WA-WA-WA VOL.1―読者参加型バリアフリー生活マガジン (BCプランニング 1999年1月発行) より転載

コンピューターに夢をのせて

大阪で見つけたコンピューター支援団体「プロップステーション」。
「チャレンジドを納税者に」を合い言葉に活動しているこの団体。
今、あらゆる方面から熱い注目を集めています。

文 宗利 勝之

チャレンジド

とにかく「元気」というか、「勢い」が凄いというか、「エネルギッシュ」という言葉がぴったりの障害を持つ人を支援するNPO(草の根非営利団体)がある。その名もプロップステーション(以下プロップ)。1992年4月に大阪市で発足し、現在会員数約350。そのうち核になる3分の1が肢体、視力、聴覚、内臓など様々な障害を持つ人達、その外側、最も外円をコンピューターによるハイテク支援を行うボランティアが形成し、社会との接触面を担う形で組織の輪が造られている。支援する企業・団体数は40以上。プロップステーションのイメージについては、神戸市で8月8日に開催され大成功を収めた『チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議』の内容から、その一端を伝えることができる。

まず、目を引くのが、フォーラムの内容の実践的なことと、出演者の顔ぶれだ。産官学民が集まって、「情報技術を用いた障害を持つ者の就労促進の理想像の考察」にテーマに絞り、2日間にわたってかなり実践的な話を展開した。話題提供として海外からは、先進的な取り組みを続けるスペインのオンセ(全盲または視覚障害者の会員5万人で構成され、障害者の雇用促進活動や社会インフラの整備を行っている団体)、さらにスウェーデンのサムハル社(スウェーデン最大の業務請負会社で、社員の90%が障害者。事業はソフト開発、製造、サービス業など多岐にわたる)が参加。それを受けて日本の企業は、日本電信電話梶A潟Aクセスインターナショナル、且O菱プレシジョン、マイクロソフト鰍ネど、情報通信産業の大手が多数見受けられる。また、官僚からは自治省、郵政省、通産省、労働省などが参加し、さらに貝原俊民兵庫県知事、浅野史郎宮城県知事、橋本大二郎高知県知事ら「大物」も政界から参加した。話し合われたのは、プロップステーションの取り組みを題材にして今後の障害を持つ人たちの就労について。その先導役を果たしたのが、プロップに関わる学者たちで、東京大学や神戸大学の教授たちの名が幾つも並ぶ。

確かに、著名人の名が並び、大手企業が参加しているから良いというものではない。しかし、私の言いたいことは、要するに、エネルギーに満ちあふれた市民活動というのは、その運動力そのものが時代を切り開いていく役割を担っており、そのことをプロップの2人のスタッフは十分に意識しているということだ。私のような部外者から見ると、社会的評価の高いこの活動は何よりも市民権を獲得しているように思える。そして、今の時代に合った形で、障害者たちの社会参加を切り開く力に確実になっていると思われるということだ。ずいぶん荒っぽい評価と言われればそれまでだが、企業社会への切り込み役として、また実利的な面を押さえた今後の「障害者運動」の展開の先導役のひとつとして考えれば、その役割は大きいのではないか。もちろんプロップの役割から生まれる利は、すぐに障害を持つ者全てに及ぶものではないだろう。それでも時代を切り開く意味で、これほど影響力を持とうとしている団体はないのではないかと思う。

プロップでは、「障害者」のことをチャレンジドとよぶ。チャレンジドというのは、アメリカで障害者の基本的権利を定めるADA法(1990年制定)の制定を求める障害者自立生活運動の中から生まれた呼称のひとつで「The challenged・挑戦すべきことを神から与えられた人々」という意味。プロップはこのチャレンジドという言葉に共感し、障害を持っていても「挑戦者精神を失わない人」という意味と思いを込めてそう呼んでいる。プロップの言う挑戦は、もちろんチャレンジドの雇用促進による社会参加だが、その目標は「チャレンジドを納税者にできる日本」というもの。つまり、チャレンジするのは障害を持つ者だけではなく、私たちの国・日本ということになる。そう障害を持っていてもいなくても、この国に住む私たち一人一人の挑戦ということだ。そしてそのバリアフリーへの挑戦によって生まれる知恵や経験は、全ての人に「自己実現可能な未来」への道を示すことになるという信念が、このキャッチコピーの背景にある。プロップというのは、「支え合い」を意味する言葉。となれば、支えられているのは障害を持つチャレンジドであり、障害を持たないボランティアということになる。逆もしかり。支えているのはチャレンジドであり、健常者ということだ。

