都市政策 第103号(2001年4月1日発行) より転載

【特集 IT革命と地方自治体】

人が誇らしく生きるためのIT革命

竹中ナミ(社会福祉法人プロップ・ステーション理事長)

IT(情報技術)を活用したNPO活動

私たちがプロップ・ステーション(略称プロップ)の活動を始めたのは1991年5月ですが、その頃はITという言葉どころか、インターネットも日本では使われておらず、「パソコン通信」が、ちょっと広がり始められたばかり、という時代でした。当時わたしは、西宮市内でメインストリーム協会という障害者自立支援組織をチャレンジド(challenged:障害を持つ人を表す、新しい米語)たちと設立して活動していましたが、ある日、西宮市から「行政として初めて立ち上げた草の根の通信網<情報倉庫・にしのみや>というパソコン通信の中で、福祉系のボード(会議室)を運営してくれませんか」という依頼を受けたんです。パソコンどころかワープロも苦手だったわたしは、その時、ある青年に相談を持ちかけました。その青年は一緒に活動していたメンバーの一人なんですが、関学の高等部でラグビーをしているときに首の骨を折って重症の障害を負った方でした。彼は左手の指先が少し動くだけという状況になって、さまざまな身辺介護を受けながらも、日本で初めてパソコン入試を受けて大学進学したばかりか大学院まで行ったという青年です。彼は自宅が経営するマンションの管理人としての仕事も始めており、管理人室を全部電動化して、自分が乗っている電動車いすにも家族が工夫して作られたという様々な装備をつけてアクティブな生き方をしている青年でした。「彼とならきっとやれる!」そう思ったわたしは彼を巻き込んで、「情報倉庫・にしのみや」の中で福祉会議室の運営を始めました。その後、私たちは、わたしたち自身の活動を円滑にするためにもパソコン通信を使い始めました。パソコン通信上では「見えない人は音声装置を使って入出力しながら会議に参加し」「言葉が不自由な人は、文字でのやり取りなのであたかも障害がないのと同じように意見を述べることができ」「指が動かなくても入力サポート装置を使って、ゆっくりと意見を書き込むことができる」という体験を通し「情報通信がコミュニケーションをバリアフリーにする」ということを知りました。震災のときも、日常活動にパソコン通信を使っていた強みを生かし、スタッフ同士が情報を交換しながら励まし合うという体験をしました。あの生きるか死ぬかという場面で「この機械の向こうに自分の知っている人がいる」という心強さを全員が感じたことは、とても貴重な体験でした。

challenged(チャレンジド)を納税者に、というスローガン

私たちの活動のスローガンは「challengedを納税者にできる日本」というかなり過激なものです。「challenged」というのは「handicap」に代わる新しい米語で「(神から)挑戦すべき課題や使命、あるいはチャンスを与えられた人」という意味です。決して「障害者」だけを表すのではなく、例えば、「神戸の震災復興に立ち向かっている人はチャレンジドだ」という言い方もする、ポジティブな言葉です。

その「チャレンジド」を「納税者にできる日本」というキャッチフレーズを付けたことには理由があります。実は私自身、娘(現在29歳)が重症の心身障害者で、税金から補助を受ける立場でしたが、その税金について深く考えたことはありませんでした。しかし彼女が20歳で国立療養所に入院の身となり、毎月の費用プラス彼女の年金を合わせると、何と月に50万〜60万円のお金が彼女のために税金から支出されることになったのを知ったんです。その時わたしは「わぉ、彼女は月給50万円の国家公務員かぁ」と思わず言ってしまいました。と同時に、その金額は、それまでの20年間、毎日の平均睡眠時間は3時間、という状態で彼女を介護していた私の労力を「社会化した時の金額」だとも思いました。「体力のある若い人が減り、介護の必要な人の比率がどんどん増えていく少子高齢社会って、ごっついお金のかかる社会構造になるんやな!」「今と同じ福祉システムでは持たへん国になるぞ」と理屈抜きで実感しました。

