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特別支援教育 No.12より転載

 

 
 

子どもをささえる

 
 
すべての人が誇りを持って
生きられる社会に!
 
 

社会福祉法人プロップステーション理事長
竹中 ナミ

 
 

 

 皆さん、こんにちは! プロップ・ステーションのナミねぇこと竹中ナミです。

 ワシントン大学では7%、全米の大学での平均は4%、そしてアメリカ政府が現在目標とするのは10%、この数字はいったい何を表しているかご存じですか? 実はこれ、大学におけるチャレンジド学生の在籍比率です。翻って日本では何とこの数字が0.09%なんですって。う〜む、なんでこんなに差があるんや!!

 え? 「チャレンジドって何ですか?」って…あ、ごめんなさい。「チャレンジド」というのは「ハンディキャップト」や「ディスエイブルパーソン」というマイナス・イメージを強調した言葉に代わり、最近アメリカで使われている「障害をもつ人」を表す呼称です。「チャレンジド」という言葉は「挑戦という使命や課題を与えられた人」あるいは「挑戦するチャンスや資格を与えられた人」を意味し、「障害のマイナス部分に着目するのではなく、その人の可能性を見つめる」という考え方を表しています。つまり「すべての人には、自分の課題に向き合う力が備わっており、課題が大きい人にはその力もたくさん与えられているよ」というポジティブな哲学に基づいているんです。

 私が初めてこの言葉に出会ったのは、阪神大震災で自宅が全焼した直後でした。プロップの支援者でアメリカに暮らす人が教えてくれたんですが、その人は私にこうも言いました。「チャレンジドっていうのは、障害者だけを表すじゃなく、例えば震災復興に立ち向かう人はチャレンジドだ、というふうにも使うんだよ」。それを聞いたとたん、私の胸の中にグングン力が湧いてくるのを感じました。震災に直面しているだけでなく、重症心身障害をもつ娘(現在30歳です)と生きてきた私。そんな私もきっと「チャレンジドなんや!」と思いました。そして同時に「言葉というのは、その文化であり思想であり、哲学でもあるんやな」と。障害をもつ人をマイナスの存在としてしか受け止められない国には「障・害・者」というマイナスの呼称しかなくて当たり前。じゃぁ、まずは自分たち自身が「チャレンジド」という言葉を使ってみよう。そしてその考え方が日本にも定着するよう行動して行こう−そんな思いからプロップでは「障害者」ではなく「チャレンジド」という呼称を使い始めました。皆さんもぜひ考え方に共感できたら使ってみて下さい。

 さて、始めに書いた「在籍率」の話題に戻りましょう。日本はず〜っと「学歴社会」でした。そして、大卒でなければ採らない職場、大卒でなければ取れない資格などもある上に、「大学くらい出てなくちゃ」というのが世間一般の考え方になっています。にもかかわらず、チャレンジドにとってはまだまだ「大学進学は高嶺の花」ってことなんですね。そういえば「車いすの学生の在籍を考慮していない学校施設」「点字による受験ができない学校」「手話通訳や要約筆記者のサポートが得られない教育機関」なんて、当たり前、っていうよりあるほうが少数派。学歴重視の日本において、それって「あなたは日の当たる場所に出ないでいいよ」って言われてることと同じじゃないんでしょうか。障害をもつことが可哀想なんじゃなく、高等教育を希望しても受験さえできないという現実がその人を「可哀想な人という位置」に置いてるのね。そういえば就職だって「障害者枠で採ってあげるよ」って「特別扱い」。「あなたは何ができますか?」じゃなくて「法定雇用率の達成のために採用します」って言われるのです。就職が無理なら作業所・授産施設などで「福祉就労」。でもそこが本当の働く場所になっていないのが日本の現状。「特別扱いしてあげるんやから、いいじゃん」って言われても、それって誇りを捨てなさいってことと同義語やないのかなぁ。

