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人材教育 2003年8月号より転載

     
 
チャレンジドの能力開発は
一番目に信じる、
二番目に良いところを見ること
 
 
社会福祉法人「プロップ・ステーション」理事長 竹中ナミ氏
 
 

 

「チャレンジドを納税者に!」をキャッチフレーズに、障害者の就労促進活動を展開しているのが竹中ナミさん、通称ナミねぇである。頼る福祉から稼ぐ福祉へ――それがナミねぇのポリシーである。新しい発想と使命感を持った、いま最も元気のいい、変革リーダーの1人だろう。8月に千葉で行われる「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」のプレ大会後のインタビューは、機関銃から発せられるような歯切れの良い関西弁。それも胸をえぐる言葉を軽く吉本流に吐き出す。インタビュー後はKOパンチを食らったような軽いめまいを感じたが、それはもちろん快い感動のめまいであり、新しい時代の風から受けた衝撃であったかもしれない。

インタビュアー:宮本惇夫
撮影:中島健一

 

竹中ナミの写真

“チャレンジド”という言葉の裏にあるもの


先ほどのプレ大会(注:5月6日千葉市にて開催)で、堂本暁子千葉県知事との対談、面白く聞かせていただきました。竹中さんの使っている“チャレンジド”(障害を持つ人)という言葉のなかに、そんな深い意味があるとは知らなかった……。

竹中 アメリカから入ってきた言葉で、本来はもっと広い意味で、「課題に挑戦する人」たちのことをチャレンジドと呼んでいます。神戸の大震災の時なども、復興に立ち向かっている人たちのことをチャレンジドと呼んでいました。私たちもプロップの活動を始める時に、どうも障害者という言葉は「障」にしても「害」にしてもマイナスイメージが強い。何かそれに代わる言葉はないかと思って、チャレンジドを使い出したわけです。

 アメリカでも元は障害者のことをハンディキャッパーとかディスエープルドパーソンとか呼んでいたわけですが、何とかそれを変えなければといって生み出していったのがチャレンジドだった。ではなぜ〜edと受け身体になっているかというと、これは使命や課題に立ち向かうチャンスを与えられたという意味で、受け身体になっているというんです。言葉も時代の感覚に応じて変えてしまう文化、新しい言葉を生み出してしまう米国の文化というのは凄いなあと感じましたね。それもその国に障害者に対する哲学や文化があるからだと思います。その結果としての言葉なんやな、と思いますね。

思想や文化がなければ言葉も貧弱なものになるといえますね。

竹中 逆にいえば日本には障害者に対するプラスの視点、思想がないゆえに、障害者という言葉が生まれ定着をしている。だとすると、日本語の感覚にないものを日本語で生み出すのは難しい。そこでバリアフリーやノーマライゼーションと同じように、横文字だけど精神を入れるつもりで、この言葉を私たちが使い始めることによって、この意味がもしかしたら広まるかもしれない。そんなことからチャレンジドを率先して使おうと。それがジワジワと広まっていけばいいなと思っています。

使命や課題に挑戦する人という意味で、〜edと受け身体になっているというのも奥が深いですね。

竹中 人間にはすべての人に自分の課題に向き合う力が備わっている。だから課題が大きい人にはその力がたくさん与えられているんだよ。とも聞きました。この言葉を教えてくれたのはアメリカにいるプロップの支援者だった。神戸の大震災で実家は全焼し、プロップを立ち上げた仲間も全員が被災者。どうやって助け合い、立ち向かっていこうかと苦しんでいる時にこの言葉を教えてもらいました。

 

竹中ナミの写真

障害者は凄い能力をいっぱい持っている


障害者の自立支援組織である「プロップ・ステーション」を立ち上げたのは1991年5月。何がきっかけだったのですか。

竹中 私の半生については最近出版された『ラッキーウーマン』(飛鳥新社刊)を読んでいただけると助かるのですが、今年30歳になる麻紀(まき)を授かったことがきっかけですね。重い脳障害を持って生まれた子で彼女は言葉も喋れへんし、視覚も聴覚もほんのわずかしかない。麻紀ちゃんを見て私の父親は「わしがこの孫を連れて死んでやる」と。