私は娘を通じてたくさんの重度のチャレンジドとお付き合いしてきましたが、そういう人たちは保護を中心とした福祉の対象となって、税金から何かを受けるという生活をしています。しかし、もらっていても実は彼等はあんまり嬉しく思っていない、と私はいつも感じてきました。だって人間は「与えられるだけでなく、与えることができる立場にもなることで誇りを感じる」からです。それを思うとき、「隔離し、保護する」「出来ない部分を数えて、そこを埋め合わせるために補助をする」という日本の福祉施策の方向性と、戦後の障害者運動の主流であった「税金からどれだけのものを得ることが出来るか」という戦略的目標に私は疑問を感じ始めました。同じ税金を使うのなら、チャレンジドたちの中に眠っている力をどんどん生かすことに使ったほうが、もっと社会が経済的に発展して行くし、何より人間の平等という意味でもプラスになって行くだろう、と思いました。わたしはその頃、JFケネディ大統領が語った「全ての障害者を納税者にしたい」という言葉を知り、感銘を受けたところだっので、既存の福祉観や運動論と一線を画し、自分たちの誇りを自分たち自身で取り戻すという意味をこめて「納税者」という言葉を使い始めたのです。

プロップの活動を始めるにあたり、全国の重度障害の人たちにアンケートを送りました。それは「あなたは大変重い障害を持っているけれど、仕事をしたいと思いますか? もし仕事をするなら、何がそのための武器になると思いますか?」というアンケートでした。そのようなアンケートが重度障害者を対象に行なわれたことは過去一度もなく「1通も回答が返って来ないんじゃないか」という人もいましたが、驚くことに200通近い回答が戻ってきました。そして回答の8割が、「自分も社会に対して何かしたい。できれば仕事もしたい」「仕事に繋がるなら自分のもらっている年金をその勉強のためにつぎ込んでもかまわない」と書いてこられました。そして、そのために有効な道具は「コンピュータだと思う」というのです。「仕事を目指して、ベッド・サイドにパソコンの得意な友人に来て貰って習っています」という「寝たきり」状態の方からの回答や、アテトーゼの震える手で書かれたのであろう大きな文字の「働きたい」という回答もありました。


プロップのセミナー風景 プロを目指すチャレンジドたち

NPOとしてのコンピュータセミナー

活動を開始したプロップは、様々な企業にコンピュータやソフトウエア提供の協力をお願いしました。最初に支援の声を上げて下さったのはアップルコンピュータでした。アップル社から予想外の機材一式が贈られてきたので、私たちはそれを使ってすぐにチャレンジドの勉強会を開始しました。1992年春のことです。

新聞の募集記事に応募して下さった30人ぐらいの技術系ボランティアさんたちに指導してもらって、最初は無料で、パソコン勉強会を始めました。でも、ボランティアが仕事を終えて汗をかきながら駆けつけているのに、受講生である障害を持っている子が平気で遅れてきたりすることが結構続きました。無料で何でもしてもらう経験の多かった彼等は、例えば「時間に遅れても仕方がない」と許して貰える存在になってしまっていたのです。私は、仕事をしていくために必要なのは技術だけではなくて、ソーシャルなスキルだということを痛感しました。またお金を出さずに勉強したものは身につかないということもわかりました。

そこで、無料のセミナーを最初の1年間で中止し、わずかでもお金をいただいての勉強会に切りかえました。日本では、それまで障害者から1円でもお金を取る活動というのはなかったので、こちらも腹をくくって取り組みました。

何年かたつうちに、自分がお金を払って、年金をはたいてでもパソコンを買って、自宅で予習も復習もするという人の実力がぐんぐん伸びていって、技術を身につけていくということを目のあたりにしました。受講料を取り始めたときには、いろんな非難もありましたが、「私たちは選択肢の一つとしてこういう方法をとっているのであり、誰もに強制しているわけではない。こういうやり方に納得できる、趣旨に賛同するという人だけが少しでも集まってくれればいい」と自分に言い聞かせながら活動を続けました。まだ「NPO」という言葉はなかったのですが、「民が自主的に課題解決のために生み出した様々な選択肢」をNPOと呼ぶなら、プロップの活動は、まさにNPOの「はしり」だったと思います。


