看護 2005年9月号より転載

今月のことば

皆さん、こんにちは。社会福祉法人プロップ・ステーション(略称プロップ)の竹中ナミです。

プロップは「チャレンジドを納税者にできる日本」というスローガンを掲げて活動しています。「チャレンジド」という耳慣れない言葉と思いますが、ハンディキャップトやディスエイブルパーソン(いわゆる障害者)に代わる呼称として、15年くらい前にアメリカで生まれた言葉です。「人間を、マイナスの部分だけに着目した呼称で呼ぶなんて、おかしいんちゃうのん!」という声が米国民の中から沸き上がり、「挑戦という使命や課題を与えられた人」「挑戦するチャンスや資格のある人」という視点を持った「チャレンジド」という呼称が生まれたそうです。

この言葉の持つポジティブな響きに惹かれて、プロップではこの呼称をスローガンに取り入れ、15年前から「ITを駆使して、チャレンジドの自立と社会参画、とりわけ就労の促進を目指した活動」を続けてきました。

重度のチャレンジドを対象としたプロップのコンピュータセミナーからは、介護を受けながらも在宅で、あるいは施設のベッドの上で働くチャレンジドたちが続々生まれてきました。幼い頃からの夢だった「プロの絵本作家」になった難病の女性。自宅のパソコンからプロップのサーバーに接続し、全国各地のチャレンジドに仕事の指示を出す進行性筋ジストロフィーのシステムエンジニア。療護施設の居室から仲間とTV会議システムで打ち合わせをしながら仕事を進めるプログラマー。最近ではパソコンとソフトの使い勝手が驚くほど向上したため、(習うだけでなく)初級コースでサポーターを務める知的ハンディのある青年たち……。「障害者」ではなく、まさに「チャレンジド」たちが、各地で活躍を始めています。

私自身が「チャレンジド」と初めて出会ったのは、32年前。重度の脳障害を持つ長女を授かった時です。彼女は、視力、聴力、言語、身体、知能、精神の全てに重篤な障害を持つ、いわゆる重症心身障害者ですが、彼女を授かって気づいたことは「なんて愛おしいやろう!」ということでした。きっと私は「可哀想」「気の毒」「不幸」という目線で、その子と、その家族を見たに違いないのに、自分の子どもである彼女の(介護の労力は大変なのですが)悠久の時を感じさせるような緩やかな成長の一瞬一瞬が、なんとも尊く感じられるという経験は、勉強嫌いで「不良」「非行娘」と呼ばれた過去を持つ私にとって、すごく気持ちの落ち着く、不思議な感覚でした。

「世の中のレールに乗れなかった(乗りたくなかった)自分に、世の中のレールに全く乗れない娘が授かった」ことに、実は不遜なことですが「解放感」まで感じたのです。ところが私の父は、孫が重度の脳障害児であることを知って「お前が、こんな子を育てる苦労をするのをよう見とらん。ワシが孫を連れて死んでやる!」と真顔で言いました。それを聞いた時「父と娘を死なさないためにも、この子と一緒にハッピーに生きてやる!」と決心しました。そして"これが「チャレンジド」という言葉の意味やってんな"と気づかされました。"自分が出会うチャレンジドたち一人ひとりの「マイナス」の部分やなく、可能性に着目する活動をして行く!"と決意を固め、彼らと一緒にプロップの活動を始めたのです。

多くのチャレンジドたちが、娘のような存在(世界一のスピードで少子高齢化が進む日本ですから、きっとそのような人の比率は高まることでしょう)を守ってくれる、あるいは支えてくれる側に少しでも回れるような社会。支えられながらも支え手になれる社会を生み出したい。"いや、そんな社会になれへんかったら、私は安心して死ねへんやんか! あんたら頼むで!"と、まぁ全く「母ちゃんのわがまま」でやってるなんですが、お陰様で多くの方が応援し、参画してくださって、活動を前進しています。

娘は今、国立病院の重症棟で温かい看護を受けて生活しているのですが、国家予算はますます厳しくなる時代です。一人ひとりが、少しでも持続可能な社会体制を生み出す当事者活動をしていかなければ、経済は破綻してしまいます。そんな思いで「母ちゃんも頑張るぞ!」と呟きながら、プロップの活動に励む私です。

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