月刊福祉 2002年7月号(2002年6月6日発売) より転載

【ウォッチング2002】

自立社会に向けての選択肢

〜プロップステーションの活動〜

時代の推移につれ、福祉のシステムはもとより、その考え方や手法も大きく様変わりを続けている。今や福祉はそれだけで終結するものではなく、現代生活を巻き込んで、さらに人間の生活を視野に入れて考えるべき問題といえよう。そこでさまざまな分野で活躍しているエキスパートたちと通じ、新たな視点を拓いていく。


社会福祉法人 プロップステーション理事長
竹中 ナミ(たけなか なみ)
◆ ボランティア活動を経て1991年よりプロップステーション準備会設立、1992年発足と同時に代表に就任、現在に至る。チャレンジド(障害をもつ人)の自立と社会参加に向けた様々な活動を展開。財務省財政制度審議会専門委員、内閣府経済財政諮問会議経済活性化戦略会合講師等、多数の委員等に就任。著書に「プロップステーションの挑戦」(筑摩書房、1998年)他


社団法人全国脊髄損傷者連合会副理事長/『月刊福祉』編集委員
成瀬 正次(なるせ まさつぐ)

成瀬

アメリカでADA(Americans with Disabilities Act:障害のあるアメリカ人法)が誕生したとき、日本の障害者たちが「JDAをつくってもらおうじゃないか」という言い方をしたことがあります。それから10年余り経ちました。最近では全国脊損連合会をはじめいろいろな団体が集まって勉強会を開き、「JDAを自分たちでつくろうじゃないか」というとこまで進んできています。

今日は、「チャレンジドを納税者にできる日本」をキャッチフレーズに掲げている、社会福祉法人プロップステーション理事長の竹中ナミさんのお話しを伺いたいと思います。

はじめに、障害をもつ人を「障害者」ではなく「チャレンジド(challenged)」と呼称されたその意味や、活動の経緯から伺います。

チャレンジドの意味を広めていくために

竹中

私は、自分の娘がいわゆる重症心身障害者で、今、30歳になります。視力も聴力も知的にも重い状態ですが、それでも、やはり私にとって彼女は喜びであり、希望です。彼女から学んだことをもとに、あるいは彼女を通じて出会った人たちと、様々な自立支援のための活動を続けてきました。でも社会は、「障害者」とか「重症」をつけて、あたかも価値のない人のように彼女を呼ぶ。これは私にとっては絶対おかしなことだと感じていました。

1995年に阪神・淡路大震災が起きて、私の神戸の家も焼けてしまったのですが、その直後にアメリカにいる支援者の方から、「最近アメリカでは、障害のある人を“ザ・チャレンジド”と呼んでいる」ということを教わったのです。

つまり、handicap や、disability あるいは disabled person という言葉は、その人のマイナスの部分を強調している、だから、“ザ・チャレンジド”という言葉で呼んでいるというのです。その意味を聞くと、神から挑戦という使命や課題やチャンスを与えられたというわけですね。

その言葉の意味の背景は、人間は生まれながらに自分の課題に向き合う力が必ず備わっている。課題が大きければ大きいほど、たくさんその力を与えられているという意味があったのです。

それは、私が感じていたことと同じでした。どんなに娘が重症であったとしても、逆に言うと重症の少女として授かったからこそ、私に与えられたものは大きいということを言っている。私自身も課題に向き合っているという意味ではチャレンジドである。これしかないと感じました。

成瀬

その国によって障害者を対象にした哲学の違いをすごく感じますね。日本では「障害者」という漢字は「さし障る」という字に「害」という字を重ね、そして、「者」か「児」がつきますね。ポジティブな響きはない。

竹中

それまで、日本では障害者と呼ばれている人たちはマイナスの存在で、だから言葉もマイナスの意味の表現しかなかったということに、そのとき気がつきました。

それならば私たちは、新しい言葉の裏に秘められた哲学を広めるために、チャレンジドという言葉を使おう、障害者ではなく、チャレンジドと呼ばれる自分たちでありたい、そんな生き方をしようという思いを込めて、「チャレンジドを納税者にできる日本」というキャッチフレーズもつくりだしました。