セミナー風景 講師もチャレンジド

重度チャレンジドの就労促進は、女性官僚の行動から始まった

プロップが活動を開始した頃は、「民間は障害者雇用に一切タッチしてはいけない、これは労働行政の専権事項である」という時代でした。職安を通じてしか、いわゆる「障害者雇用」とは認めませんよ、という状況の中で、いくつかの職安の窓口では「プロップ・ステーションで勉強した」とか「プロップを知ってる」と言うと、それだけで求職登録を受け付けてもらえないといったことが現実にありました。そこで、当時、労働省障害者雇用対策課長でいらした坂本由紀子さんという女性に手紙を書いて、「私たちはこういう活動をしているんですが、一度女同士でお話しさせて戴けませんか」というと「どうぞ来てください」ということになり、今では月に何度かは足を運ぶ霞ヶ関の官庁街に、私が足を踏み入れた、最初の経験がこの日でした。(前述した)電動車いすでマンションの管理人をしている彼も同行し、「今、コンピュータのネットワークを広げて、障害を持ったメンバーが仕事をするためにこんな努力しているところです」と、長時間お話したところ、彼女が非常に共感してくださって、「これからはコンピュータの時代がきっと来るから、新しい働き方が生まれてくる。すぐに政策にすることはできないかもしれないけれど、時代とともに制度も変えていかないといけないですね。できることがあれば影ながら応援していきますよ」というお話をして下さいました。現在は私の最も信頼する「女友達」の一人である由紀子さんとの、この時が初めての出会いでした。

この出会いが、コンピュータを使っての在宅ワークを雇用率にカウントするとか、在宅の重度障害の人を雇用した場合にも企業に補助が出ることにつながっていく一歩となりました。由紀子さんは、障対課長の後、女性政策課長に、さら出身地である静岡県の副知事に就任され、一昨年の春に労働省の審議官として戻ってこられてからは、プロップのフォーラムなどでパネラとして積極的な発言をして下さるなど、お付き合いはますます深まっています。

その後、由紀子さんの何代か後の障対課長に村木厚子さんという女性が就任され、彼女は私の拙著『プロップ・ステーションの挑戦』(筑摩書房発行)を読んで、「日本の女が働くということのさまざまな壁とチャレンジドの問題の根っこは一緒だと感じた。この本のおかげで私は上司にきっぱり物が言えるようになったわ」と言ってくださって、本当にその本を持って上司のところに行かれました。また、神戸でフォーラムを開催したときは、多くの省庁からパネル出演していただきましたが、厚子さんも障対課長として「NPOと行政の連携で課題を解決していきましょう」という発言をして下さいました。彼女も今は女性政策課長ですが、障対課長当時「重度障害者の在宅雇用・就労を支援するシステム研究会」を日本障害者雇用促進協会に設置し、私も委員に就任して現在もこの研究会は続いています。厚子さんによると、プロップがやってきたような活動を国として広めていくための研究会であるとのことです。それまで重度障害者というのは労働省ではなくて厚生省の管轄であり、まして在宅のチャレンジドは絶対に労働省の議論の中には入ってこなかったのです。なおかつ、労働政策というのは法定雇用率を企業にきちっと達成させるのが最大の目的で「雇用」中心であり、「就労」という言葉を労働行政が使うことはありませんでした。そういった枠組みを取っ払い「雇用・就労」と名づけ、しかもそれを支援するシステムを研究しようという画期的な研究会を立ち上げた厚子さんの行動は、今までの官僚システムを越える新しい動きといえると思います。研究会では、実際の就労を推進するための方法、それは請負でもいいし、アルバイトでもSOHOでも自営でもいい、と柔軟に位置づけ、とにかく一人でもたくさんのチャレンジドが様々な形で職に就けるような制度を生み出すために、3年かけて議論しましょうということで始まりました。いよいよその最終年となる今年は、省庁再編によって「厚生労働省」が生まれ、「福祉」と「労働」政策の統合から、多くのチャレンジドが納税者になれる施策が生み出される年であって欲しいと願っています。余談ですが、私自身も今年1月から財務省の財政制度審議会専門委員に就任し、いよいよNPOと行政が連携してこの政策に取り組む時が来たのだな、と感慨深い思いも抱いています。

