NEW MEDIA 1999年11月号 (1999年10月1日発売)より転載

【The Challenged とメディアサポート】(26)

福祉とITで地域づくり

チャレンジド・ジャパン・フォーラム 第5回みやぎ会議


2日間で延べ600人を超えた「チャレンジド・ジャパン・フォーラム第5回みやぎ会議」

チャレンジド(障害を持つ人を表す新しい米語)が自立できる新しい社会システムの創出を目指す「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」(CJF)の第5回が、8月21・22日の両日、仙台で開催された。  サブタイトルは、「自治体の挑戦・福祉でまちづくり」。"日本一の福祉先進県"を目指す浅野史郎・宮城県知事の熱い思いが込められた今回は、これまでのCJFを支えてきた気鋭のスピーカーたちの発言もさることながら、地元で地道な活動を積んできた有志たちの報告が来場者の耳目を集めた。多数の報告・提言の中から、宮城の取り組みを中心に紹介する。

(報告:中和正彦=ジャーナリスト)


自ら開催を宣言して誘致、先頭に立って会議の成功をリードした浅野宮城県知事


FESの原理を参加者の体験を通して解説する半田康延・東北大学未来科学技術共同研究センター教授(写真右)


セッションの最後は3県の知事(増田岩手県知事、北川三重県知事、浅野宮城県知事)が登壇。福祉、行政、ボランティア・NPO、地域づくり、産業などについて、個性豊かな知事たちが論で会場を圧倒。


会場ではITを活用したサポートシステムが展示された


最後に『みやぎ99宣言』を提唱。「(1)私たちは、チャレンジドが経済的・社会的に自立できる新たな地域システムを創出するための努力を継続していきます。(2)私たちは、このような新たな地域システムがITの積極的な活用と人々の優しさを基盤として創出できるよう努力を継続していきます。(3)私たちは、宮城県が『バリアフリー国体』と『ワールドカップ』を開催するにあたり、『優しさ』を『まちづくり』の基本として準備を進めている事例を鑑み、同様の挑戦が多く自治体に広がっていくことを期待します。」

宮城県の21世紀戦略 知事の願いで誘致されたCJF

2001年、21世紀最初の国体が宮城県で開催される。これまで身体障害者・知的障害者の2つに分かれていたスポーツ大会を統合した「第1回障害者スポーツ大会」も、同じ年に宮城県で開催される。そして、翌年に開催される日韓共催の「ワールドカップ」は、宮城県でも試合が行われる。

宮城県は、2001年に行われる健常者・障害者の2つに分かれたスポーツ大会を「バリアフリー国体」の名の下に一緒に扱い、それに向けて整備されるバリアフリー環境の上に立って「ワールドカップ」を受け入れようという計画。この機会を捕えて、"バリアフリー宮城"を国内に続いて海外にまでPRしようと狙っている。そして、浅野知事はこの3つのスポーツ大会の成功に向けて、「日本一の福祉先進県」実現へのステップも加速させたい構えだ。

今回のCJFは、その浅野知事が宮城に誘致し、自ら実行委員長をやると宣言して準備を進めてきたものだ。プログラムを見ると、バリアフリー国体&ワールドカップに向けた取り組みについて担当者や関係者が語るセッションがまず目に止まった。

同セッションは、「バリアフリー国体」のコンセプトについてブレーン的な役割を果たしている久恒啓一・宮城大学教授の司会進行で行われた。同氏は、「バリアフリー国体は、ハード面での社会資本整備に加えて『人的の社会資本』を整えるチャンス」と指摘し、パネリストに発言を求めた。

心のバリアフリーこそ新しい社会資本 責任者たちはそれに気づいている

「日本一の福祉先進県」実現のための計画「夢プラン」を推進する宮城県保険福祉部の庄司剛氏(夢プラン推進室長)は、「これまでも街づくり条例などに基づいてバリアフリー化を進めてきましたが、職員には『基準をクリアすればいい』という意識が強かったと思います。しかし、県庁内に『バリアフリー国体推進本部』を設置して、もっと積極的に取り組むんだという姿勢を打ち出したところ、意識が改まりました。この意識の変化が財産として残ればいいと思います」。