納税者という表現も、最初は実は私ではなく、ジョン・F・ケネディ大統領の言葉なんですね。でもはじめの頃は、下品なキャッチフレーズやねとか、刺激的とか言われました。障害のある方自身からも「わしらにまで挑戦せいというんか」みたいな反発もありました。でも、マイナスな点だけ(あるいは残存能力だけ)を見るという、この目線そのものも全部切りかえるわけですから、中途半端な言い方では頭の切りかえがうまくいきません。

私は決して「障害者は差別用語だから使わないようにして、チャレンジドにしましょう」ではなくて、チャレンジドという言葉の意味を広めていきたいと思っています。

「もったいない」がスタート 〜プロップの活動の核〜

竹中

私の活動や言葉の使い方は、こてこての関西のりです。その人が何かをできる可能性があったり、ちょっとした配慮でこんなことができるにもかかわらず、それができない状況があるということは、世の中にとって有効なパワーを埋めている。これはとにかくもったいないやんというのが、出発なんですよ。

冒頭のADAの話と一緒ですが、「してもらう」のではなくて、自分たちにはこんなパワーが眠っているし、それを世の中に出していきたいと思いを、自分たち自身で発言しながら実現させる。この、「当人自身」と、「もったいないことはやめる」の2つがプロップの活動の核になっています。

最近は「そうよね、自分のこんな力があるね」と、プロップに勉強をしに来られるようになったり、あるいはオンラインで勉強されたりして、在宅のままでも、家族の介護を受けながらでも、施設の中で起業した人も既に何人もいます。

成瀬

障害者だからやっちゃいけないということはないし、それをもうちょっと先に障害者でなければできないことがいっぱいあるはずだということになる。障害者には能力がある。だから、私はチャレンジドという言葉を聞いて、「障害」という言葉のかわりにある言葉とは受け取りませんでした。

逆に言うと、チャレンジしているんだという意識がなければ生きていけないような時代があった。日本はそれを乗り越えてつつあるような気が私はします。

竹中

それは、コンピュータに代表される科学技術の進歩が大きく後押しをしたのと、本人の意識、社会の意識の変化がうまくかみ合った気がしますね、たくさんの方が自宅で介護を受けながら、あるいは施設の中で勉強や仕事をするというような状況が生まれてきました。1990年代はよく「失われた10年」と言われますが、私たちにとってはむしろすごい変化を見てきた10年でした。この変化をもとに次のステップをどう行くかがこれからの勝負になります。

意識改革をすすめるためのプロセスとして

成瀬

この10年の間に障害者本人の存在感が変わってきたような気がします。それに加えて色々な施策や設備ができて便利になってきたところもありますが、目に見えない部分ではまだまだ気がつかれていない部分が多いようにも感じます。

竹中

人々の意識を変えるのにはとても長い年月が必要かなと思いますが、少しでも意識改革をするためには、一つはモデルケースを生み出すことです。もう一つは制度、社会システムにするということです。

プロップステーションは、いわば実験プラントです。「チャレンジドを納税者にできる日本」に共感して、ここで学び、自分の実力を世の中に発揮しようという人たちが実際に仕事人になって行く。それを見て、今まで「できへん、無理や」と思っていた人が「私もできるかも」という一つのモデルになる。最終的にはモデルではなく、システムになり、当たり前なんだとなる。そういう順番を踏んできました。