アメリカ国防総省とプロップの連携

一昨年10月、前述の研究会から2週間ほどアメリカのテレワークの視察に行かせていただいた時のことです。シアトルで開催された「テレワーク国際会議」に出席したんですが、その会議の中に「チャレンジドのテレワーク」というセッションがあって、講師が国防総省の女性幹部ダイナー・コーエンさんでした。私はなぜ国防総省からこのテーマの講師が来るのだろうかという興味もあって、そのセッションに参加し、話を聞いて、なるほどと思ったのは、例えばインターネットにしても軍事目的から開発されたように、最高・最先端の技術とは常に国防技術から生まれてきており、この最高・最先端のものを最重度障害の人が働けるようにするために使おうということで、CAPというセクションが国防総省に生まれたのだということを知りました。しかし日本では「国防」というのはある意味で議論することすらタブーみたいなところがあるので、私はダイナーさんに「アメリカで国防総省の中枢にそういうセクションがあるというのは、日本人の感覚としてはちょっと理解できないんですが・・・」と質問したところ、彼女は背筋をすっと伸ばして、「すべての国民が誇らしく生きられるようにすることこそが国防の一歩でしょう」と言われました。温かく、そして毅然とした声でした。

プロップが言っている「チャレンジドを納税者に」という言葉も、実は「誇り」について語っており、彼女と私たちの思いはまさに同じだということをそのとき強く感じました。そこで私は早速その場で、「来年、日本でプロップが開催する「チャレンジド・ジャパン・フォーラム(CJF)」に出席して下さい」と要請したところ、快諾していただくことができました。

年が明けて2月には、私自身が国防総省を訪問し、その後はメールを何十通と交換してCJFの打ち合わせを続けました。そのメール交換の中で、彼女自身が、実は外見ではわからないけれども難病のチャレンジドであり、なおかつ、ご両親も同じような難病で介護が必要な状態だということがわかりました。国の中枢機関のトップの地位にある女性が障害を持っている、しかも両親の介護が必要という状況をこの中枢機関が受け入れている、ということに(勿論、彼女自身の努力と研鑽が有ってのこととはいえ)アメリカという国の懐の深さを感じました。

CAPでは、「真っ暗闇の中で、すごいGがかかって体の動かない状況で戦闘機や超高速ヘリコプターを操縦する人と、地上で見えない、聞こえない、全く動けない人の状態は同じはずだ」という発想を持ち、「どんな障害を持っても、その人が働くことを望むなら働けるようにする機器を開発しよう」と研究、開発、教育を行っています。ベトナム戦争で非常に多くの兵士が障害を負ったことから、その人たちの社会復帰のためにCAPが発足したそうですが、それだけの存在に留まらず、現在はアメリカ全土のチャレンジドの就労促進、あるいはそれを支援する技術の向上のために大きな予算で動いており、ブッシュさんが大統領に就任した今年は、その予算が倍になったそうです。

ダイナーさんからは、アメリカ農水省も紹介してもらって訪問しましたが、さまざまなITを活用した道具がいっぱい揃っていて、そこでは全盲の職員が白い杖をついて部屋に入ってくるなり、書類をちゃっちゃとプリントアウトして、またさっと退室して行きました。アメリカでは、国の機関が民間に率先してチャレンジドを雇用しているということも、その時、知りました。

ただ、どんな施策もアメリカが日本より優れているという訳ではありません。アメリカには日本の障害基礎年金のようなベースとなる生活保障が無く、チャレンジドに支給されるわずかな社会保険も仕事をするとなくなってしまう、ということで、そのために仕事をしないチャレンジドが多いという現状があります。そこで(ちょうど私がアメリカ視察に行っている時に)クリントン大統領が「社会保険に関しては、仕事をしても1,000ドルまでは支給しよう」と政策転換を発表しました。日本の場合は、例えば1級の手帳を持つ身体障害者は、毎月8万円強の障害基礎年金を受給しており、それに仕事の賃金がONしても、年収3百数十万円まではその年金も維持される制度になっているので、そういう意味では、アメリカのチャレンジドよりも恵まれていると言っても過言でない状況です。ただ「保護と隔離」をセットにした福祉施策のため、技術を身につける場や、社会参画や就労のチャンスがあまりにも少なく、結果として彼等の誇りや責任感を奪っているということがいえると思います。