ボランティアの役割

「私は障害者の支援がしたいから、プロップに関わっているのではない。まずコンピューターが大好きで、同じ思いを持つ後輩といっしょに仕事をしていきたかった。だから、チャレンジドの支援というよりは、コンピューターで生きていこうとする後輩を育てていると考えている」と、この5年間プロップの活動を支えてきたボランティア、橋口孝志さん(63)は語る。そして、「特に、コンピューターを飯の種にできるまで使いこなすのは大変だ。しかし、今はチャレンジドがコンピューターの勉強をしたくても障害が社会的なハンディになってチャンスがない。このことが不公平だと思う」と続けた。

プロップでの橋口さんの役割は、簡単にいえば教育講座を通しての人材育成と、卒業生と組んでの仕事の受注をこなす実務。彼は1962年からNTTでコンピューターの専門家として生きてきた。リタイヤの後、大好きなコンピューターを使って、第2の人生を自らが望むように生きてみたいと考えた。その時に出会ったのがプロップだった。プロップなら、とにかく好きなコンピューターを使って関われる。そして会社の中では決して許されなかった企画を実現できる。チャレンジドから見れば、橋口さんの持つ専門知識を利用できる。金が介入しなくても、互いのメリットが成り立つ。現在、インターネット上で第3期目の10名に対してコンピューター講座、「在宅スキルアップセミナー/データベース『Access』講座」を行っているが、どんどん受講希望者は増える一方だという。

この講座、橋口さんが自分でカリキュラムやテキストを作り、96年8月に開講した。初年度でも、30名の定員に対して応募は100名。仕事を求めるチャレンジドのコンピューターに対する期待がいかに大きいのか想像できる。その期待に対して、すでに1期目6人、2期目9人の卒業生の何人かと幾つか仕事もやり終えた橋口さんは、「しかし、プロの仕事は厳しいもの」と厳しい口調で語る。

プロップは、あえて必要が無いかぎり「チャレンジドの団体」であることを明かさない。最近になってやり終えたある全国チェーンを展開するある企業本社のデータベースの仕事については、相手の企業は未だに「プロップは普通のソフト開発会社」と信じ込んでいるという。これも、「チャレンジドに平等なチャンスを」というプロップの基本理念からでた結果で、仕事に「障害者」という甘えは持ち込まない。あくまでも商業ベースで他社とのコンペティションを経て仕事を受けている。今回の仕事は4人のチャレンジドと橋口さんが組んで、インターネット上で2ヵ月半かけてやり遂げたという大きなものだった。そのメンバーは山形、新潟、山口、熊本と全国の県に分散している。橋口さんの役目は、ユーザーとの直接交渉と監督。つまりプロジェクトリーダーと営業だった。橋口さんはいう。

「生まれつき障害を持っている人は世の中の仕組みを知らない。例えば請求書というものが、どういう流れで出てくるものかも知らないわけ。インターネット上だけでは、そういうことは分からない。さらに言えば、世の中では何が許されて、何が許されないのかも知らないわけです。だから私のような年配者のプロップでの役目は、会社の新入社員のように叱ってやることです。競馬を知らない者が競馬のゲームソフトが造れないように、世の中の仕組みを知らない技術者では、データベースやシステム開発をすることはできない。私の仕事は、技術の裏付けのあるチャレンジドを企業人として育てることです」。

実際、今回の仕事のメンバーの中でも、20歳を過ぎて生まれて始めての報酬を手にした者もいる。しかし、彼にとってもっと大きな報酬だったのが、世の中がどう動いているのかを学んだことだったという。そうした一見高いハードルを掲げる橋口さんのことを、プロップのメンバーは愛着を込めて「オニ」と呼ぶ。しかし、その呼び名も、「目の前にいる人たち、出会った人たちを放っておけない。お節介をしたいという衝動がボランティアの動機」と語る橋口さんを心から信頼してのあだ名のようだ。そうした彼の厳しい指導の結果、現在、マイクロソフト社に正社員として雇用される者まで出てきている。