すべての人が一気に意識を変えるなんてむちゃなことはあり得ません。やはり、粛々ときちっとじわじわと、しかもポイントをついてやっていかなくてはなりません。

成瀬

気がついたら、できていたという。

竹中

そうですね。ただ、その陰には、気づかせるためのきちっとしたプロセスと動きがある。このプロセスと動きをやりたいということが、プロップの意志なのです。

自分たちの手に自治を取り戻すため

竹中

「チャレンジドを納税者にできる日本」で一番言いたいことは、自分たちの手に自治を取り戻そうということです。アメリカナイズしようという意味ではなく、日本のよさを生かしながらです。

成瀬

最近は、ひょっとしたら日本も期待がもてるかなという感じになってきつつあるところです。私は、福祉先進国と呼べるかどうかの境目は、将来に希望あるかどうかで決まると考えています。それが、期待がもてるほうに入ってきたというのは、先行き明るいのかなという気がしています。

その一方では、今は「アジア太平洋の障害者の10年」で、今年が最終年ですよね。しかしほとんどの人はそれを知りません。ちょうど10年前が「国連障害者の10年」の最終年でした。私は全国キャラバンに参加して東北7県を走りました。10年前は一般の道路ですと車いす用トイレなんてどこにもないんですね。今みたいに道の駅もありませんでしたし、色々と苦労をしたことをよく覚えています。

竹中

お金の使い方も、納税者にならないとなかなか発言できないですね。税を出すということは国なら国、自治体なら自治体の株主になるようなものですから、なってはじめて言えて、しかも、ビジョンを述べられる。そういう社会的な感覚や自治意識は、これからどんどんやっていかないとだめでしょうね。

成瀬

納めているんじゃなくて、会費を払う。だから、発言できる。これは重みが大きいですね。日本の障害者だって同じような考え方でやっていかなきゃいけない。

竹中

例えば、視覚障害一つをとっても、全盲の方と中途失明の方と弱視の方のグループは全然別です。聴覚障害といっても先天的な聴覚障害と、難聴の方と中途失聴の方はまた別々のグループ。これではあかんなと思うわけですよ。

福祉の世界ではこれまで、多彩な分野の人々との交流が欠けていたように思います。福祉の世界だけとか自分と同じ障害者の人たちだけで語り合い、そこだけで解決しようとしてもパワーに弱さがあります。自分たちのことを、知らない人に伝えることが一番大切で、知らない人たちの中にどれだけシンパを生み出せるかが基本戦略としてなければいけないのですが、ついついこの世界をわかり合っているもの同士で語ってきた。

プロップの場合は、「働く」を共通語に、障害者のことなんか考えてもみたことがないというような、企業のトップに「あっ、彼らって働けるんや」と思ってもらう戦略で進めてきました。その人が一言発言すれば、百か千の力をもつんですね。その組織とおつき合いをするのではなくて、あくまでプロップのミッションに興味をもち、お話をして波長の合った個人となんですね。大企業の社長さんでも、政治家でも、官僚でも、私はおつき合いをするのは個人としかしないし、その人と本音ベースでお話し合いをします。その人がプロップで新しい発見をして、その発見が喜びになって、また自分の仕事の中に生かしてくださる。あるいはその人の中の人脈で話を広げるキーパーソンとして力を発揮していただく。

プロップの活動は、障害の種類、性別、年齢も一切問いません。「自分の力を世の中に発揮したい」というその目的だけで集まりましょうということですから、今までの障害者運動のパターンとは全く違うものです。しかも、うちで勉強するときには各自が少しでも受講料を出す。年金の2、3か月分をためてパソコンを買いましょうと呼びかける。

初めは、批判もありましたが、でも、人間が何か目標をもって行動を起こし、その結果をつかむためには、自分で時間のリスク、お金のリスク、いろいろな人間関係のリスクを背負ったことによってはじめて、つかみとれるものがあります。私はそれが人間の誇りであり、尊厳だと思っています。その選択肢としてこの活動を生み出したのです。いろいろな運動の方式や形態があっていいし、あなた自身に決定権があります。私たちは、別に善でもなければ、正義でも何でもない選択肢なのです。

