[up] [next] [previous]
  

文藝春秋 2004年1月1日号より転載

     
  アンナの“気になる人のエネルギー”  
 
人生 ナミ乗り越えて
 
 
荻野アンナ 2
竹中ナミ理事長
(社会福祉法人プロップ・ステーション)
 
 

 

荻野アンナさんと竹中ナミの写真


 ジャージの男性が、女性にパソコンのあれこれを説明している。操作はこのキー、と言う先にヒョイと足が上がる。足指でカチャカチャと、器用なものだ。

 お邪魔したプロップ・ステーションでは、これが日常。訓練を受けた障害者が、次は健常者を教える立場になる。

 生徒さんのほうが辛そうに自分の肩を揉んでいる。聞けば阪神淡路大震災の後遺症が首にきたそうだ。先生は両手マヒだが、メチャ元気で料理も抜群にうまい。

 障害者と健常者の境界線が、目の前で崩れていった。
「不可能が多い人ほど、可能性の種を持ってるんですよ」

 こちらの、理事長という言葉は似合わないので、ボスと呼ばせて頂く。竹中ナミ、通称「ナミねぇ」ボスは、「障」「害」という二重にマイナスの言葉を嫌い、アメリカの造語である「チャレンジド」を用いる。活動の初期に、全国規模のアンケートを実施したところ、チャレンジドの8割が「働きたい」と訴え、「武器はコンピュータ」と答えた。実現のためには何が必要か、ボスの頭のコンピュータがフル回転した。勉強して資格をとって在宅の仕事をすれば、チャレンジドも立派な社会人。一挙に納税者となる。「私らはゴールがわかってから始めた」から、やるべきことをひとつずつ、シラミ潰しにしていけばよかった。

セミナー風景 なぜ組織力をまだ持たないボスに、全国規模のアンケートが可能だったのか。ボスの人脈のおかげである。なぜボスには人脈があったのか。ボスの後ろに、大ボスがひかえていたからである。

 大ボスの名は麻紀さん。30歳の今も脳障害で、目は光を感じる程度。耳から入った言葉を把握できない。身体は赤ちゃんの動き。3ヵ月の麻紀さんに、ボスのパパが「わしが麻紀を連れて死んだる」と叫んだ。この子と「楽しく」生きよう、という決意をボスに固めさせた一言だった。

 わが子の育児法に、マニュアルはない。そこでボスは目、耳、身体と、パート別に障害者の会を訪ねて歩き、気の合う人を見つけては情報をゲットした。人対組織ではなく、人と人の信頼関係からは、思わぬ輪が広がっていく。

 同時に日本の福祉の現状を目の当たりにした。たとえば目が不自由な人たちは、生来の全盲、途中からの全盲、生来の弱視、途中からの弱視…と細かく縦割になっており、お互いの連絡はよくない。縦割の行政から縦割の予算が降りてくるからだ。

 弱い者に手をさし延べる、という発想が、福祉行政の根っこにはある。その人のマイナスの部分を、アイデンティティにしてしまう。逆にプラスを伸ばせば、ごく近い将来に、チャレンジドは少子化社会を支え得る、とボスは悟って、社会福祉法人を立ち上げるに至った。いわば大ボス麻紀さんの全身の不自由が、ボスを走らせ、まずは各種障害者の、次には障害者と健常者の、「つなぎのメリケン粉」役となった。

 母をここまで育てた娘は、不自由どころか、「超自由」な人。ナミねぇが「ラッキーウーマン」を自称する訳が腑に落ちた。

作家・荻野アンナ