チャレンジドたちの今

橋口さんの教え子たちの中から、現在、彼の後継者が生まれてきている。第1期の修了者が第2期目の生徒を教え、第2期の修了者が第3期を教えるというシステムの中から、アシスタント講師を務める松田あきらさんが出てきた。彼は頸椎損傷で車椅子生活を送っているが、プロップからの仕事をこなしながら、講座の基礎の部分を担当している。また、プロップが神戸で行っているセミナーの講師陣も、すべてチャレンジドだ。まず、岡本敏己さんは両手が動かないため、足でコンピューターを操作する。彼はプロップの機関誌『Flanker』の編集委員でもある。脳性マヒのある石田圭介さんは、デザイン・版下の会社の経営者。吉田幾俊さんは、脳性マヒの全身障害を持つ。プロの画家を目指す彼は独学でアニメーションを学び、第2回アサヒデジタルフォトコンテストに1位入賞を果たした。また、プロップのバーチャル工房のサブリーダーも努めている。

バーチャル工房というのは、橋口さんの指導する講座と別のもうひとつのマックセミナー修了者で造られたネットワーク上の工房のことで、メンバーは7名。彼らは関西電力から創立45周年記念事業のイメージイラストなどの仕事をこなして、一般デザイナー以上の高い評価を受けた。さらにNTT、IBM、大阪府、松下電気、マイクロソフトのホームページなど、大企業の注文によるグラフィックデザインをこなし、いずれも社会的に高い評価を得ている。私は一度、彼らのミーティングに参加したことがある。その時は、自らのイラストとエッセイを組み合わせたインターネット上のページ作成の仕事依頼について話し合わせた。ゆくゆくは活字にして出版することも決定しているという内容だった。その仕事の重圧から、ひとりの女性メンバーが泣きはじめた。見た目には、特に重い障害を抱えているように見えた人だった。バーチャル工房だけあって、デザイン、イラストに関しては自信のある彼らも、エッセイとなるとさすがに戸惑ってしまったようだ。しかし、その時に彼女を励ます仲間の様子に強い絆を感じ、また、彼女にけっして人に頼ることで済ますことのないよう厳しい言葉とともに、やる気を失わせず支えようとするプロップ代表の竹中ナミさんの姿勢に感心したことを覚えている。その時に話し合われていた彼らの作品が、ホームページ(http://www.prop.or.jp)で見ることができる。読者の方々も、ぜひ一度、ご覧になっていただきたい。

さらにプロップでは、インターネットを利用して翻訳者の養成講座も開いている。現在7名が受講中。講師陣はプロップのメンバーの他、マイクロソフト社の社員がボランティアで参加。こうした企業との強いつながりがプロップの財産だ。いずれこの講座から、プロの翻訳者が現れる日も近いことだろう。こうして、次々にプロップが新しい取り組みを始めていけるのは、やはりスタッフの存在が大きい。特に縁の下の力持ちとして、プロップの活動を支えている鈴木重昭さん(43)は、もともとコンピューターの技術に秀でていたこともあって、コンピューターを柱とするプロップの実務面の責任をしっかりと背負っている。竹中と彼のコンビだからプロップの活動が、これほど広がったと誰もが認めている存在だ。その鈴木さんはいう。「活動が大きくなり組織化が進むと面白みが無くなる。安定期が来ないように、次々にアイデアを出していかないと。その点、パソコン通信やインターネットを使って全国を相手にしていると、まだまだ面白い人材がいる。プロップはいずれ法人格を取り、より社会的に大きな事業を展開していくことになるだろう。それでも、個々人の夢を実現していく場であるという基本から外れなければ、プロップは大丈夫だ」と。

インターネット

「障害者の雇用の促進等に関する法律」では、一般の民間企業で1.8%以上という雇用率が定められている。しかし労働省の調べによると、約5割の企業が達成しておらず重度の障害者の就労については、ほとんど無いに等しい。彼らのお寒い就労状態の背景には、「通勤の困難さ」やトイレやスロープなど「企業設備の改造費用」といったバリアフリーの問題が重く横たわっている。現在、企業が新規に障害を持つ人を常勤の労働者として雇用する場合には、一人当たり450万円を上限に施設設備費用の3分の1を支給するなどの助成金の制度がある。しかし、積極的な障害を持つ人の雇用に結びついてはいない。そうした中で、最近、注目され始めたのが在宅雇用の試みだ。この試みの可能性を飛躍的に高めたのがインターネット。インターネットを使えば、自宅で仕事ができ、それを送信することで障害に関係なく在宅勤務が可能になる。 インターネットの利点はそれだけに止まらない。例えば、通信回線を通しての文字情報などでの付き合いになると、障害が相手に見えないので「どうでもいいもの」になるのだ。つまり、その人が与えるイメージが、第一印象ではなく、本質に近い本当の能力で最初から評価されることになる。そして、ネットワーク上では「肩書」に縛られない意見交換が行われるので、「誰が、どんな人が何を言ったか」ではなく、「どんな意見を言ったか」で評価される。障害が「大した問題」でない世界がそこにある。また、コンピューターの技術革新は、チャレンジドの目、耳、手になるなど、コミュニケーションの場面で五感の役割を果たす。そして、ネットワークはこれまで発言の場が限られていたチャレンジドに、幅広い情報源とともに広く意見を言える機会を提供する。

