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SOHOドメイン(旧 月刊SOHO) 2004年7月号より転載

     
  プロップ・ステーション便り ナミねえの道  
 
 
  第24回――ナミねぇの「サポートがあれば
     できることは広がる」に共感
 
 
NPO法人、音楽イベント…
20代の夢を30代で実現
 
 
 
     

掲載ページの見出し
貝谷嘉洋(かいやよしひろ)さん
(33歳)
NPO法人日本バリアフリー協会代表

貝谷さんの著書。ジョイスティック車でアメリカ横断旅行をした話は興味深い。「将来、ハンドルもなくアクセルやブレーキも足を使わずに運転できる従来とは違う次世代コンセプトの移動手段の革新、インフラ整備を期待しています」。

プロップ・ステーション
プロップ・ステーションは、1998年に社会福祉法人として認可され、コンピュータと情報通信を活用してチャレンジド(障害者)の自立と社会参画、特に就労の促進と雇用の創出を目標に活動している。

ホームページ
http://www.prop.or.jp/

竹中ナミ氏
通称“ナミねぇ”。社会福祉法人プロップ・ステーション理事長。重症心身障害児の長女を授かったことから独学で障害児医療・福祉・教育を学ぶ。1991年、プロップ・ステーションを設立した。現在は各行政機関の委員などを歴任する傍ら、各地で講演を行うなどチャレンジドの社会参加と自立を支援する活動を展開している。近著に『ラッキーウーマン 〜マイナスこそプラスの種!』(飛鳥新社)がある。

 障害のあるアマチュアミュージシャンたちのオーディションである「第1回ゴールドコンサート」が昨年5月に開催された。コンサートの主催者である貝谷嘉洋さんは、筋ジストロフィー※1の障害を抱えながら制覇した自らのアメリカ留学の経験を生かし、モビリティ※2の必要性やチャレンジドの積極的な自立を訴えている。


PC作業は寝たままで

 14歳のときから車椅子を利用している貝谷さんは、1993年に関西学院大学商学部を卒業後、単身渡米。現地の介助人を雇用して自立生活を始め、99年にはカリフォルニア大学バークレー校で公共政策の修士号を取得した。その後もハワイ州で障害者ダイビング協会のダイバー修了証を取得したり、ジョイスティック車※3でアメリカ大陸を横断するなど次々と夢を実現。2001年には「NPO法人日本バリアフリー協会」を設立し、現在は介護派遣事業、執筆、講演活動などを手がけている。

 「貝谷くんとは与党のユニバーサル社会の形成促進プロジェクトチームで野田聖子衆議院議員を通じてお会いしました。チャレンジドの自立に向けて一つ一つのことを真剣に考えて取り組む姿勢や、おおらかで楽天的な人柄に多くの人が惹かれるのでしょう。来年の第2回ゴールドコンサートに向けて私も応援しますので、ぜひとも頑張ってほしいと思います」(ナミねぇ)

――ITの活用について。

武者●カナダの現代音楽作曲家R.マリー・シェーファーにより、1960年代末に提唱された比較的新しい分野の学問です。たとえば駅周辺の雑踏やBGM、店の呼び込みの声など混沌とした音を、安全かつ効果があるように整理整頓する「音環境デザイン」と言えるでしょう。現地に足を運んで音を分析調査し、PC上で標準MIDI※とWebファイルなどを組み合わせて効果的な音を出し、提案しています。単に、「視覚障害者に認知させるための音なら何でもいい」というわけではなく、一般の人にとって騒音や雑音にならないような誘導音の創作が求められています。

――音声ソフトについて。

貝谷●10歳で筋ジストロフィーを発症していることがわかり、両親が将来のためにコンピュータを与えてくれたのが小学6年生のときでした。普通の道具と同じように使っていくうちに自然と覚え、今でも仕事の能率を上げるために利用しています。寝室にデスクと共有画面のモニターをつなぎ、コードレスマウスやオンスクリーンキーボードを使うことで寝たまま作業ができるよう工夫を重ねました(写真右上)。腰に負担がかからない分、長時間仕事ができます。また、テレビとエアコンについては音声認識装置を利用しています。

 


チャレンジドが政策実現を
ベッドの上で寝たまま作業をする貝谷さんの写真
ベッドの上で寝たまま作業ができる。右手でコードレスマウスを操りながら、デスクと共有画面のモニターをつないでオンスクリーンキーボードを使う。

