産経新聞 2003年12月12日より転載

     
  第29回 産経市民の社会福祉賞  
 
勇気と希望 互いに学ぶ
 
 

 


 さまざまなハンディを持つ人たちに、勇気と希望を与える活動を続けてきた個人・団体を顕彰する第29回「産経市民の社会福祉賞」(社会福祉法人産経新聞大阪新聞厚生文化事業団主催、産経新聞社などの後援)の授賞式が11月26日、大阪市北区の新阪急ホテルで行われた。受賞したのは、50年もの活動歴を誇る「神戸市生活指導研究会」(田中智子会長)、高齢者に生きがいのある活動の場を提供してきた和歌山県の宇田寛さん(77)ら4団体と1人。ITを活用して就労を進めているプロップ・ステーションの竹中ナミ理事長の記念講演、受賞者による活動報告・交流会で、一様に「ボランティア活動は与えるよりも教えられることが多いんです」と強調したのが印象的だった。

 

■ 選考報告 ------------------------------
自立、リタイヤ後…ビジョン示した
  
大阪ボランティア協会 理事長 岡本 栄一さん
岡本栄一さんの写真


 近畿の2府4県と政令指定都市の大阪市、神戸市、京都市、中核都市の堺市、高槻市、姫路市などから、授賞候補として15の団体、個人を推薦いただいた。

 候補の中で、「神戸市生活指導研究会」が、活動歴50年という息の長さ、会員数の多さ、障害者や親子を対象にした家庭料理の講習、子供病院でのボランティアなどの活動が印象的だったのか、9人の選考委員全員が推薦しました。

 手話サークル「つくし」は「わたぼうし音楽祭」の手話通訳を開催当初から担当し、その活動の広がりを支えたこと、さまざまな大会、講演などに手話通訳者を派遣したり、企業社員に対する手話指導などが評価されました。

 地域の中で障害者が自立して生活するのがこれからの福祉の理想ですが大きな問題点はやはり「就労」です。株式会社大成産業(石田要一代表取締役)は、地元の養護学校や障害者施設と協力して、加工作業の発注のほか、常時数人の障害者を雇用するなど21年間も障害者へ勇気と希望を与えてきた業績には頭が下がります。

 残る2つについては、広報写真ボランティア(大阪府)、点訳ボランティア「てんてん」(神戸市)、外出ボランティア・グループ「やすらぎ」(神戸市)、高齢者の地域活動を進める和歌山県の宇田寛さん、音訳ボランティア「いずみ」(堺市)、京都家庭文庫(京都市)、手話サークル「まほろば」(奈良県)が僅差で並びました。

 結局、高齢化社会が進むなか、リタイヤ後の人生をどのように過ごすか、その参考を示してくれそうな「広報写真ボランティア」と宇田寛さんを選び、ぜひ活動報告会で詳しい話をお聞きしたいな、ということになった。

☆ 選考委員
大國 美智子(大阪後見支援センター所長、医学博士)
岡本 栄一 (大阪ボランティア協会理事長)
尾関 宗園 (大徳寺大仙院住職)
黒川 昭登 (皇學館大学教授)
高岡 國士 (全国福祉施設経営者協議会会長)
比嘉 邦子 (比嘉法律事務所 弁護士)
和田 治子 (大阪国際福祉専門学校学事顧問)
柳原 正志 (産経新聞社編集局長)
古庄 達雄 (厚生文化事業団専務理事)

 

第29回「産経市民の社会福祉賞」
 

神戸市生活指導研究会 (田中智子・会長)神戸市


 昭和28年、食糧難による子供らの営業不足を改善しようと、教育省の故小泉ハツセさん(初代会長)が神戸市などに呼びかけて発足。10人足らずの会員でスタートし、市内各地の市場で主婦向けの講習会を開催。食生活の改善を指導してきた。

 食糧難が解消し始めた40年代からは、老人ホームや病院でのボランティア活動、高齢者への給食サービスを始め、いまでは会員数が300人を超えた。

 「いまは食糧難どころか、飽食の時代ですが、食生活の改善が必要なのは変わりません」と田中智子会長。生活習慣病が増加し、健康志向ブームのいまこそ、「食の伝道師」としての役割は大きくなっている。

 最近は幼いころから食生活に関心を持てるようにと、子供や親子向けの料理教室も開催。「私たちが受け継いできた知識や経験を、次の世代の人たちにもきちんと引き継いでいきたい」と田中会長。これからも息の長い活動を続けるつもりだ。

 


手話サークル「つくし」 (細溝美和子・代表)大阪市


 障害者の書いた詩にメロディをつけて発表する「わたぼうし音楽会」の舞台で手話通訳、企業の社員向け手話講習会の講師を引き受けるなど、30年近くにわたって活動を続けている。

 現在、代表を務める細溝美和子さん(40)の夫、良和さん(60)ら、大阪ボランティア協会の手話講習会修了生が中心となって、昭和49年3月に結成した。

 会員は20代後半から60代までの約40人。上級者向けの勉強会では、ヘッドホンステレオから流れる会話を聞きながら手話に翻訳する実践的な講習で、細溝さんから「今のは違う」と厳しい声が飛ぶかも。

