労働時報 51巻11号(1998年11月5日発行)より転載

インターネットと情報マッチング −障害者雇用とネットワーク利用の可能性

慶應義塾大学大学院教授 金子 郁容

9月のはじめにいくつかの大学を訪問する用事があってアメリカを訪れた。滞在中に、例のクリントン不倫疑惑に関するスター特別検察官の報告書がインターネットで公開されるという「事件」があった。騒ぎは一件落着という感があるが、インターネットの社会への影響ということでこの事件が示唆したものが大きい。
アメリカ議会で報告書を公開すると決めた数時間には全文がインターネットに掲載された。当日のCNNのインターネットサイトでは1分間あたり34万件のアクセスがあったという。マスコミ報道陣のほとんどにとって、最初に入手したスター報告書のコピーはインターネットからのプリントアウトだった。マスコミの優位性がくつがえってしまったのである。
インターネットがコミュニケーションのツールとしてマスコミにない有用性をもっているということは、阪神淡路大震災のときにわれわれ日本人が実感したことである。どこどこの避難所にいる5人の人が毛布をほしがっている、だれだれは無事でどこどこに一時避難しているなどという個別情報はマスコミには載りにくい。当時はまだインターネットが一般に普及していなかったので、パソコン通信が活躍した。しかし、スター報告書の一件では、従来はマスコミこそが優位性を握っていると信じられていた情報の流通に関して、マスコミの立場からすると、いわば、「インターネットにしてやられた」のである。
今回の出来事は、また、パワーとは何かについても示唆があった。昔流に言うと、権力者であるアメリカ大統領の不正に対して正義感と法律を武器に敢然と戦う検察官という図式が想定される。たしかに、70年代のウォーターゲート事件ではそのような雰囲気があった。今回は、むしろ、インターネットという武器を手にした特別検察官が、あわれなクリントンをいじめているという受け取り方もある。 
これまでは、社会的に影響の大きな事件やことがらは、政治、官民からなる"エスタブリッシュメント"の枠の中でまず処理され、その後情報がマスコミというフィルターを通って、一般の人に伝えられていた。よくも悪くも、そのようにして社会秩序が作り出されていた。そんな枠が一気にとっぱらわれた。そうしてみると、マスコミの情報独占はなくなり、各自が情報源に直接接し、それぞれの判断を下せることになった。一方で、なにが正義で何が悪なのか、なにが伝えられるべきことでなにがそうでないものか、そもそも責任の所在はどこにあるのか、よく分からなくなる。どちらにせよ、インターネットの持つ可能性と危うさを如実に示した出来事であった。
インターネットや衛星通信などによって世界が互いに直接つながりだすと、社会には、標準化と多様化・分散化の力が同時に働く。グローバルスタンダードを無視するものは世界の流れに乗り遅れてしまうが、その一方で、標準化が進むと、既存システムでは認められていない微小な力が影響力を発揮しやすくなる。スター報告書の例だけでなく、一般にホームページの普及によってこれまでマスコミに集中していた情報発信のパワーバランスが大きく揺らいでいる。それは、インターネットという世界標準ができた結果にほかならない。行政やNPOを含めて、いろいろな意味での「ビジネスチャンス」の到来である。しかし、その一方で、社会秩序が緩み、不安要素が増大する。諸刃の剣である。
「ビジネスチャンス」をもっと一般的に言えば、何かを求めている人や団体についての情報とそれを提供する人や団体の情報が「出会う」ということ、つまり「情報マッチング」だ。経済的な情報マッチングは市場経済を通じて行われていることになっているのだが、ここでいっている情報マッチングは社会的なものを含めたもっと広いものである。
そもそも、われわれは誰でも「人の役に立ちたい」と思っているものだ。誰でも、自分の知っていること、経験したこと、得意なことが、他の誰かの生活に生かされる機会が生まれることを求めている。それらをつなげるのが、われわれの言う情報マッチングである。そのようなマッチングがスムーズに効率的に行われることが、個人生活の充実であり、社会全体がうまく回り、豊かになるということの基本である。「ビジネスチャンス」とは、インターネットなどの新しい情報基盤の普及によって、このようなつながりがつけられるチャンスが増えたということだ。
インターネットによるニュービジネスは盛んだ。ホームページを介してソフトウェアをより安く、より速く手に入れることが可能になった。ホテルの予約は代理店に頼むより自分でしたほうが納得がゆき、値引きも利用できる。自分の送った荷物がいまどこにあるか分かり安心して配達を任せられるようになった。インターネット上の公開オークションでアンティーク家具や珍しい本を売ったり買ったりできる。
これらは商品やサービスについての例であるが、市場取引では必ずしもうまくゆかない、教育、福祉、健康、人材など、人々の生活や日常に直接かかわる情報こそ多様で分散的で個別的であるので、情報マッチングに対するニーズは一層高いと言える。市場で扱えないものは行政に任せるというのが一般的な考え方だったが、ネットワーク社会になると情報ニーズが多様になり、行政だけではとても追いつけない。阪神淡路大震災発生直後の個別情報のマッチングが、主にボランティアによって実現されたということはひとつの象徴である。今後は、効果的な情報マッチングのために、行政、NPO、研究機関、地域ベンチャー企業などがインターネットの活用を含めて、それぞれの得意を生かしながら多様に連携してゆくことが期待される。

