ファイブエル 2005年12月より転載

「チャレンジド」の薦め

5l世代へ 木村政雄の発言!

「チャレンジド」という言葉がある。障害者支援の社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長・竹中ナミさんが提唱している。ややもすれば社会の障害になるかのように、マイナス・イメージを与えられていた「障害者」という言葉に抵抗を感じていた彼女が、アメリカに在住する人から教えてもらったのが「チャレンジド」という言葉のようである。

「神々から挑戦すべきことを与えられた人々」という意味だ。「日本語に「チャレンジド」に当たるようなプラス・イメージの言葉がないのは、障害を持つ人のできない面ばかりを見て、できる面を見ていく文化がないということでしょう。ないのなら、言葉と一緒に輸入して、積極的に吸収したい。そんなわけで、プロップでは障害を持つ人を「障害者」と呼ばずに、「チャレンジド」と呼ぶことにしたんです」と、彼女は自著で述べている。なんて素敵な言葉なのだろう。

我が国では戦後、キャッチ・アップの過程で、ひたすら効率や平準化されてきた。効率的でないものや平準化されないものは、「不適」のレッテルを貼られ排除されてきた。同型の部品だけが整然と並べられ、古くなったものや、錆びついたものは新品と取り替えられてきた。人もまた然りである。「全社的」や「一丸となって」という枕詞のもとに、自らの個性を制限させられ、ひたすら組織や一律な価値観を誓ってきた。

なるほど、それは楽な世界であったかもしれない。教えられたとおり、教科書どおりの答えを書けば、「大変よくできました」のハンコがもらえたのだから。だが果たして、そんな時代が幸せだったといえるのだろうか。たまには、「私はこう思う」と違う答えを書いてみたくなるのではないか。たとえその結果が「×」であったとしても。

もとより、生きていくうえでは、多くの制約がある。だがその制約を「だからできない」と捉えるのではなく、「にもかかわらずがんばる」に変えることが大切な気がする。それが自らを不良債権化させない秘訣なのだ。まさに「チャレンジド」する心である。

小泉シスターズの横文字の多さには辟易するが、こんな横文字なら大歓迎である。言葉は概念を変える。「チャレンジド」という言葉が普及して、障害者ばかりでなく、今逆境にあたる人たちが、「挑戦すべきことを与えられた」と自ら思えるようになれば幸いである。

提唱ついでにもう一つ。「仕事」と言うのをやめて、「パフォーマンス」と言ってみたらどうだろう。事に仕えるという言葉に夢はない。どうりで、みんなつまらそうに働いている。街角で出勤風景を眺めていると、皆が一様につまらない表情をしている。まるで収監されていくかのように。そういえば、監獄にいることを「おつとめ」とも言うらしい。どちらにしても、楽しさをイメージできる言葉ではない。「家事」という言葉にしてもそうだ。

「パフォーマンス」は、すべての表現様式の総称をさす言葉で、他にも遂行、成果、性能などの意味がある。「仕事」など無味乾燥な言葉をやめて、どこかエンターテイメントの香りがする「パフォーマンス」という言葉にしてみれば、もっと働くことに意義を見出せて、楽しく前向きになるかもしれない。上司や主人がもしも、「今日のパフォーマンス最高!」とか、「今日はイマイチだったけれど、明日こそいいパフォーマンスをしようね」と言ってくれたら、会社や家がもっと楽しくなるような気がする。

ページの先頭へ戻る