 そこでプロップは「誇らしく生きるために、自分たちで社会の仕組みを変えよう!」と行動を起こしました。ITを駆使して「チャレンジドを納税者にできる日本を創造しよう」というのがプロップの合い言葉。この合い言葉は、J・Fケネディ大統領が、大統領就任後、初めて議会に提出した教書の中の一説を参考にしたフレーズです。彼は教書の「社会保障」の項目で「障害者をタックスペイアー(納税者)にしよう」と書いたんです。「自由主義経済の国家においては、それが障害者の人権と尊重を認めることに繋がるのだ」という信念に基づいて。その翌年、ケネディ大統領は暗殺されたのだけど、彼のこのミッションはアメリカ国民の課題となり、目標となり、そしてADA(障害をもつアメリカ人法)の制定に繋がったわけです。私は単なる重症心身障害の娘の母ちゃんで、政治家じゃないけど、アメリカのADA法も、全米のチャレンジドが障害の種別を越えて一致団結し、ブッシュ(シニア)大統領候補に「選挙公約」としてもたせたという、草の根の運動があったからこそ実現した経緯があります。「自治」っていうのは国民自身がビジョンをもって行動し、自分たちに必要な政策を提案していくプロセスのこと。そして「タックスペイアー」というのは「社会を支える一員であると同時に、自分が出した税によって、どのような政策が施行されているか、ということを見つめ、チェックし、発言する人」と同義語やから、チャレンジドがタックスイーターからタックスペイアーになることをめざすというのは、自分自身の手で誇りを取り戻すことに繋がると、自身の最愛の姉妹が重度の知的ハンディをもっている当事者であったケネディは考えたのでしょう。「すべてのチャレンジドがタックスペイアーにならなければいけません」というのではなく、タックスペイアーをめざすチャレンジドに、そのチャンスを保障するのは国家の使命、ということをケネディは語ったのだと思います。

 プロップでは、年齢、性別、障害の種別や軽重にかかわらず、ITを「道具として」活用し、社会という海に漕ぎ出して行こうという意思をもったチャレンジドが、彼等の意志を尊重する支援者たちと一緒にパソコンの勉強をし、自分を磨き、高めています。学歴がなくとも「自分には得意分野がある」ということが就労には大きなウリになります。通勤が困難でもインターネットを駆使すれば在宅で働ける時代が来ていますし、自分で起業することも可能です。プロップでは、パソコン技術を磨いたチャレンジドが、自宅で、あるいは療護施設の中で、インターネットを駆使して「プロップのスタッフ」として活躍していますし、現在最年少のセミナー講師は、養護学校在学中からグラフィックス・ソフトを勉強していた電動車いすの女性です。プロップやプロップのようなNPOが企業や行政から受託した仕事を、複数のチャレンジドが在宅でワークシェアリングするという働き方も、どんどん広まっています。受講生の中には、勿論、知的あるいは自閉、精神のチャレンジドも居ます。通勤でフルタイムは無理やけど「自分の身の丈にあった働き方がしたい」という人たちが、プロップのセミナーで勉強に励んでいます。いわばみんなが「働くことにチャレンジドな人たち」ですから、力を合わせて勉強するんです。プロップは「ごった煮ノーマライゼーションの場」って感じですね。

 ところで皆さん、パソコンで働くっていうと「プログラミングの仕事」なんて思ってません? それは一昔前の考え方です。今では、ソフトウエアがその人の情操やアート的な才能を開花させることもいっぱいあります。習い始める年齢も、たしかに若い方がパソコンを覚えるには有利やけど、プロップでは30代以上、中には40歳を越えるまでお母ちゃんの全面介護を受けてたチャレンジドが一念発起して…というような例も珍しいことじゃありません。だって、人間はみんな、自分を伸ばせる環境に出会ったら、その人の身の丈にあったスピードで変化して行くものですからね。

 私の娘:麻紀は重い精神の障害のせいで、「接触の拒否」という症状が長年続きました。私のオッパイにも吸い付けないし、ぎゅっと抱っこしようとしたら、それが彼女には「ストレス」になって「パニック」を起こすの。つまり「母ちゃんの手もゴミと一緒」ってわけ。でも7歳の時には抱っこすると少し身体を寄せて来るようになり、18歳で「おんぶ」すると私の腰に足を巻き付けることができるようになり、30歳の今は「おんぶ」で私の首にしっかり腕をからめることができるようになりました。グニャグニャだった身体も少しずつシッカリしていって、今は手を引くとゆっくり歩けるようになっています。凄いでしょう! 麻紀は明暗がわずかに分かる全盲なので「目で楽しむ」ということが殆どできなかったんですが、今年のお盆に公園で花火(3分間光り続けるという、ロング花火を見つけたのだ!)をすると、その光を目で追ってニコッと笑いました。一緒に居た祖母も大喜び。実は麻紀の上に3歳違いの長男が居るんだけど、長男が生後1年くらいで通過してしまった発育過程を、麻紀は30年かけて、ゆっくり私にプレゼントしてくれているというわけです。一人一人が生きているスピードが違って当たり前と分かってしまえば、世界の見え方がガラッと変わるんですね。日本は終戦後、すごいスピードで経済発展してきたけど、これからは「超少子高齢の時代」。もう、スピードだけがビューティフルなんて考えなくてもいいんじゃないでしょうか! なんていうことを、麻紀は私にシッカリ教えてくれました。いやぁ麻紀って、凄い先生ですわ、私にとって。