宮城県国体・障害者スポーツ大会局の大泉義昭氏は、「バリアフリー国体ということで、正式種目以外に障害者と健常者が一緒にできるスポーツをたくさん紹介する予定です」。また、ボランティアについて、「すでに600名ぐらい登録していただいて、その中にはチャレンジドの方もいます」。

チャレンジドのボランティアについては、東北ユニバーサルデザイン研究所の巴雅人氏(車椅子利用)から、こんなアイデアが出された。
「大きな会場では客席までの高低差がかなりあるので、手動車椅子の人はスロープがついていても相当なパワーがないと上がり切れません。そこで、電動車椅子の人に引いてもらうという案はどうでしょう。障害が重くても、そういう形でボランティアとして大会運営に参加できるということになるし、視覚的にもバリアフリーということがわかりやすい。心理的バリアを乗り越えて物理的バリアを解消するという、いい例になると思います」

メイン会場を抱える利府町(仙台の北隣)の小山敏美・国体室室長補佐は「開会式と閉会式に利府町の小中学生がマーチングで出演します。この大会を通して、町の未来を担う子供たちにバリアフリーの考え方を伝えたいと思います」

ワールドカップの仙台会場のホームページ作成を依頼されている学生チームの代表・渡辺一馬さん(宮城大学事業構想学部3年)は、「ワールドカップの時、バリアフリーという言葉は、国体の時より広い意味を帯びて来ます。国境のバリア、文化のバリア、言葉のバリア。2002年には、そういったバリアを乗り越えなければなりません。(中略)このバリアフリー国体と銘打った国体とワールドカップが、宮城県で若者が街づくりとかボランティアに関わる接点になると思います」

段差などの物理的なバリアの解消は大事だが、どれほどお金をかけてもゼロにはできない。最も大事なのは、自分とは異なる条件を持つために困難に直面する他者に対して、心を開ける人を増やすこと。つまり、心のバリアフリー。少なくとも責任者レベルでは、すでにそのことが理解されていると感じられるセッションだった。宮城での取り組みをマニュアルで残して次回の国体開催県に引き継ぎたいと語った前出・大泉氏は、こう結んだ。
「次の開催県では、当然これが国体運営のマニュアルに入って、『バリアフリー国体』という言葉を使われなくてもバリアフリーになる。将来的には、身体障害者と知的障害者のスポーツ大会が宮城で一つになったように、国体と障害者スポーツ大会が一つになる。そうなる第一歩として、これを残すことができたらいいと思います」

人間の原点から語られたチャレンジドの社会参加

さて、バリアフリーは障害者の自立にとって必要条件だが、十分条件ではない。宮城県の3つのスポーツ大会への取り組みは、障害者の社会参加に対する一般の理解や本人の意欲を高めるだろうが、大会自体は社会参加の機会としては一過性であり、就労の機会を拡大するものではない。大きなイベントを打ち上げ花火で終わらせないためには、障害者の社会参加を具体的に支援する継続的な取り組みが必要。今回のCJFで心強く思ったのは、かなりの時間を割いて宮城発のボランタリーな取り組みの数々が紹介されたことだ。

すでに25年の歴史を持つという「ありのまま舎」は、仙台にある国立療養所西多賀病院に入院していた進行性筋ジストロフィー(以下、筋ジス)の患者が興したもの。病気が進行して長い外出ができなくなった常務理事に代わって出席したという白江浩氏は、発端を次のように紹介した。「人工呼吸器がなかった昔は、20歳前に亡くなる方も多く、退院する時は柩の中ということも多かった。そういう方々にとって病院は全生活の場でしたが、6人部屋・10人部屋でプライバシーもない。『自分たちの人生って何なんだろう』という疑問がわいて当然だと思います。そういう疑問が高まっていって、自分たちの生きている意味を、患者さん自身が問い始めたんです」