 昭和56年の国際障害者年と、聴覚障害者を主人公にしたテレビドラマが放映された平成7年に手話ブームが起きたが、現在は沈静化。細溝さんは「最大の魅力は手話を通じた人間関係が築けること。少ない人数でも確実に会員の手話の力を向上させていきたい」と話している。

 


(株)大成産業 (石田要一・代表取締役)京都府美山町


 障害者の就職受け入れに積極的に取り組んできた。

 「何も大層なことしてへん。うちがこんな賞もらってもええんかな、思うてます」と社長の石田要一さんは(56)は笑う。「働きたいという人にできることをしてもらう。あたりまえのことをやっているだけ。福祉とか、ボランティアという感覚はまったくありません」。

 昭和45年の創業当初から、地元の知的障害者施設の利用者や、養護学校の卒業生の就職受け入れに積極的に取り組んできた。

 「小学生のころに入院したんですが、病院内の職業訓練校では障害者は決まった仕事しか訓練させてもらえなかった。『制限されているなあ』と。その思いが大人になっても残った」と石田さんは活動の原点を振り返る。

 現在、同社では2人の障害者が働いているが、「ちゃんと仕事の責任はとってもらいます。そうすることで責任感が生まれる。できることには何でも取り組んでもらう。それが福祉やと思います」。さりげなく言ったひと言に21年の重みがあった。

 


NPO法人・広報写真ボランティア
(仲尾公利・代表)大阪市


 「趣味でやっているだけでは自己満足。会報や新聞に写真が掲載されると本当にうれしい」と会員の口野長治さんは活動の源泉を語る。

 平成9年に大阪で開かれた「なみはや国体」の写真ボランティアとして集まった有志が、グループを結成して活動をはじめ、11年にNPO法人となった。

 大阪府や大阪市、財団法人オリンピック招致委員会などに協力し、世界卓球選手権大阪大会や大阪国際女子マラソン、世界水フォーラムといったイベントの広報、記録写真を数多く撮影してきた。

 会員は府内の40−80代の自営業者やサラリーマン、定年退職者ら約20人。仕事の合間を縫って活動を互いにカバーしあっている。

 ボランティアとはいえ、一瞬を狙う写真撮影に失敗は許されない。「引き受けたからにはプロと一緒」という思いで挑み、技術を向上させるために会員同士で練習会をしばしば開いている。

 


高齢者に生きがいのある活動の場を提供
宇田寛さん(77) 和歌山県桃山町


 「受賞は大勢の仲間がいてくれたから」と宇田さん。昭和60年に住友金属和歌山鉱化を定年退職した後、「地域のために何かしたい」と町老人クラブ連合会に入会し、平成3年から昨年まで同会長を務めた。

 学校の校門そばで花を育てる「四季彩の花づくり」や竹細工など昔の遊びを子どもと楽しむ「文化伝承活動」を企画し、高齢者の活動範囲を広げるとともに、児童らのふれあいの場を作ってきた。

 平成6年から始めたスポーツ大会が特に好評で、小豆をはしでつまむ競争や輪投げなど、だれもが楽しめる競技を実施。毎回400人近くが参加するほどの盛況ぶりだ。

 現在も、町社会福祉協議会副会長に加え、町赤十字奉仕団委員長も務めており、夢は「町民全員が『桃山町に住んでよかった』と思ってくれること」と話す。

 


受賞者さん達の写真
「障害者のかたに教えられることが多いんです」と、ボランティア活動の体験を語る受賞者たち

 

■ 受賞者による活動報告 ---------------


 手話、障碍者や親子への料理講習、記録写真サービス…受賞者たちのボランティア活動のジャンルはさまざまだが、お互いに協力しあえることや補完できることはないだろうか。共通の課題や解決策も採れるかもしれない。ボランティアに詳しい新崎国広さん(大阪教育大学助教授)のコーディネートで、受賞者たちの体験を話し合ってもらった。

 

 
宇田 寛さん
 
田中智子さん
 
仲尾公利さん
 
細溝美和子さん
 
石田要一さん
 
新崎国広さん

新崎 活動報告とともに、ボランティア活動の意義と可能性について、皆さんにうかがいたい。

宇田 60歳の定年を機に、それまで疎遠だった地域で何かできることはないかと関わるようになった。老人クラブは、「高齢者は健康でないといけない」「若い人の世話になってばかりではいけない」という目標を決めて、花作りや竹細工を通して、幼稚園や小学校と子供たちと交流したり、高齢者の健康のためのスポーツ大会を始めました。

田中 わたしたちの活動は戦後の食糧不足からくる子供たちの栄養状態を改善するため、昭和28年にスタートしました。いまは、高齢者への給食サービスや児童、視覚・聴覚障害者の方への料理指導、病院ボランティアなど、いろんな意味で福祉のお手伝いをしながら勉強させていただいています。