 麻紀は現在、国立病院の重症棟で暮らしていて、お休みが取れるときに一緒に過ごす「ちょっとクールな間柄」。とはいえ、彼女は100%、家族や社会の保護が必要なタイプなので、私がこの世から居なくなった時のことを考えると、一人でもたくさん彼女(あるいは彼女のような人たち)を護ってくれる側に回れる人を増やさないと、私は安心して死ねないわけです。つまりプロップは「チャレンジドの親が、安心して先に死ねる社会にしたい」という私の我が儘から始まった運動だといっても過言ではありません。正義でも善でもない動機で始めたことなので人に押しつけるつもりはありませんが、一人でもたくさんの人が共感し、ともに行動して下さるなら、こんな嬉しいことはありません。

 ところで、この文章の最初に「日米の大学におけるチャレンジド学生の在籍率の違い」について書いたけど、既存の教育システムを変えることと、新しい教育システムを生み出すことが同時進行してるのが今という時代です。つまり「障害者も高等教育が受けられるようにしよう」という動きと、「受けられないからといってあきらめるんじゃなく、自分たちで勉強の場を作ってしまおう!」という両方の動きが生まれてるのね。プロップのセミナーは後者で、習う側どころか教える側に重度のチャレンジドが居る「常識はずれな教育現場」です。でも、だれ一人強制されて勉強に来たわけじゃないので、受講生の瞳はキラキラ光ってるの。しかも教科書で習う「ノーマライゼーション」じゃなく、マウスの使い方に迷うとニュッと講師の「足」が出て、「ほら、こういうふうに動かすんだよ」って教えてくれる。「先生は指が動かないので、ここの資料、自分で取っていってね」とか、「先生は言語障害があるから、静かにしないと聞き取れないよ〜。聞き逃しても知らんで」とか…ね。勿論、教える側の技術はハンパじゃダメ。長年プロップで「コンピュータ業界のプロ技術者」に厳しく教え込まれたチャレンジドが、「教える技術」も身に付けてはじめて講師になれる、というわけ。本当はこんな講師が公立学校のパソコン授業の時間に教えるのが色んな意味で一番いいんでしょうけど、残念ながら重度のチャレンジドを「先生に迎える学校」なんて殆どないのが現実。だって「学生」としても受け入れない学校がまだまだ多いんやからね。ほな自分らで「講師」として稼げる教育現場を生み出そう! って始まったのが「チャレンジドが講師を努めるプロップのコンピュータ・セミナー」というわけ。アメリカではNPOが主宰する「コミュニティスクール」が広まってるそうやけど、プロップのセミナーも、そういうスクールの一種といえるでしょう。プロップが活動を始めた12年前には「介護の必要な障害者がパソコンを使って、働く」なんて全くの夢物語でしたが、すさまじい勢いで発達・進化したITのおかげで、それはもう現実のものになりつつあります。ITと出会ったチャレンジドはこんなふうに言っています。「ITはチャレンジドにとって、人類が火を発見したようなものです」って。

 それでも、弁護士や医師や公務員のように、資格の必要な職業は世の中にたくさんあるし、最近では大卒しか採らない企業も多いので、大学受験に平等なチャンスがないというのは、チャレンジドにとって大きな社会的ハンディです。私には、アメリカにチャレンジドの友人がいっぱい居るんですが、彼等はビジネスマン/ウーマンであったり、教師であったり、美容師であったり、官僚であったり、議員であったり、NPOリーダーであったり…それはもう様々な職業に就いています。2003年8月に開催した「チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議」にゲストスピーカーとして来日して下さったジョン・ケンプさんという男性は、両手両足が義手義足ですが弁護士として大活躍しておられる方ですし、ワシントンDCにある教育省(日本の文部科学省)を訪問した時には、電動車いすに乗り、介助犬を連れた職員と親交を深めることができました。日本で「障害者運動のリーダー」として活躍するチャレンジドを私は何人も知っていますが、社会の様々な分野で活躍するチャレンジドは、ほんの一握りです。チャレンジドが普通に、当たり前に、学び、働ける社会が日本で実現する日はいつ来るのでしょうか。その日を少しでも早めることができるよう、私も精一杯、頑張りたいと思います。そんな社会こそ、娘、麻紀に私が残してやれる最大のプレゼントだと信じています。

(たけなか・なみ)

 



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