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ガバナンス 2002年2月より転載

     
 
チャレンジドが「福祉」を変える!
 
 
 
 
第3回 どう違う? ボランティアとアテンダント
 
     


 日本でも阪神大震災をきっかけに、ボランティアの存在とその活躍が広く社会に認識されるようになってきました。私も、社会のために役に立ちたいという人が増えたことを、とてもいいことだと思っているのです。

 ところで、皆さんは「アテンダント」ということばをご存じですか。ある意味でボランティアと近い言葉ですが、どう違うか知っていますか。

 実は、私自身もこのことばは88年に初めて知りました。西宮市で「第9回全国車椅子大会・兵庫大会」が開催されたのですが、そのとき、当時20歳のチャレンジドの青年が大会事務局長を務めていて、私に協力を求めてきたのです。その彼が「大会でアテンダントを導入してオプショナルツァーをやりたい」と言うので、「アテンダントてなに? 有償ボランティアのこと」と聞くと、「ちゃう、ちゃう」と言うのです。そこでよく聞いてみると、アテンダントとはアメリカで生まれた存在で、ボランティアと違って有料の介助者を意味しているのだそうです。

 一般的に障害者とボランティアの関係はどうでしょうか。基本的にはボランティアの自由意思に頼ることになりますから、どうしても「してもらう」「やってあげる」関係になってしまいます。つまり、ボランティアの善意の質に注文をつけることはできないのです。したがって、チャレンジドの側からいえば、必ずしも使い勝手がいい場合ばかりとは限らないのが現実です。

 ところが、アテンダントの場合は金銭を介在させることで対等な立場に立ち、いわばプロの介助者を雇うことを意味しています。その場合、自分の必要とする介助を求めることができる、チャレンジド自らが主体的に介助の質と内容を決めることができるのです。

 例えば「障害者」は、入浴のときに抱きかかえて風呂に入れてもらいますよね。ボランティアの場合、万一落とすなどの事故が起こると、その責任はボランティアに帰してしまうのです。ところが、アテンダントの場合には「体重が何キロあるから注意してほしい」「私を安全に抱くにはこうしてほしい」と、きちんと利用者が情報を伝える必要があるのですね。いわば「雇用主」としての責任が問われるわけです。

 誤解してはいけないのは、このことは契約に基づくドライな意識を持てということではありません。そうではなく、チャレンジドが自立していくために、必要な成長過程だということなんです。人の善意にすがって、棚からボタ餅が落ちてくるのを待っているのではなく、自らの行動に責任を持つことで自立的な意識を獲得していくことが重要だということです。

 チャレンジドが自立していくには、社会の手助けが必要です。しかし、障害者は「いつも助けてもらう自分」なのではなく、周囲にとっても「いつも助けてあげるべき人」なのではありません。「障害者」は特別な人ではないのです。あなたと同じ、ごく普通の隣人なのだということを理解してほしいなぁ、と私は思っているのです。「第9回全国車椅子大会・兵庫大会」は、アテンダントの導入で大成功に終わったことを付け加えておきます。


たけなか・なみ 
1948年、神戸市生まれ。娘が障害をもって生まれたことをきっかけに、以後30年にわたっておもちゃライブラリ運営、肢体不自由者の介護をはじめ、各種のボランティア活動に携わる。91年、コンピュータとインターネットを利用したチャレンジド(障害者)の自立と就労を支援するNPO「プロップ・ステーション」を立ち上げ、99年、社会福祉法人格を取得、理事長に就任。その活動には行政をはじめ経済界、研究者の間でも支援の輪が広がっている。著書に『プロップ・ステーションの挑戦−「チャレンジド」が社会を変える』(筑摩書房)。

社会福祉法人 プロップ・ステーション 
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