新崎 50年という活動は、歴史ですね。そして時代に対処しながら、当事者に学ぶ活動をされてきた。

仲尾 うちは、大阪で開かれた「なみはや国体」のボランティアの写真班がきっかけでした。国体で知り合った方から「イベントをするのに写真に割く人手がない。頼めないか」と言われ、そんなニーズがあるのなら、と会を作った。いろんな所で写真を撮らしてもらい、その場に居あわせてはじめてわかる社会体験をさせてもらっている。役に立っているというより、“いただいている”もののほうが大きい。

細溝 「つくし」では手話を通じて、耳の不自由な方への情報保障をするということに重きをおいています。手話はとっつきやすく見えますが、入ったらとても難しい。本当に信頼される情報提供をするためには、健聴者に、手話っていいもんだということも広めていきたい。

石田 わたしは賞をいただいて正直、戸惑っています。というのも、幸いわたしも障害を持っているんですが、“障害”という感覚がわたしにない。近くに知的障害者の施設があって「この子らやったら、うちの仕事ができるで」と園長さんに気軽に声をかけて、今にいたっているだけです。

新崎 われわれは障害を持つ人に対して、「できる」「できない」という判断で関わりがちですが、 石田さんはその人個人を見ておられる。

石田 こういう経済環境ですから、今は仕事をもらうのは難しい。安いだけではあかん。品質なんです。難しい仕事はロボット化するなど工夫はしていますが、障害のある人もない人も、責任とリスクは同じように背負ってもらいます。

新崎 先進技術と皆さんの活動の接点はいかかでしょう。

細溝 手話に関わり始めた10数年前と画期的に変わったのはパソコンと携帯メール。文字による通信ができることで、聴覚障害者の仕事の幅も格段に広がりました。

新崎 人と出会うことでお互いが学び合い、相手の喜びを得ることが活動のエネルギーになっている…皆さんのお話から、そんな共通点を感じました。同時に、障害のある人が社会に参加する、より積極的な形として「働く場」をどう広げていくかという、これからの福祉の課題も見えてきた。ボランティア活動とは、お互いの関係の中から作っていくものだと、改めて思いました。

 

■ 記念講演 ------------------------------

「すべての人が支えあって生きられる社会」
竹中 ナミさん(プロップ・ステーション理事長)

竹中ナミの写真
竹中ナミ(たけなか・なみ 社会福祉法人プロップステーション理事長)
 重症心身障害児の長女の療育のかたわら、障害児医療・福祉・教育について独学。challenged(障害を持つ人たち)の自立と社会参加を目指して、平成3年5月、ITを活用した障害者の就労を進めるプロップ・ステーション設立。

 

”できること”引き出す社会へ

 プロップ・ステーションは、重度の障害を持つ人が、コンピューターやインターネットなどのIT(情報技術)を駆使し、必要な情報を得ながら社会とつながり、仕事に結びつく発信をしていきたいと、12年前にスタートしたボランティアグループです。

 なぜ、わたしがこの活動に取り組んだというと、娘が重症心身障害なんです。この2月で30歳になりました。視力も聴力も言語も身体も知能も精神も、全部が重い障害です。彼女を授かったとき、どう育てたらいいかという情報が、わたしにはありませんでした。

 いろんな専門家と医者を訪ねました。その中で私は「医者は薬や手術で治せる人なら受け止められるが、その範疇(はんちゅう)をこえると何もできない。専門家には、専門という限界がある」ことを発見しました。そしてある日、見えない問題を考えるなら、見えない人に聞けばいい、と気づきました。そう思ったとたん、ありとあらゆる障害者の人とつきあい始めました。娘が、ありとあらゆる障害を持っていたからです。

 障害者という言葉は、「障」も「害」もマイナスイメージが連なっています。でも、その人の内部には、家族ですら気づかない“できること”がある。なのに、日本の福祉はできないところだけ見て援助する。それでは、その人のできる部分にフタをしてしまう。

 プロップでは、障害者と言わずに「チャレンジド」という言葉を使っています。アメリカで生み出された言葉で、挑戦という使命や資格、チャンスを与えられた人たちという意味です。それを聞いたとき「障害者」という言葉しかない日本の文化を、なんとか自分たち自身で変えていきたいと思いました。

 働いて、自分の力を世の中に発揮し、社会に貢献する側、支える一員になりたいという意志を持つ重度の障害を持つ人たちを含めて、プロップのコンピューターセミナーを受講した人は2,000人を超えました。その内の100人以上が、昨年1年間にプロフェッショナルな仕事をしています。コンピューターという道具を使うことが、次の新たな一歩に通じると、日々実感しています。

 きょう表彰を受けられた皆さんも、気の毒な人たちがいるから何とかしてあげようではなく、その活動をすることによって自分が充実し、高まっていくと話されました。皆さんが地道にされてきた活動は、これからの日本を、地域を支えていくものだと思います。

 これからの福祉は、ひとり一人のできないところを指摘するのではなく、できることを引き出す形に変わっていかなければ。それが、すべての人を支え合う社会ということだと思います。