 「なんでやの、父ちゃん」というと「お前が不幸になる。お前が可哀相や。辛い目に合う」と、こう言うわけです。けれども「これが幸福で、これが不幸で、これが大変で」などということは人が勝手に決めるもんやなくて、自分が決めることです。

 親と子を一遍に死なせてたまるかいな、そんなら私が楽しくしていたら麻紀も父ちゃんも死なないで済む、こう意を固めました。結局わかったのは麻紀の障害は治せない、不可能ということだけやった。といっても、その先をどうしたらええかといえば、その応用編についても何もない。

 その時ふと気がついたのは、目なら目、耳なら耳、それぞれの障害者に会って「何が不便で、何が困ることで、何が楽しめることなのか」、それを教わればいいと。そこでボランティア組織に入っていろいろな障害者と付き合うようになった。付き合ってみると「何や、みんな凄いやん!」というのが正直な感想でした。障害者だといっても凄い能力を持った人がたくさんいる。不幸だ、可哀想だと世間ではいっているが、それはできないところだけを見ているからであって、できるところを見ていたら、障害者の凄い能力に目を見張らされる。私が障害者のその凄さを現実化していく必要があるのではないか、と考えたのはその時ですね。

現実化といいますと……。

竹中 「働いてお金を稼ぎたい」「やりがいを持ちたい」と思っている人たちの自立を支援する活動です。ケネディ大統領の就任教書にある「私はすべての障害者を納税者にしたい」という言葉が下敷きになった。いままでの日本の障害者政策というのは、何が無理か、何ができないということを数えて、それを埋めていくやり方だった。そして残っている能力にふたをしてきた。補助金を上げるといって。これでは卑屈になったり不安を持ったりするのは当たり前。彼らが欲しいのは誇りであり、人に認められることなんです。

 1日も早く彼らの持っているものを引き出すことを福祉と呼ぶように、国のポリシーを変えなければだめと感じるようになりましたですね。幸いにしてITという道具が開発され、障害者でも訓練次第で仕事ができるようになってきたわけですから。

今日、堂本知事は「ナミねぇの凄いところは、自分の経験を普遍化してしまうところ」と言ってましたが、それがパワーの源泉でもあるんでしょうか。

竹中 よく皆に言われるんですが、とにかく人間が好き。人間以外のものには興味ない。だれと会ってもどんな話をしても楽しい。人と会って喋るとその瞬間、ドッとその人のオーラ、それもプラスのオーラが流れてくる。それが元気の秘密かもしれませんね。というのも、娘が生まれてから、彼女とどうやって楽しく過ごすばかり考えてきましたから。彼女のいいところだけ見る、それはとても難しいことでもあるんですが、それを探して過ごしてきた。その経験が人と会う時に、その人のプラス面を見逃さないようにとの訓練になっているといえますね。

 だから人と会って何時間喋っていても疲れない。自分なりに希有なものを授かっていると思うんですが、そうなってきたのも子供の存在が大きい。私は彼女を育てた覚えはほとんどないんですが、間違いなく彼女は私を育てた。

 

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娘は私にとって四つ葉のクローバー


竹中さんにとっては麻紀ちゃんは四つ葉のクローバーだったと、本に書いてあります。

竹中 四つ葉のクローバーは幸せのシンボルというて、みんな一生懸命探して栞(しおり)にしたりする。しかし自然界のなかでは異端。それを幸せのシンボルと思って大事にするのは人間の想像力の賜物です。「標準から外れているから悪い」と思わないで、「これはラッキー」という物差しをつくった。それは1つの素晴らしい文化だし、チャレンジドについても同じことが言えるんやないかと思う。

その四つ葉のクローバーを見つけた時に、その人は変わっていくんでしょうね。

竹中 自分が障害を持った自分であると気づき、障害を持たなかった自分とは違うことができるかもしれないぞ、と思った瞬間、それが本当の意味での気づきという気がしますね。それがどんな時にくるかわかりませんが。

チャレンジドの能力開発という点で、心掛けているのはどのようなことでしょうか。

竹中 良い点を見つけるということはもちろん大切なことですが、それはどこまでも2番目の要素。1番目は信じること。この人は必ず無限の可能性があるということを信じられるかどうかです。信じられたらプロップがやれる。信じられなかったらできない。いろいろな人がプロップのようなことをやりたいと言ってこられる。それは人間の可能性を信じられたら絶対やれるんです。後はその人のやり方でやればいい。やはり信じられるかどうかが1番で、信じられたら次の瞬間にその人のいいところが見えてくる。会って話している間に何となく伝わってきます。