プロップで勉強し、技術を修得して在宅で仕事をしているチャレンジドたちの多くは、フルタイムで働く体力がありません。でも、1日2〜3時間ならパソコンの前で仕事ができる人、あるいは、2時間パソコンの前で仕事をして1時間休めば、またあと1時間仕事ができるというような人、季節の良いときならば大丈夫な人、とか、いろんな方がいます。重度のチャレンジドが働ける環境を整備するためには、フルタイムでないと働いているとはいえないとか、あるいは残業ができなければ…という感覚ではなくて、あくまでその人にとって可能で精いっぱいの仕事ができるチャンスが得られるようにすることが重要だと思います。重度のチャレンジドが在宅ででも働ける環境整備と、それを推進するための意識の変革は、高齢者や、育児・家族の介護などで働くことが困難な人にも、身の丈にあった働き方を提供するでしょう。少子高齢社会の到来も、一人でも多くのひとが働くことに参画し、支える側に回れば、決して怖くないのではないかと私は思っています。そして、そのような世の中になって初めて、私の娘のような100%、社会の保護を必要とする人も淘汰されることなく、存在し続けられる日本になるのではないか、と考えています。


米国防総省から、ダイナー・コーエンさん(中央の女性)を迎えて開催した「第6回チャレンジド・ジャパン・フォーラム日米会議」

プロップの日々の活動

社福プロップのスタッフは現在5名、アルバイトをいれても10名に満たない組織です。そして、スタッフとアルバイトの大半がプロップでパソコンを学んだチャレンジドです。在宅のほうが働きやすいチャレンジドは自宅で、通うことが可能なチャレンジドはオフィスで働いている、ということになります。在宅で、プロップを通じて仕事をするチャレンジドは全国各地に居り、人数は約50名です。まだ、プロップの存在やチャレンジドの実力が社会全体に知られていないため、コンスタントに仕事が入ってくる状況ではなく、プロップもチャレンジドも「安定した収入」というわけにはいきません。特にプロップは「第二種の社会福祉法人」なので運営は行政補助の対象とならず、必要な経費はすべて「自力」で賄わなければなりません。そこで「後援会」(会長:金子郁容慶応幼稚舎長)を組織し、会費をプロップへ寄付して戴いたり、自主事業であるセミナーを開催して一生懸命、運営しています。毎日が「火の車」です。スタッフ、アルバイターには頑張って給与をお支払いしていますが、理事長の私自身はまだ給与を戴く状況にありません。

でも、神戸ファッションマートにある本部オフィスを(神戸市の第三セクターである)貿易センタービルのご支援で使わせていただいていることを初めとし、様々な企業の応援を戴きながら、神戸では週に6コース、大阪では5コース(2001年2月現在)のパソコン&インターネット・セミナーを開催しています。一人でも多くのチャレンジドや高齢者、市民の皆さんがこのセミナーで学び、コミュニケーションや社会活動、そして仕事にITを活用して戴きたいと願っています。

パソコンの技術を習得したチャレンジドが在宅で仕事をする場合のプロップの役割は、インターミディアリー&コーディネイトです。外出が困難な重度のチャレンジドは、営業活動が実際上できません。まして見積書を出し、仕事をこなして、それを納品して、チェックを受けて、そして請求書を出すということを一人でやろうと思うとつぶれてしまいます。そこで、プロップ・ステーションが営業をし、Getした仕事を在宅チャレンジドに振り分け、それを責任を持って最終のチェックをして企業にお返しする。そして受託費用をいただいた後、彼らに振り込むという形をとっています。行政からの仕事を受託することも最近、少しづつ増えてきました。現在取り組んでいる最も大きなプロジェクトは、大阪府下全部の養護学校における情報教育の推進に関する事業です。これは、一昨年度緊急雇用対策予算の「NPOとの連携」の一環ということで、大阪府の養護教育課からのご相談を受ける形で始まった取り組みです。これは、府下全部(40校近くある)の養護学校をコンピュータネットワークで繋ぎ、今までになかった新たな教材や、重度の障害児童生徒が楽しめる道具をつくりたい。そして将来的には、卒業後もプロップのネットワークに入っていただき、勉強を続けた上で、受注した仕事をシェアすることができるようにしたいという目標を持ったプロジェクトです。40校の児童生徒の総数は15,000人以上にのぼるので、これは壮大なプロジェクトということがいえると思います。このプロジェクトの愛称は「OPEN」といい、プロップのホームページで活動内容を公開していますのでぜひ見て下さい。(www.open.prop.or.jp)

