公明新聞 2001年11月14日 より転載

すべての人が誇りもち働ける社会へ

社会福祉法人プロップステーションがみえでフォーラム開催


坂口厚労相も東京とつないだ通信網を通しパネル・ディスカッションに参加

ITを活用してチャレンジド(障害を持つ人)mp酒楼を支援する社会福祉法人「プロップ・ステーション」(竹中ナミ理事長)は11月1日、2日の両日、、三重県のホテル志摩スペイン村で、「第7回チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)国際会議inみえ」を開催した。ここでは、その模様と、竹中さんの講演の要旨を紹介する。

「社会を変えよう!」と民・産・学・が手結び


第7回CJF実行委員長の谷井亨氏(<株>インテグラル社長〉


ITコンサルティング企業で活躍する池内里羽さん

CJFは1996年、「チャレンジドを納税者にできる日本」を目標に掲げ」民・産・学・官が連携してスタートした。

今回のCJFのキャッチフレーズは「カンビアモス ラ ソシエダ!」。 スペイン語で「社会を変えよう」という意味で、チャレンジドの誇りある自立を可能にする社会づくりへ、強い決意をアピールした。

初日は、竹中ナミ理事長が講演し、働く意欲も能力もありながら、就労のチャンスが与えられないチャレンジドに、ITを習得する場を提供し、就労を支援してきたプロップ・ステーションの活動を紹介。「チャレンジドを納税者に」というスローガンの真意は、社会を支える側に回ることで、人間としての誇りある自立を目指すことだと強調した。

続いて、米国務省のダーナ・アン・ウェルトン駐名古屋米国領事館領事が講演。チャレンジドの権利を保障するADA(障害を持つ米国人法)の下で、米国社会の変化を担っているのは一人ひとりの行動であるとして、NPO (非営利組織)であるプロップ・ステーションのメンバーの活躍に期待を寄せた。

このあと、ITコンサルティング企業で活躍する池内里羽さんが自身の就職活動紹介。脳性麻痺による四肢や発語の不自由が障害とならずに、IT技能や働く能力が正当に評価されて採用された経緯を説明した。

また、坂口カ厚生労働相、野田聖子元郵政相と各省の官僚有志がパネル・ディスカッションに参加、「チャレンジドを納税者にできる日本」の実現に向けた政・官界の取り組みや決意を語った。

2日は、CGデザイナーの吉田幾俊氏、絵本作家のくぽりえさんらが「芸術とIT」などをテーマに討論。 また、(財)日本リハビリテーション協会の招へいで来日中の中国の王さん、インドネシアのチュチュさんが、海外のチャレンジドの活躍を紹介した。

最後に、三重県・北川正恭、熊本県・潮谷義子、千葉県・堂本暁子、岩手県・増田寛也の4知事のパネル・ディスカッションが行われ、閉幕した。 第8回CJFは来年、岩手県で開かれる予定。


竹中ナミ理事長(左)と、絵本作家のくぼりえさん


プロップ・バーチャル工房で活躍する、吉田幾俊氏

竹中ナミ理事長の講演(要旨)
生命には「進もう」「表現しよう」という力与えられた課題に挑戦するちからが備わっている


竹中ナミ理事長

私たちが、社会をどう変えようとしているか。 その根本は、「人間としての誇りある自立」ということです。

私の娘は、重い心身障害を持っています。30歳になりますが、彼女を通じて、多くのチャレンジドに出会いました。 そして、皆さんが、いろいろな夢や希望を持ち、「社会に役立ちたい」 「自分も稼いで税金を払う人になりたい」と思っていることを知りました。

しかし、日本の福祉は、障害を持つ人は、劣るところを持っているから、手を差し伸べてあげる″というものでした。 「社会から与えられるだけで、与えることができない。これは、人間としての誇りを失うことだ」との多くのチャレンジドの声を

聞いてきました。

「チャレンジド」という言葉は、「障害者」に代わる新しい米国語です。「神から挑戦すべき使命、課題、チャンスを与えられた人たち」という意味です。弱い、因っているという否定的なとらえ方ではなくて、ポジティブ(肯定的)な呼び方です。

娘も、少しずつですが、彼女なりに成長しています。 だっこを拒否するという皮膚の障害もありましたが、7歳ごろ、体を寄せてくるようになり、18歳の時には、おんぶすると足を腰に回すようになりました。  

どんな命にも、前に進もう、自分を表現しようという力が備わっています。自分に与えられた課題に向き合う力を、生ま れながらに持っています。 そして、課題が大きいほど、それに向き合う力もたくさん与えられている−これが「チャレンジド」ということではないでしょうか。

そして、「チャレンジドを納税者に」というスローガン。 これは、米国のケネディ元大統領が議会に提出した教書の中で訴えたものです。「納税者」という表現に、最初は反発もありましたが、社会を支える側に回ることで、人間としての誇りを取り戻すという真意を話していくなかで、共感し、応援してくださる方が増えてきました。

私たちは、パソコン通信を使って活動を始めました。 動けない人や、言語に障害のある人が、自宅のパソコンを自分のペースで操作することで、対等に意見交換ができるようになりました。パソコン・ネットワークが、コミュニケーションのバリアフリー(障壁をなくす)を可能にしたのです。

そこで、手づくりでパソコンを習得するセミナーを始めました。パソコンを初めて触るところからスタートして、介護を 受けながらでも、勉強し、プロになっていけるというプロセスを地道に進めてきました。

日本には、チャレンジドの法定雇用率の制度がありますが、これは、チャレンジドを単なるポイント数として見るもので、「この人は、これができる。だから雇おう」というものではありません。ITを使って仕事をし、起業するチャレンジドがいるなかで、国の政策が法定雇用率一辺倒というのは大変悲しいことです。

どんな立場にある人も、どんなお金持ちも、どんな美しい人も、みな同じ人間です。そのことを教えてくれたのは、娘 でした。「そうや、人間っていろんなことがある。いろんな人がいて当たり前なんやな」ということを知りました。

その娘はコンピューターを触れません。 そんな彼女が、少子高齢社会の中で生きていくためには、非常に多くの介護力や経済的裏付けが必要です。 国が貧しくなり、人間の心も貧しくなり、娘のような存在が生きていけなくなるような国になっては困るのです。

私が死んでも、娘が尊厳をもって生きられる日のために、私は歩いています。かあちゃんのわがまま″で始まった活動が、多くの人に応援していただき、ここまできたことを感謝します。

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