みんなで支え合う社会への道を切り開く

竹中

重い障害のある自分の娘には、毎月多額の公費が投入されているわけですね。これからの少子高齢化社会の中で、ほんとうにそれだけのお金や介護力を維持できる日本の国だろうかという疑問が私の出発点です。このままじゃ無理やなと。私たちの次の次の世代の人はすごく重いものを担うことになる。その重いものを本気で担ってくれるかというと、若い力は逃げ出すかもしれない。

成瀬

「重い荷を背負う者、我に来たれ」と言っても、みんな逃げていったら大変ということですね。

竹中

そうです。例えばフルタイム働く方もいれば、プロップで1日2時間はパソコンに向かって仕事ができるようになったという人もいる、その2時間はあなたが社会を支えている、残る時間は社会があなたを支えよう。そうやって身の丈に合った形で社会を支える人を増やし、支える側の量を確保しておかなければいけません。そうでないと、いわば社会から丸抱えの存在に対して「税金を使うのはおかしい」という世の中に戻っていくかもしれない。

私は、母ちゃんとしては絶対そこは阻止したい。私が死んだ後も彼女が社会から守ってもらえるかどうか、単にお金だけじゃなくて、その精神ですね。例えば私が倒れても、「ここまで頑張ってきたんやから、あんたをみんなでちょっとずつ支えてあげるよ」。こう言ってくれるような日本であるためには、今のうちから何かしておかないと追いつかないという危機感がとても大きいのです。

全然声を出せない人もいるということは前提にあります。けれども、出そうと思ったら出せるんだけれども、いろいろな理由で出せない、出さない人もいるはずです。はっきり言って私はチャレンジドに全然親切じゃないかもしれない。「あんたもうちの娘を守る側に行ってくれ」と言ってるわけですから。言われた人だって重い障害がありながらやっている。だけど、「あんたにはその力がある」と言われて、「そうだ、ある」と気づき、その力を出すために集ってくれて来た人たちが、やっぱり道を切り開くだろうなと思いますね。

でも、プロップがこうした選択肢を生み出しても、すべての人がプロップが正しいなんて言ったら、逆に気持ちが悪いわけですよ。こういう考え方に賛同する一握りが道を開いて、その細い道ができたところに、「行き着けるんやったら、僕も私も」というたくさんの人が通るようになって道が広がり、最後にシステムになる。そのシステムの上で働けるチャレンジドがたくさん生まれてきて、また立ち上がる人も出てくる、歴史ってそういうふうに動くと思うんですね。

目的に向かう人と人をつなぐ

竹中

今、プロップはいろいろな地域の先進的な知事さんたちの知事連合がありますが、三重県の北川知事や、宮城県の浅野知事、岩手県の増田知事のところでは、地元でそういった機関を生み出す取り組みを始められました。

各地域の条例プラス、国全体も、眠っている力を生かすための法律を立てる。各地域もその自治体毎で独自に政策を持ち、プロップ自身がやってきたノウハウを生かす形になれば、実験プラントの使命は果たせるのかという感じですね。

成瀬

プロップという単語を辞書で調べたら「つっかえ棒」という意味がありました。でもその「つっかえ棒」がものすごく太いのですね。

竹中

「つっかえ棒」という意味がありますが、より意味を込めているのは「支え合い」のほうなんですよ。支えられる側にいる人も支える側に回れるよ、この言葉に込められた意味が伝わっていくことで、私は世の中を変えることができるんじゃないかと思っております。

プロップで最初のインターネット責任者は、ラグビーで首の骨を折って全身マヒになった青年だったんですよ。彼のポジションがプロップ(Prop:フォワードで、スクラムの時には最前列に並ぶ3人の内の両サイド2人)でした。彼が、グループの名前はぜひにプロップにしよう、こういう意味があるんやと。おお、それでいこうとなったわけです。

