チャレンジドが、かわいそうだから保護される対象ではなく、支援を受けながら働き、当たり前の納税者になる社会を実現するために、ITが持つ可能性は大きい。
生まれつきのチャレンジドだけでなく、20代、30代で障害が突然に訪れる場合もある。
訪れた障害を受容するのはとても難しいことだが、そんなときでも、あえて「誇り」を持った生き方を続けていける世の中にしたいと思う。
そのためには、自分が社会に、そしてこの地域に生きることの意義を自覚できることが大切だ。他の人たちと同じように生きることで、生きている人間としての尊厳を確認することが重要だろう。
すべての人がともに生きるには、コミュニケーションが十分にとれることが望ましいが、ITの進展が、チャレンジドを含むいろいろな人の間の対等なネットワークを実現した。
人と人とが直接会うことは、確かに大切なことだ。だが、直接会うコミュニケーションは、風貌(ふうぼう)だとか声の調子だとかの外見に惑わされることもある。
チャレンジドの多くは、外見による偏見を経験している。逆に、自分と会うことが相手に負担をかけているのではないかと気を使うこともしばしばだ。これは、「会う」という形のコミュニケーションが作った障壁。
これをコンピューターによるネットワークが取り去ってくれた。
これからは、チャレンジドだけでなく、子育て中の人、親を介護している人、そして高齢者などが、いろいろな働き方、暮らし方をできる多元的な社会に移行していく。
ITは、使い方を誤れば他人を誹謗(ひぼう)中傷する道具にもなるが、多元的な社会でともに生きる者同士が互いの誇りを尊重しあう力としても使える。
どのように使うかは、ひとえに私たちの知恵にかかっている。
(保坂 直紀)
|