朝日新聞 2004年2月27日より転載

 

 
 

この人と フライデー・インタビュー

 
 
被災地神戸からパワー
 
 

「弱者も社会支える一員に」

 
 

 

プロップ・ステーション理事長  竹中 ナミさん(55)

たけなか・なみ 1948年神戸市生まれ。本山中卒。16歳で結婚(のちに離婚)。24歳の時、重症心身障害を持つ長女麻紀さんを出産。91年、障害者の就労を支援する「プロップ・ステーション」を設立。98年、社会福祉法人に。

竹中ナミの写真 カラオケで歌うテーマソングは越路吹雪の「ろくでなし」と葛城ユキの「ボヘミアン」。「聴いた人は寝られません。3日ぐらいうなされます」=神戸市東灘区のプロップ・ステーションで、上田幸一撮影


――いま力を入れていることは何ですか。

 一番の目標は、すべての人が力を発揮して支え合う「ユニバーサル社会」の実現です。震災10年を機にもう一歩近づきたい。経済が低迷し暗い世の中ですが、今こそ既存の価値観を崩して新しい常識を、という人が確実に増え、私らの活動を支えてくれる。このパワーを神戸から伝えたい。

――具体的は。

 来年は10回目となる国際会議「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」を神戸で開きます。今まで福祉先進国から学んだことをアジアに伝える役割もある。

 神戸空港を世界一ユニバーサルな空港に、という計画も。バリアフリーは当然で、例えば体の不自由な人が、携帯電話で情報を得ながら自由に移動できるとか。建設反対の人は多いけど、どんな空港にするかという議論が抜けている。

――法律づくりにもかかわっていると聞きます。

 ユニバーサル基本法です。野田聖子、浜四津敏子両議員を中心に与党で2年間、勉強会をしています。「弱者が快適に暮らせるように」じゃなくて「彼らも社会を支える一員となる政策を」と全部の法律を見直す法律を作る。日本の国是を変えるのです。私としては来年に間に合わせたい。

――震災のときは。

 大阪で、泊まり込みの仕事をしてました。娘は小野市内の療養所にいて平気やった。でも東灘の実家近くの高速道路がこけて、電話もつながらへん。そこに、母から公衆電話で「家が全焼や!」って。

――なぜ被災地でユニバーサルなんですか。

 「まさか」は起きる、想像力を欠くと大変なことになるということを震災で学んだ。人間は非力やから力を合わせなあかんとみんな感じた。役所も個人の家もつぶれて、官や民やいうてる場合ちゃう、と。官だけが公益的なことをし、官は民を助けるものという概念が崩れる経験をした神戸だからこそ、です。

――世を変えるために自分が政治家に、とは思いませんか。

 なると言ったら、今の友達が全員ライバルになる。ならないと言えば全員味方になるかもしれない。私は超現実主義だから後者です。プロップはすべての政党の議員さんが興味を持ってくれはる。与党で議論してもらい、法案化するときは超党派で、という戦略です。対立から生まれるものははかないし、敵を作って何が何でも戦うっていうのは古い。

――「障害者の娘を残して安心して死ねる世の中に」と常々話されてきた。今の段階でいかがですか。

 まだまだ。娘が生まれた30年前、障害児を持つ多くの親が「この子より1日後に死にたい」って言うてた。生活が豊かになった今も同じことを言うてる。世の中が変わるのに半世紀はかかるけど、高齢化の進展からして、この5年が勝負。結果を出したい。できるが8分、できへんが2分、かな。

――神戸は好きですか。

 月の3分の1は東京です。でも私関西人やし、ほんまは肌合わんのですよ。六甲の山と海を見るとほっとする。神戸っ子のDNAが染みこんでるんです。

聞き手 柴田 直治
  宮崎 園子



「つなぎのメリケン粉」

 「チャレンジド(挑戦する使命を与えられた人)を納税者に」と、障害者が仕事を持ち自立するためのパソコン教室に力を入れる。でも本人はパソコンが苦手。IT系はスタッフに任せ、「達者な口とコケの生えた心臓」で国内外を飛び回り、支援を呼びかける。

 障害を持つ娘が生まれたとき、今は亡き父に「この子がおるとお前が不幸になるから一緒に死ぬ」と言われ、「二人を死なすわけにはいかん」と突っ走ってきた。どんなに忙しくても「会った人からエネルギーをもらうから全然疲れない」。性格は「欠点よりまず人の長所が見えるタイプ」。それも「必死で探さんと長所が見つからん娘のおかげ」と笑う。

 ほとばしる言葉。「講演すると聞いてる人の目が90分でがらっと変わる」と自負する。そのカリスマ性に政財界の大物から官僚、左右の活動家、市井の老若男女までが引きつけられるが、本人によれば「私はつなぎのメリケン粉」となる。