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神戸新聞 2005年8月30日より転載

  「安心・安全」の街づくり
阪神・淡路大震災から10年
 
 
「チャレンジドを納税者に」
 
 
民の手に自治を取り戻し
地域、国の仕組みを変える
 
 
ユニバーサル社会こそ
 

 阪神・淡路大震災の経験から、わたしたちは多くのことを学んだ。とりわけ安心、安全なまちをつくることは、生活する上でとても大切な営みであることを思い知らされた。そして今、多くの取り組みの芽が育ちつつある。今、わたしたち一人ひとりは安心、安全なまちづくりに向けて何ができるのだろうか。連載を通じて考えてみたい。
 連載の最終回は社会福祉法人プロップ・ステーション理事長の竹中ナミさん。


竹中ナミの写真

たけなか・なみ

 神戸市生まれ。重症心身障害児の長女を授かったことから、日々の療育のかたわら、障害児医療・福祉・教育について独学し、手話通訳、視覚障害者のガイドなどのボランティア活動を経て、1991年にプロップ・ステーション準備会を設立。98年、社会福祉法人格を取得、本部を神戸・六甲アイランド内に置き、理事長に就任。内閣府中央障害者施策推進協議会委員、財務省財政制度審議会委員、総務省:情報通信審議会委員、兵庫県:ユニバーサル社会づくりひょうご推進会議委員、神戸市こうべユニバーサルデザイン推進会議委員など公職多数。著書に「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」など。

 


 「チャレンジドを納税者にできる日本を」

 竹中さんが運営する社会福祉法人プロップ・ステーションの合言葉だ。介護や介助の必要な障害を抱えた人を「挑戦する使命を与えられた人」として「チャレンジド」と呼び、さらにそうした人たちをよき働き手に、と説く。

 福祉は施し、施されるもの、という通念に常にアンチテーゼを投げかけ、「わたしたちの住む地域、国が人の力をどこまで生かしきることができるんやろか」と問い続けてきた。

 プロップ・ステーションの設立当初、チャレンジドを対象に有料のパソコン講座を始めた。「障害者からお金を取るとは何事かと、あちらこちらから石が飛んできた」という。

 「いつまでも支えられる側に甘えていたら、チャレンジドの側も依存から抜け出せなくなってしまう」。その悪循環を断ち切りたい一心だった。

 講座は単にパソコンのイロハを教える場ではない。遅刻は許されないし、仕事のスピード感を徹底的にたたき込まれる。「障害者だから」という言い逃れを許さず、プロとしての自覚を身につけるのだ。

 自分にお金を投資して、自分の力でお金を稼ぐようになりたい、と受講生が増えていった。

 


写真集からの写真
困難にめけず、夢に向かって挑戦する=プロップ・ステーションの毎日を追った写真集「チャレンジド」(吉本音楽出版)より
 この10年間でチャレンジドを取り巻く環境が大きく変化した、と竹中さんは感じている。

 一つは社会の意識だ。高齢化が進み、家族や親せき、知人に介護が必要な人が増えてきたことで、障害を自分に身近なこととして考えられるようになる人が増えてきたという。「ひと昔前だったら、家族に障害者があればそれをひた隠ししていたが、今はそんなことはない。プロップにも、障害を持つ小さな子どものご両親が、この子の将来のために今から親に何ができるか相談に来られます」

 もうひとつの変化はIT(情報通信技術)の普及だ。パソコンを手にしたことでチャレンジドの就労の可能性が広がった。そして、インターネットを通じてさまざまな人とのネットワークが広がり、同じ悩みを共有できる人とのつながりができた。

 「パソコンを手にしたことで、チャレンジドの人たちが、初めて人間らしくなれた、と言います。まさにパソコンはチャレンジドにとっての打ち出の小づちなのです」

 去る6月に国会で成立した改正障害者雇用促進法では、障害者雇用の対象として在宅勤務者も認められることなども盛り込まれた。竹中さんが長年訴え続けてきた成果の一つだ。潜在的に働ける力のある多くの障害者の雇用につながることが予想される。

 「経済と福祉は表裏一体」と竹中さん。経済が安定してこそ福祉が豊かになる。一人でも多くの人が働く側に回れば、真の福祉が実現する。

 「だとすれば、一人でも多くの人が経済活動に参加し、よき働き手であるとともに、よき消費者であることが大事なのです」

 


小泉首相の視察の写真
愛・地球博で「自律移動支援プロジェクト」を視察した小泉首相(右端)を、竹中さん(中央)が案内した

 長女・麻紀さんは生後間もない3ヵ月検診のとき、医師から重い脳症と言い渡された。周囲は「不幸の極み」ととらえた。「不幸なんて勝手に決めつけないでほしいと思いました。わたしはかなりの不良でしたが、そのことで親を不幸にはしたくはなかった。娘も同じ思いのはず。人間一人ひとりにはそれぞれのものさしがあっていいんじゃないかと思います」
 以来、手探りで麻紀さんと向き合い、障害を持つ人たちと思いを共有するうちに、プロップ・ステーションの設立へとつながっていった。現在、麻紀さんは32歳になる。明暗のみが分かる全盲で、聴覚はあるが言葉は理解できない状態だ。「この娘を一人残して安心して死ねる社会にしたいと思っています」
 目下、竹中さんが目指しているのはユニバーサル基本法の制定だ。「今までは障害者のために、と国に働きかけてきましたが、その枠だけにとらわれず高齢者、女性などにすべての人にとって、自分たちの持てる力を発揮し支えあうことのできる社会にするための基盤になる法律をつくりたい」と勉強会を続けている。

 


竹中ナミの写真
 

「世の中を変えようと思ったら、自分の意識がまず変わらないといけない。そして、周りに関心をもってもらうこと。それから科学技術などの道具をうまく生かすことを考えなければならないし、法律制度も必要になってくる」

 それらを一つひとつ実践してきた竹中さんが痛感しているのは、「多くの福祉先進国と比較して日本はまだ民の力が弱すぎる」ということだ。

 「スウェーデンやアメリカでは官のサービス、企業のサービス、民のサービスがそれぞれ対等の力を持っている。その民を担うのがNPO。NPOが成熟しているから自治がある。自治があるということは自分の足で立つということです。その自治がわたしたちの手に取り戻すことがユニバーサルな社会の創造につながる」

 現在、その民からの声を上げる場として、省庁や自治体でさまざまな委員を務める。
 「国民の意識が変われば、社会制度も変わる。わたしは関西のおばちゃんの一人としてさまざまなアイデアを出していきたい。地方の、そして国の仕組みを変えていくのは私たち国民一人一人の責務だと思うから」

 ユニバーサルな社会の創造に向け、機関車は今日も走り続けている。




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