 

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補助金よりも仕事を得るには自分を磨いてチャンスをつかめ


「補助金いらんから仕事をくれ」というのが竹中さんの主張だそうですが、企業などの障害者政策は変わってきているんでしょうか。

竹中 企業はチャレンジドのなかにどんな凄いものが眠っているか知らない。チャレンジド側もまた法定雇用率が未達成だから自分たちをもっと雇えとは主張しても、私はこれができるから、自分はこんな特技をもっているから仕事をさせて欲しいといった運動はしてこなかった。そういう意味で企業、チャレンジドどっちにも責任があったといえる。それだけにどっちにも、できれば同時に変わって欲しいというのが、「チャレンジド・フォーラム」を実施している大きな目的でもあるわけです。

 いま企業社会は終身雇用、年功序列体制が崩れるなかで、働く人、企業経営者双方とも働くとは何だろう、人を雇うとは何だろうということをもう1回見直さねばならない時代になってきた。それは私たちにとって大きなチャンスであるわけです。チャレンジドの方も1・何%という、単なる法定雇用率のポイントと思われていたのを「私たちは数字ではありません。これができる、こんな人間です」といえる時代がやってきたといえる。ただそのためには、自分を磨く場所が必要となってくるわけですが、プロップはそのシステムをつくってきた。このようなシステムを全国各地、いろんなところでやらはったら、たくさんのチャレンジドが出てくる。「これができます」という人が生まれてくる。そうすれば企業の方も、この人に働いてもらう、これをやってもらうというように変わるのは何の不思議もない。このチャンスをものにできるかどうかは、チャレンジドの側にかかっているわけです。

いま竹中さんが目標としていることは何でしょうか。

竹中 プロップのやってきた目標のようなものが社会のシステムとなって、全国どこでもどんな状態の人でも学ぶチャンス、働くチャンスがあり、その人の力が世の中で発揮でき、皆が支え合うことのできるようになればと思っていますが、いま言いたいのは「これ以上、殺伐とした社会にしないで欲しい」ということですわ。

 これ以上の殺伐とした社会になれば、必ず私の娘のような人間は「何でこんな社会に何の益もない人を生かしておかなければならないの」「何でこのような人のために税金を使わなければならないのか」ということになってくる。だってわずか100年前の日本には、子供の間引きや姥捨て伝説が存在していたんだから、そういう人間は不要やと決めてしまうのか、いや、存在することが自分たちの社会には必要なんだ、意義のあることなんだ、となるのか……。

 そこで四つ葉のクローバーの話につながってくるのですが、彼女のような存在を皆で守って欲しい、というのが私の願いでもあるわけです。ただ守るって口で言うのは簡単やけど、いざやるとなるとお金と人手が要る。それじゃ金と人手をどうやって生み出すか。最後は社会のシステムと人の意識両方が変わらなければ――ということになっていくでしょうね。

 


来る8月21、22日の両日、千葉の幕張メッセで、産官学民連携の「第9回チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議 in ちば」が開催されます。詳細はホームページをご覧下さい。
http://www.prop.or.jp


●竹中ナミ(たけなか なみ)氏
1948年(昭和23年)神戸市生まれ。神戸市立本山中学校卒業。小学校のころから家出を繰り返し、15歳で同棲、高校除籍、16歳で結婚。ゴンタクレ(おてんば)な10代を送る。24歳の時、重症心身障害児の長女を授かったことから、生き方が変わり、療育の傍ら障害児医療・福祉・教育を独学。またボランティア活動にかかわる。1989年障害者の自立を支援する組織「メインストリーム協会」を設立、事務局長に。91年5月就労支援組織「プロップ・ステーション」を創設。98年厚生大臣認可の社会福祉法人となり、理事長に選任させる。“ナミねぇ”の活動の支援者には、浅野史郎宮城県知事、北川正恭前三重県知事、金子郁容慶應大学教授、筑紫哲也氏、成毛眞インスパイア社長など、多彩な人物が名を連ねる。主な著作に『プロップ・ステーションの挑戦』(筑摩書房)、新著に『ラッキーウーマン』(飛鳥新社)がある。