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神戸新聞 2003年7月23日より転載  (第6回)

     
 

随想

 
 
チャレンジド
 
 
―――――竹中 ナミ
 
 

 


 5月に飛鳥新社から拙著「ラッキーウーマン〜マイナスこそプラスの種」が発行され、たくさんの方から感想のメールが届いてるんですが、その中でも私と同じチャレンジドの子どもを持つお母さんのメールは「自分自身をラッキーウーマンと書いていることに共感した」というものが多く、驚くと同時にとても嬉(うれ)しく思っています。

 「ラッキーウーマン」は、16歳で同棲(せい)、高校除籍(従って学歴は中卒)という私のハチャメチャな不良時代から、今年30歳になる重度脳障害の娘−麻紀の療育、プロップの活動、ユニバーサル法案制定に向けた現在の動きまでを関西弁で書かせてもらったんですが、感想メールを下さった若いチャレンジドのお母ちゃんたちは「私らは、アンタ可哀想(かわいそう)やねぇとか、気の毒にとかばっかり言われるのはもうあきあきしててん。そらしんどいことも多いけど、この子が居たからこそ感じることができた幸福な気持ちや体験を誰かに大声で伝えたかったんや。でも不謹慎なような気がして言えんかった。ナミねぇ、よう言うてくれたなぁ」というものでした。

 「チャレンジド」というのは障害を持つ人を表す新しい米語で、「挑戦という使命や課題、あるいはチャンスを与えられた人」を意味します。「障害者」というマイナスイメージの強い呼称をポジティブな感覚で捉(とら)えなおした「チャレンジド」という言葉は、「全ての人には自分の課題に向き合う力があり、課題が大きい人にはその力もたくさん与えられている」という意味を持っているそうです。

 考えてみると、人は皆チャレンジドかもしれへんですね。

(たけなか・なみ=社会福祉法人プロップ・ステーション理事長)