そして出版活動へ、映画製作・上映会活動へ、全個室の福祉ホーム・療護施設運営へ。一方、資金的には、今では公益助成も得られるようになったが、仙台で週1回、患者自身が入って行う街頭募金は、設立以来ずっと続けているという。人間の原点にある問題意識から障害者の社会参加を語った活動紹介に会場は深く心を打たれた様子だった。

ありのまま舎に続いて紹介されたのは、一転して情報社会対応・ネットワーク型の活動だった。その要になっているミミネット(MIMINet=Miyagi Model Initiative Network)について、座長の川村志厚氏はこう紹介した。「地域の課題を、できるだけ多くの方が関わりながら解決していく方法。その先進的なモデルを、宮城県で作って行こうということで始めました。参加は、あくまでも個人の自発性です。地域で感じている課題をこう解決したいという思いを出していただいて、プロジェクトを組み、産・官・学など、いろいろな分野からミミネットに参加する人々が持っている経営資源を引っ張り出して、問題を解決していきます」

これまでに15のプロジェクトを行ってきたが、内容的には福祉関係や教育関係のものが多かったという。「地域には、それだけ福祉や教育の課題が多いということです」と川村氏は語った。

地域の自発性のつながり ミミネットが生み出したもの

今回のCJF全体では、ミミネット関連の活動が4つ紹介された。「サイバード・プロジェクト」代表の広岡響氏が語ったのは、インターネット利用による障害者の在宅就労の支援。「サイバード」とは、「障害者であってもサイバー空間では鳥のように自由に飛べる」という願いを込めた名前で、その実現のためにパソコン利用の各種の職業技術を教え、仕事の受注もしている。
「障害者の潜在的なポテンシャルが低いとは思っていません。問題なのは、スキルを身につける機会がないことです。(中略)課題の一つは、より高いスキルを持つことですが、それはコンピュータ関連のスキルという狭い意味ではなくて、対人能力や自己管理能力を含めたもっと広い意味でのスキルです。残念ながら、いまの30〜40代の人たちの小さい頃の教育は、障害者に自立を促すところまでいなかったのではないかと思います」

これに続いて西多賀養護学校の浅利倫雅教論が語ったのは、高等部の筋ジスの生徒への情報教育だった。1994年の高等部開設当初から、普通高校と同じ内容の勉強をするクラスの生徒ひとり一人に、「身体機能の低下に伴う学習上の困難を補助・代行する手段」としてパソコンを貸与。1996年度にはインターネットを導入。その後、ミミネットのつながりで、あるコンテンツ企業からホームページ作成の仕事を生徒たちに模擬発注するという話が持ち込まれ、これを学校の現場実習として行ったという(西多賀プロジェクト)。
「生徒はとても希望を持ちました。ただ、生徒によっては、就労だけが進路ではないという子もいます。学校としては、生活の充実という方向にも考えていく必要があるだろうという結論になりました。(中略)こういう活動を多く持つことで、卒業後、サイバードのような活動にもスムーズに加われるのではないかと思います」

上記の西多賀プロジェクトに参画する通研電気工業のエンジニア・池原満雄氏は、筋力が次第に失われていくという筋ジスの症状に対応できるポインティング・デバイス(マウス代替装置)の開発の経緯を紹介した。「スライドポイント」の名で商品化した製品は、西多賀養護学校の筋ジスの生徒たちの協力で生まれ、全国の養護学校・療養所11ヵ所と米国カリフォルニア州の障害者訓練センター2ヵ所のモニターを経て商品したという。

コープ東北サンネット事業連合の河野敏彦氏は、ミミネットのつながりで生まれた「みやぎ生協プロジェクト」について語った。一つは、障害者など買い物に不自由を感じている人のために、インターネットにカラー写真入りの商品リストを載せて注文を受け付けるというシステムの開発。もう一つは、視覚障害者向けの商品注文システムの開発。普通のバーコードの10倍の情報を収録できるという2次元コードに商品情報を入れた商品リストを、端末で触れると音声で情報が再生され、ボタン操作で数量が入力され、送信ボタン一つで、電話回線を通して注文データを送れる、というものだった。