そのインターネットを武器に仕事をしているプロップのメンバーのひとりが、プロップの機関誌『Flanker』の編集長桜井龍一郎さん。彼は大学時代に体操競技で鉄棒から落下し、重度の頸椎損傷を負ったチャレンジド。自力でベッドから起き上がることはできないが、ベッドの上でパソコンを使い編集作業の全てをこなしている。『Flanker』は編集会議、校正、レイアウトなど全てネット上で行う。彼は1991年に労働省から認定された在宅勤務の第1号という。また、野村総研などによる障害者の在宅就労のテストに参加した山崎博史さんは、前述の橋口さんの教え子でもある。山崎さんは19歳の時に交通事故で頸椎を損傷し、動くのは肩から上だけという重い障害を持ち車椅子生活になってしまう。指もほとんど動かない。その後、28歳で結婚をきっかけに、稼げるようになるためにプロップのセミナーに参加。それまでは、まったくコンピューターと無縁の生活を送っていた。その彼が卒業後、プロのプログラマーとして活躍しており、過去に貿易会社の会計管理システムや府立高校の成績管理システムを開発してきた実績を持つ。

その彼の参加したテストというのは、95年1年間行われた「インターネットを利用した障害者の在宅雇用モデル作り」の実験プロジェクト。インターネットの活用によりチャレンジドと企業の双方にメリットのある雇用形態を追求することを目的としていた。山崎さんの役割はインターネットに開設されているホームページにアクセスし、その数や内容をメールでレポートすること。そうして、チャレンジドがインターネットを活用し情報にアクセスする際に、実際の業務上どのような問題点があるのかも同時に見えてきた。

また、在宅勤務であることや障害があることは問題にはならないという。しかし、「通信回線料が高い」こと、「コンピューターとモデムの規格がメーカーごとに違うので設定が難しい」こと、そして「企業とチャレンジドの間に有効な教育及びコンサルティングの体制がない」ことの3点が障壁になっていると分かった。これに対してプロップの代表竹中ナミさんは、「インターネットを活用した在宅勤務を日本に根づかせるためには、行政の助成が不可欠」と語る。特に、企業とチャレンジド間の共通の認識を育てるためには、労働省当たりが、「チャレンジドの雇用にインターネットは有効だ」という認識を持ち、チャレンジドが受講できるセミナーを開催したり、企業を指導したりする必要がある。高い回線使用料については、郵政省あたりの取り組みが必要になってくる。つまり、障害が問題ではなく、社会環境整備の遅れが問題ということだ。そこで「このままではチャレンジドの在宅雇用は進まない」と危機感を持った竹中さんは、大阪府労働部や日本障害者雇用促進協会などを通じて、労働省に改善の要望書を提出し、一方で郵政・厚生・労働・文部省などに働きかけ、「チャレンジド・ジャパン・フォーラム」第1回目を開催した。このフォーラムが発展し、3回目に当たる今年は冒頭の国際フォーラムの開催となったのだが、いずれにしてもこうした働きかけは有効だったに違いない。96年度には、総理府障害者施策推進本部は、だれもがネットワークを利用できるよう「情報保障」について研究を始め、97年度には郵政省がパソコンを利用しなくても電話など既存の端末からインターネットを利用できる「高齢者・障害者向けインターネット」の実験を始めたなど国のレベルでも取り組みが始まったからだ。

プロップの設立とナミねえ

とにかく、行動が早い。思いたったら、すぐに実行に移す。行政と交渉していた96年には、在阪企業50社が集まった研修会の場で、「インターネットにかかる高い経費の問題などの課題はすでに上がっているが、障害者が仕事をするという面での課題は上がっていない。企業は障害を見るのではなく、個々の能力や技術にもっと目を向けてほしい」と、今度は企業に対して改善を要求している。これが普段から、「障害なんてただの個性。仕事をする中で本人も周囲もそれが理解できる」と語り、プロップの仲間から「ナミねえ」と慕われる竹中さんの個性だ。とにかく、バイタリティでは誰にも負けない。