成瀬

プロップというのはラグビー用語なんですか。

竹中

それで、私たちの機関誌が『FLANKER』(フランカー)といいます。プロップをサポートするのがフランカー(Flanker:フォワードの第3列目のポジション)なのです。また、本部以外に作業をする場所もあるのですが、そこはウィング(Wing:最後尾の手前の2人、駿足でボールをトライに結びつける)と名付けています。

まだまだ、プロップで勉強した方がコンスタントに稼げているわけではありませんが、稼げる仕組みを、企業を巻き込んでつくっていくことは、民の力でもできるし、幾ばくかでも収入を得られた方には、確定申告をしていただいています。所得税の水準までいかなくても、そういった一歩を踏み出していただくのです。

例えば、納期、価格、グレード、この3つが守られないとクライアントは二度と発注してくれません。だから、その責任はプロップが持ちますという形をとってもいます。チャレンジドの苦手な部分や、シビアな契約、ネゴシエーションは、企業や自治体とプロップがやり合って仕事をいただき、チャレンジドは自分の一番得意なところを磨く。集中して専門家になっていく。プロップが総体で契約をしたお仕事を、それぞれ責任を持って割り振り、また責任を持って集約をして、クライアントに納期と金額とグレードを守って返す。

この仕組みの中で請け負いやアルバイトやSOHOという形でチャレンジドの方がそれぞれ仕事をされる。その中に企業が直接雇用をしたいと思う人も出てくれば、自分で独立して会社をつくろうという人だって出てきた。その結果、ベッドの上で業者登録をして、事業者になった人も生まれてきたわけですね。

私自身はコンピュータが全然だめな人間で、口と心臓しかありません。この口と心臓でできることは、この世界の実情を知らない人たちをうまく巻き込み、その人たちのやっている仕事に彼らの努力を結びつけていく。私の役目はリーダーじゃなくて、つなぎのメリケン粉役なんですね。

成瀬

メリケン粉がなきゃ、何にもつくれない。

竹中

もう、つなぐだけ。だからコーディネートに徹するというのが私の役割の一番大きなことですね。でもそうしようと思うと、ほんとに目的に向かって努力をしている一人一人のチャレンジドがなければうそになります。彼らがやっていることを日々見ていて、一つ仕事をしたことで目の光も変わり、誇りを取り戻して何か話す言葉も自信にあふれてくるという一人ひとりの過程に接して人を見ていて、彼らはほんとにできるということを私も自信を持って外の世界の人に――今は外と思われている人たちにですね、伝えることができる。

けんかをしたり、人の足を引っ張ったりすることに使うエネルギーは、私は関西人ですから、すごくもったいないと思う。とにかく自分のエネルギーは全部前へ進むために使うと決めています。

成瀬

私は東京生まれの東京育ちだけれども、伸びる可能性を活用しないのはもったいないなあ、と思うのは全く同じです。自分たちの活動を太くするより、どんどん増やしていったほうがいい。

そうでないと、一部の障害者たちはずっと置いてけぼりになってしまう。大きな都市には目が当たるけど、どこの地域に暮らしていても、パワーを活かして使い切らないともったいない。

竹中

よく地域のグループの方が来て、プロップの傘下になりたいですとか、何とかプロップと名乗らせてほしいというから、違うって、あんたと私とはライバル同士やねんやと。

同じ目標に向かって、その土地の一番やりやすい方法で動き出す。私らはこのやり方で動き出した。目標はみんな一緒よね、という。それで、ノウハウも提供したり、情報の交換をしたり、例えばプロップがお仕事を得たときにそれを一緒にシェアする仲間になっていったりすればいいじゃないですか。何でそう、ぶら下がろうと思うのか。私は、とにかく自律的に生まれてくださいというお話をします。

成瀬

そのところ、すごく大切ですね。私は、今日のお話の中で考えていたことは、障害の有無に関係なくて、ただ当たり前の人間として、当たり前のやり方でということなんですね。そこに行き着く10年後を夢に見ます。今日は本当にお目にかかれてよかったと思っています。ありがとうございました。

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