神戸新聞 2003年1月3日より転載

     
 
「マキタン」と母は呼んだ
 
 
娘の“生”問い 駆けた30年
 
 
 

しあわせかくれんぼのカット 姉御肌。知る人ぞ知る「ナミねえ」。大臣、知事、官僚。お歴々を前に弁舌がさえわたる。「障害者を納税者に。やればできます」
 障害者の就労支援に力を入れる神戸の社会福祉法人「プロップ・ステーション」の理事長、竹中ナミさん(54)=神戸市東灘区。自ら「過激」と認めるように、掲げるスローガンは簡単には実現しない。しかし、壁は高くて厚い方が好き。わき出る元気の泉を、この人は持っている。

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 30年前。若き母ナミねえは24歳。2人目の子。そして初の女の子が産声を上げた。「麻紀(まき)」と名付けた。3ヵ月検診。医師は言った。「障害がありそうです」。検査漬けの日々が始まった。
 夫は落ち込み、おじいさんとなった父は思い詰めた。「ワシがこの子を連れて死ぬ」。娘に苦労させたくはない、忍びない。またそんな発想をする人がかなりいた時代。親心は、痛いほど伝わってきた。
麻紀さんとナミねえの写真 えらいこっちゃ。父に、それをさせてはならない。しゃがんでる暇なんかあらへん。つらいと思うことは、父と娘の死を認めること。恐ろしい一言が、若い母を前へ前へと駆り立てた。
 2歳、3歳。成長しても娘は、親に甘えることをしなかった。母がだれかも、どうやら分かってはいない。しかし時折見せる笑顔。かわいい。私の子だ。おしめを替えながら、母は口笛を吹いた。
 養護学校通い、ボランティア。体験がナミねえを育てた。障害者の就労支援が、やがて大きな目標になる。ちょうどパソコンが普及し始めていた。「そうや、これなら障害者も家で働ける」。1991年、プロップ始動。翌年、離婚。夫は娘の障害を重荷にし続けていた。ほどなく、小野市の国立療養所青野原病院への娘の入院が決まる。ナミねえは、エンジンを全開にする。
 厚生労働省や内閣府の各種委員、財務省の財務制度審議会専門委員。今はこんな肩書まで付いた。

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 「マキタン」。母が娘の耳元でささやく。両手でほおを挟む。青野原病院。母は毎月一度、ここに来る。間もなく30歳になる麻紀さんが笑う。しかし目は定まらない。視線がからみ合うこともない。
 面会を終えたナミねえは、珍しく声を湿らせた。迫り来る少子高齢社会。福祉が破たんする不安。
 娘のように税金を食う人間は、そのうち、社会に存在してもらっては困ると言われかねない。でも、働くことのできる障害者がどんどん仕事を持ち、納税するようになれば…。そのとき、娘も、生きていける。
 それとね、とナミねえ。私が社会に役立っているとしたら、私を育てた麻紀の存在意義もある。

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 プロップを通して光っていく人材がある。共感の輪が広がっていく。
 夜、仲間に囲まれ、活動の実りをかみしめてビールを飲む。笑顔のマキタンが白い泡に浮かぶ。ナミねえの顔が、ヒマワリになる。


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