――アメリカ留学のこと。

貝谷●アメリカは目に見えて車椅子の利用者が多く、チャレンジドらが自立して生き生きと生活しているのを知ったことが留学するきっかけでした。アメリカ大陸を横断したのも究極の自由への流れから。道路はフリーウェイで料金は無料、道は真っ直ぐで運転しやすいことに加えてトイレや駐車場、レストランや宿泊施設もチャレンジドのためのインフラが整備されていて何の心配もありませんでした。

――福祉行政の日米比較について。

貝谷●日本ではあくまでも障害者は保護の対象ですが、アメリカではチャレンジドの障害の部分を支援し、その人がいかに自立して納税者になるかという考え方が一般的です。まさにナミねぇの運動がすでに基盤にあるということですね。原点は人権や自立ですが、側面からの政策評価が十分になされているのも大きな違いでしょう。

 日本では何かにお金を拠出したとき、一体どのような効果があったかという視点が明らかに欠けています。福祉政策にも平等性と効率性の両面から政策評価を議論すべきだと思います。また、アメリカや欧州のチャレンジドの活動家は政府の協議会や審議会に入って、当事者として誇りをもって政策を実現しています。日本でもチャレンジドの見解も含めた最大公約数の意見を入れる努力をすべきだと思います。

日本バリアフリー協会のホームページの写真
●日本バリアフリー協会
障害者や高齢者などチャレンジドに対する理解を深めてもらうため、さらに重度の障害者自身による主導のもと、バリアフリーを促進する事業を行い、彼らの社会的地位、および生活水準の向上に寄与することを目的として、貝谷氏自身が設立。1999年より活動を開始し、2001年にNPO法人として認可される。http://www.npojba.org/

――今後のビジョンについて。

貝谷●日本バリアフリー協会は、チャレンジド本人がプロジェクトの企画運営をし、経済的にも自立自助が可能な事業を立ち上げることを自動的に設立しました。「ゴールドコンサート」もチャレンジドが主役のイベントとして、来春に第2回目を開催予定です。20代は夢を持って生きてきましたが、30代の今は一つ一つを現実にするために、具体的に何をすべきかに一生懸命ですね。ナミねぇはとてもやさしい方ですが、障害があってもサポートがあればできるのだから頑張りなさいという考え方に共感しました。合理的な考え方は厳しくもありますが、私自身も伝えていきたいメッセージです。

 1990年に「アメリカ障害者法」(ADA法=Americans With Disabilities Act)が制定され、障害者の社会参加に対するあらゆる差別を禁止した法律として注目された。

 「障害の有無や性別、年齢に関係なくすべての人が持てる力を発揮し、支え合うユニバーサル社会創造に向けた法案を、日本も生み出していきたいですね」(ナミねぇ)

 アメリカではチャレンジドが介助人を雇用し、人生設計に基づいて自分の介護についての指示を出す。

 「本来、アメリカから伝わった自立運動ですが、日本では親と世帯分離して生活保護という税金で一人暮らしをするというように行政丸抱えで解釈されたことを残念に思います。アメリカの自立運動は、介護を受けても自分がこう生きたい、フルタイムは無理でもこういう仕事がしたいという強い目的意識がある。その精神こそ自立への一歩だと思います」(ナミねぇ)


[プロフィール]
貝谷嘉洋氏

1970年岐阜県生まれ。関西学院大学商学部卒。カリフォルニア大学バークレー校大学院行政学修了。10歳で筋ジストロフィーと診断され、全面介助が必要となる。現在は、電動車椅子やジョイスティック車を利用しながら独立、バリアフリー関連のコンサルタントとして論文・記事・本の執筆活動に加えて各地で講演を行う多忙な日々を送っている。

※1 筋ジストロフィー 筋肉の細胞が変質して弱くなり、その機能を失う病気。
※2 モビリティ 移動手段、移動可能性のこと。
※3 ジョイスティック車 車椅子のまま乗車でき、座席横のスティックを腕で操作することで運転できる車。

 


Column

チャレンジドのための
音楽サイト

 

C-Musicのホームページの写真

貝谷さんが企画し、開講したチャレンジドのための音楽総合ポータルサイト「C-Music(C=Challenged)」。チャレンジドの音楽やイベント情報等を広く世間に紹介することが目的だ。昨年実施された「第1回ゴールドコンサート」の模様をはじめ、イベント情報やミュージシャンの楽曲情報などが掲載されている。
http://www.challenged-music.net/

 


構成/木戸隆文  撮影/有本真紀・田中康弘


[チャレンジド] 神から挑戦する使命を与えられた人を示し、近年「ハンディキャップ」に代わる新たな言葉として米国で使われるようになった。


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●出版社 株式会社サイビズ