だ。

 すでに40歳を超えているティンガスさんは、筋ジストロフィ患者としては長生きだ。生身の肉体はちょっと体調を崩せば死に直結しかねない状態であろうことを察すると、活躍が心配にもなる。だが、その専門知識に基づく仕事が自分の意欲と能力の限り続けられること、障害を理由に奪われないことが、彼の挑戦を支え続けているのかもしれない。

 

ティンガスさんとトロイ・ジャステンセンさんとロイ・ブリザードさんの写真
各省の障害問題担当官のパネルで自らの活動を紹介するティンガスさん(写真左)。隣のトロイ・ジャステンセンさん(教育省で特殊教育&リハビリテーションを担当)は車いす、その隣のロイ・ブリザードさん(労働省で障害者雇用を担当)は視覚に障害があるという
マズルイさんの写真
USICDセミナーで語るマズルイさん。「ADAは最初から企業に歓迎されたわけではなく、実績によって理解されるようになった」という。隣のPJ・エディントンさん(IBM)は「世界167ヵ国で32万人を雇用するIBMでは、障害者を含めた多様な人材こそが力になっている」と語った
ヒューマンさん(左)は現在、世界銀行の顧問として途上国開発の中での障害者の権利擁護にも取り組み、ライトさん(右)も「ADAですべてが解決したわけではない」と今なお闘志を燃やす。2人の活躍に刺激されて社会に出たインパラトさん(中央)は、日本の視察団に「若いチャレンジドを引き上げるリーダーシップが求められる」と語った ヒューマンさんとライトさんとインパラトさんの写真

小学校から学ぶ
同じ権利と同じ責任

 障害を持つ人々の活躍に道を開いたリハビリテーション法504条、IDEA、ADAは、人種差別撤廃や女性差別撤廃のムーブメントに刺激を受けた障害を持つ当事者が、自ら行動して勝ち取ったものだ。その法律が学校を変え、高等教育を受ける障害者を増やし、いま社会の各方面で障害者の地位向上のために働く第二世代となっている。

 視察3日目の米国国際障害者協議会(USICD)のセミナー講師の顔ぶれは、そんなことを物語るものだった。

 ADA成立過程でのリーダーシップで著名なジュディ・ヒューマンさん(肢体不自由)とパトリシア・ライトさん(視覚障害)の間に座ったアメリカ障害者協会会長のアンディ・インパラトさん(躁うつ症)は、「実は2人がADAの仕事をしている時、私はまだ法科大学院の学生でした」と告白した。

 第二世代は障害者団体で活躍する人ばかりではない。スーザン・マズルイさん(視覚障害)は、米国2位の携帯電話会社、シンギュラー・ワイヤレスの部長職という立場から、こう証言した。

 「ADAによって多くの障害者を雇用された結果、職場に競争が生まれ、障害を持つ人の中にも本当に会社にとって必要な人がいることを皆が理解し、企業文化が変わりました」

 正味4日間の視察では、この他にもいくつかの場所を訪ねた。正直なところ、建物や交通のアクセシビリティは日本と大差はなかった。米国の関係者自身、東部は古い町が多いので、なかなかバリアフリーも進まないのだと認めていた。だが、リーダーシップを求められる仕事で活躍する当事者の姿が官民各方面にあるのには、圧倒される思いがした。彼らが問題への取り組み方を語るとき、立場も年齢も障害(の有無)も違うのに、共通して口にするひと言があった。

 「一番大事なのはatitudeだ」

 atitudeは「態度」や「心構え」の意味だが、唐突に出てきて中身の説明もない言葉の合意をつかみかね、引っ掛かり続けた。最後に訪れた小学校で、それを解くヒントを見つけたような気がした。健常児と障害児が一緒に学ぶ教室の壁に、大きな紙に平易な英語で次のような心得を書いたものが貼ってあったのだ。

 

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この教室の中で、あなたは以下の権利を持っています。
−話を聞いてもらえる
−公平に扱ってもらえる
−尊重される
−学べる
−間違えることができる
−助けを得られる
−安全にいられる
−ハッピーな気持ちでいられる

この教室の中で、あなたは次のような責任を持っています。
−他の人の話を聞く
−他の人を公平に扱う
−他の人に対して敬意を払う
−一生懸命に取り組む
−他の人の間違いを許す
−他の人の手助けをする
−責任ある振る舞いをする
−他の人の気持ちを気遣う

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 障害のある子もない子も同じ権利と責任を共有して育つのである。

 

小学部の教室に貼ってあった権利と責任の心得の写真
フランクリン・シャーマン・スクール(ワシントンDC郊外の公立校)の小学部の教室に貼ってあった権利と責任の心得

ダイナー・コーエンさんのレクチャーを受ける野田議員ら視察団の写真
野田議員ら視察団は、2000年のCJFで紹介した国防総省CAP(コンピュータ電子調整プログラム)も訪問し、設立以来の指揮官、ダイナー・コーエンさんのレクチャーを受けた
視察団をホテルから運輸省まで地下鉄で案内してくれたマイケル・ウインター同省市民権室長は、8月に神戸で開催されるCJFでその取り組みを紹介する予定になっている マイケル・ウインターの写真



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