福祉とテクノロジーの結婚は地域と産業の振興になる

「チャレンジドが経済的・社会的に自立できる新しい社会システムの創出」というCJFの趣旨に賛同して登壇する人々には、チャレンジ精神旺盛な人が多い。営利事業に身を置く人は、それを「ベンチャースピリット」といい、非営利活動に身を置く人は、「ボランティア」という言葉を「無償奉仕の慈善活動」ではなく、きちんと「個人の自発的意志による活動」という意味で使う。障害当事者もまた、自らを「ハンディキャップを背負わされた者」でなく、「挑戦すべき課題を与えられた者」(チャレンジド)と捕らえている。

そして来場者をそのような意識へと鼓舞して、互いの手を取り合わせていく雰囲気が、CJFにある。

そのCJFの今回の会場は、一昨年春に開校したばかりの宮城大学だった。県立大学なら、ビジネスの第一線で活躍していた人材を多数教員として招き、事業構想学部というズバリ起業家養成を目的とした学部を設置。その前例のない試みの行方が、全国レベルで注目されている大学である。障害者の自立支援に前例のない各界横断的な取り組みの輪を生み出して注目を集めるCJFのあり方を思えば、実に似つかわしい会場選択だった。

そして、ここにCJFを誘致した実行委員長・浅野知事の福祉観もまた、いわゆる"弱者への施しの福祉"ではない。

実は、壇上に上がったスピーカーを含めて、今回のCJFの来場者を一番驚かせたのは、浅野知事の要請で特別講演を行った東北大学未来科学技術共同研究センター・半田康延教授の「FES(Functional Electrical Stimulation=機能的電気刺激)の研究」だった。今回は詳しく紹介できる紙数がないので、遠からず本誌で半田教授を改めて取材した上で紹介する予定だが、ひと言でいえば「さまざまな原因で神経障害を起こして手や足の自由を失っていた人でも、電気刺激で機能を回復できる」という、驚くべき臨床事例を伴った研究発表。後に登壇した浅野知事はこの研究を絶賛し、次のように訴えた。  「皆さん、たとえば『バイアグラみたいな副作用の心配がなく効く電気刺激の装置がある』といったら、100万円でも買うでしょう(笑)。つまり、福祉とテクノロジーの出会いは産業を生むということなんです」

浅野知事の思いが込められた今回のCJFの副題「自治体の挑戦・福祉でまちづくり」には、テクノロジーを福祉に活用してコミュニティの活性化を図るという意味と、福祉のためのテクノロジーの研究開発によって産業振興を図るという意味が包括されていたのだ。

また、「福祉でまちづくり」は、その成果を障害者が享受するということだけでなく、障害者自らがテクノロジーを活用すれば「福祉でまちづくり」の一翼を担えるということでもあった。今回のスピーカーの中では、足に障害を持ちながら前出・サイバードの代表として活躍する広岡氏がいい例だ。

それにしても、前号紹介の「国際電脳仙台七夕祭り」のシニアたちといい、今回のCJFに登場した宮城の人たちといい、話ぶりは朴訥としている(浅野知事は例外として)が、やっていることは先進的。「東北人は保守的」というのは通念のバリアかと思った2日間だった。

養護学校生5人が取材&HP作成に挑戦

「チャレンジドとみんな〜情報天才異才塾」という催しが8月20日、宮城県産業技術総合センターで開催された。県内の養護学校に通う5人のチャレンジドが、それぞれ同センターの展示室や研究室を取材してまわり、それを材料にしてホームページを作成するという体験実習。最初は不安そうだった生徒も、運営に当たった宮城大学の学生らのサポートで最終的には何とかページの立ち上げに成功し、ひとつ自信をつけた様子だった。

「情報天才異才塾」は、パソコン&インターネットのことを勉強したい小中学生を募集し、上記学生らと合宿して学ぶというもので、今回はそのチャレンジド版1日実習を、CJFのプレイイベントとして試みたもの。会場の飾りつけにもボランティアの学生らの温かい気持ちが表れていて、好企画だった。

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