この事業を開始するにあたり、大きな問題がありました。緊急雇用対策予算が、ネットワークを構築する人件費等以外に使えない、にもかかわらず、どこの養護学校もネットワークに繋げるパソコンや専用回線が無い、ということでした。そこでわたしは、日頃プロップをご支援下さる企業に声をかけて、各学校へ配布する器材、ソフトウエア、そして回線費用の応援をお願いしました。すると、驚くべき事に、僅か数ヶ月の間に、全養護学校に配布する最新のパソコンやソフトウエア、そして寄付金などがプロップに届きました。そこで、技術ボランティアに集まって戴き、パソコンにソフトをインストールした後、各学校に無償で配布しました。今、このOPENは、文部省、教育委員会、各養護学校の現場の先生たち、企業、そしてNPOプロップが力を合わせて運営を続けています。緊急雇用対策助成金で始まった事業が、国、自治体、NPO、企業のがっちりとしたスクラムで進んだ事例は、おそらくこのOPENが最初にして最大のものと自負しています。


セミナー風景 高齢者も一緒に学ぶ

チャンスの平等ということ

アメリカのすごいところは、公の文書も一般の民間の書物も全部デジタル化してオンラインにするというところです。見えない人であれ、外出が難しい人であれ、自分に必要な情報を自分で入手して、学びたいことが容易に学べます。また、大学などでも、学生向けコースだけでなく、一般市民にどんどん授業を開放して、とにかく「学ぶためのチャンス」に溢れています。日本の場合は、チャレンジドにとって、学ぶことのハードルがとても高いのが特徴です。障害を理由に地域の学校に通えなかったり、高等教育が受けられないことは日本では不思議でもなんでもありません。また「働く」ということに関していえば、年功序列型の日本では、サラリーマンがリストラに遭うと生活の基盤すべてを失うという状況になりがちですが、アメリカでは学ぶ意志を持つ人には学ぶためのチャンスが自由にあるので、多くの勤労者は日頃からそれに備えています。今は健常者だが、何かの都合で障害を持ったとき、そこにもセカンドチャンスがあるようにする。これを日本も持たないといけないのではないでしょうか。プロップの活動は、そういう意味ではプロップがチャレンジドのためにやっているのではなくて、チャレンジドが結果を出したことが、明日の高齢社会とか、日本の新しい学び方と働き方に対する提案になるのだと思います。彼らのような人たちが働けるということは、もっとたくさんの層の人が働ける、なおかつセカンドチャンスをつかむことにつながるのです。そのためには、制度や法律にする事など、民間ではできない部分に行政や政治が率先して取り組んでいただき、同時にプロップのような実行のノウハウを持つNPOと連携しながら社会を変えて行ければいいなと思っています。企業とチャレンジド、両方のパイプ役になれるプロップのような仲介機関が、今後、社会資源として広く認知されて行って欲しいと願っています。働く意欲のある人には仕事の出来る環境を、そして私の娘のように「働く」という形で社会を支えられない人も、適切なケアを受けることの出来る日本で有り続けて欲しい。

そのための一助にプロップの活動が役立てば嬉しいと思う私です。

社会福祉法人プロップ・ステーション
〒658-0032神戸市東灘区向洋町中6-9神戸ファッションマート6E-13
TEL078-845-2263 FAX078-845-2918
ホームページ  http://www.prop.or.jp
竹中ナミEmail  nami@prop.or.jp

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