私が彼女に会う度に、彼女の口から聞かれるセリフがある。それは、「私はコンピューターのことなんか、ぜんぜん分からへん。難しい言葉も、聞いて知っているだけや。そういう難しいことは、専門家がおってくれるさかい大丈夫なんや」というもの。そして、「ハハハ」と大笑いしたあと、「ほんまに人にめぐまれとるわ」ともう一度笑う。

自ら認めるコンピューター音痴のナミねえが、コンピューターを主体にした活動を始めるきっかけは1991年5月にさかのぼる。全国の障害をもつ人1300名に仕事についてアンケートを取ったところ、回答者の8割までが「仕事をするための道具として、コンピューターに期待している」という結果を得た。しかし、「重度障害者の勉強の場がない」、「技術を持っていても仕事がない」、「通勤が難しい」などの現実も見えた。そこで「勉強の場を造って、仕事を探して、在宅勤務ができればいい」という発想が生まれ、「企業とチャレンジドの橋渡し」を目的に設立されたのがプロップステーションというわけだ。そしてまず、コンピューター技術の分かるボランティアを募集し、次にパソコンセミナーを開催、チャレンジドが技術を身につける場を作る一方で、プロップを信頼し在宅でできる仕事を発注してくれる企業を探した。なんと全国で250もの団体や企業が名乗りを上げたという。その中には、アップル社、NECなどが顔を揃えており、その後のチャレンジドの仕事へもつながっていく。

そもそも彼女が、いわゆる障害者問題に首を突っ込んだのは、長女の麻紀さんが重度の障害を持って生まれてきたことにある。いまでも施設で暮らす麻紀さんは、ナミねえが母親ということを認識しているのかどうかすら分からないという。ナミねえは、手話通訳や介助のボランティアなどを長年やって、障害者の自立支援組織の設立にも参加してきた。運転の乱暴な大阪のタクシーの中で身体を振り回されながら、「さぞ、大変だったんでしょうね」と尋ねると、「いたって楽天的に生まれついているから。それより、必要な時に必ず必要な人が助けてくれるから、そんなに辛いことはなかったし、幸せに生まれついているんやわ」と語ってくれた。そんなナミねえが、長年の福祉の現場体験からたどりついたのが、以下のような考えだったようだ。

これからさらに深刻化する高齢化時代は、「障害者だから」とか、「高齢者だから」という理由で、働く意欲も希望も能力もある人をリタイアさせていれば、彼らを支える側にとって大変な負担になる。彼らに税金を投入するなら、保護のためではなく、彼らが働ける社会を作るために使う方がいい。そうすれば彼らは収入を得て、税金を収められるし、さらには、彼ら自身の生き甲斐や誇りにもつながる。

この考えに多くの市民や、学者、企業が賛同した。それは、自分の娘が障害者手当として高額の治療費を貰っていることから申し訳ないと思い、進んでボランティアをすることで少しでも社会に還元したいと考えて首を突っ込んだ「福祉の現場」で見えてきた矛盾をベースに悩んだ末に出てきた発想だったからだろう。その「チャレンジドを納税者にできる日本」を実現するための武器にコンピューターを選び、目指すのは在宅雇用。いま、彼女の活動の対象は、障害を持つ人だけでなく、高齢者も含まれている。いずれは、幼い子どもを抱えて働きに出ていけない女性や、精神的な重荷を抱えて引きこもりがちの人など老若男女全ての「生きずらい人たち」のバリアフリーを目指すことになるのかも知れないとつい考えてしまうのは期待し過ぎだろうか。

最後にナミねえの人柄が透けているような文章を彼女自身のエッセイ(インターネットアスキー1998年8月号より)から抜粋、紹介して終わることにしよう。

プロップは、麻紀を得たことで感じたさまざまな自分なりの課題を、たくさんの人の支援で解決していこう、といういわば「ナミねえのわがまま」から出発した組織です。でも、麻紀のおかげで、そらもうすごいたくさんの人に出会え、一緒に活動できて、こんなに幸せなことはない、というのが正直な気持ちです。重症心身障害児と呼ばれる麻紀がナミねえにくれたプレゼントを手に、これからもポジティブに生きようとするchallengedや支援者の皆さんと、プロップの活動を進めていきたいと思います。challengedの仕事人を増やすとともに、働けない(麻紀のような)challengedも尊厳を持って生きられる日本を目指して……。

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