プロップ・ステーション(http://www.prop.or.jp)では、チャレンジド(=障害者の新しい呼び方)の委託業務についての広い意味でのマッチング支援活動を展開している。チャレンジドを対象にしたコンピュータやネットワークの講座を何年も前から開設し、現在はインターネットを介した講座もある。また、野村総合研究所と共同で、チャレンジドによるテレワークの問題点を洗い出すという実証研究をしたり、デジタルアート作成やイベントの開催の請負など、NTTや関西電力などからの委託業務の受け皿となって企業とスキルのある障害者の間をとりもつという実績を積み重ねている。
プロップ代表の竹中ナミは、近著『プロップ・ステーションの挑戦』(筑摩書房)のなかで、その活動の本質は「チャレンジドの誇り取り戻し」だと言っている。チャレンジドは一方的に受ける存在ではない。仕事をしたい人はそのことを通じて社会に役だっているという誇りをもつことが本人にも社会全体にも有益だ。なお、プロップの活動はアジア映画製作機構によるすばらしいドキュメンタリー映画になっており、自主上映などに提供されている(連絡先は地域活性化研究所、03−5251−0155)。
この数年で、数多くの個人や小さいなボランタリーなグループがインターネットを通じてさまざまな身近な生活関連情報を提供するようになってきた。たとえば、日本には障害者関連の情報を掲載している主要なホームページサイトが500以上ある。それらホームページには、当事者自身や家族の体験談などを含め、雑誌やマスコミでは得られない貴重な情報がたくさん掲載されている。また後述するVCOMの一環として実施されているCHIME's SQUARE(http://chime.vcom.or.jp)では、それらのホームページの情報が探しやすいように、地域別、障害別などのインデックスを作り検索サービスを提供している。
慶応大学の研究プロジェクトとして1995年から私が主宰しているVCOM(http://www.vcom.or.jp)では、障害者、女性関連、地域コミュニティ作り、環境NGO、自治体経営など、いくつかの分野でのボランタリーな情報を提供している。「障害者(チャレンジド)としごと−ジョブマッチング情報広場」では、実験的な研究活動の一環として、チャレンジドを対象にした求職・求人、ないし、業務請負・委託についての情報を自発的に登録してもらい、それをデータベース化した上で一般の人がみやすいような形で提示している。情報の閲覧・検索や個々の求職者・求人者への確認や問い合わせについては、すべて、利用者によるイニシアティブと自己責任において行ってもらっている。VCOMでは職業の紹介や斡旋は一切行っていない。このページには、北海道から沖縄まで広い範囲に在住しているチャレンジドからの数百件にのぼる求職・業務請負情報が掲載されており、一方、いくつもの企業や大学や自治体が求人情報の提供をしている。 
インターネットは、もちろん、いいことばかりではない。誰でも利用でき、直接的コンタクトがつけやすく、分散システムであるから「上」の指令によらず各人の自発性によって情報が互いにつながってどんどん広がるという便利さが、そのまま、潜在的な問題点にもなりうる。メールアドレスのみでは利用者の認定が難しく、サイバースペースでは自分の存在を隠しながら他者に大きな被害を与えることが現実社会に比べて容易だ。いたずら電話や迷惑DM(ダイレクトメール)はこれまでもあったが、インターネットでは、DMやウィルスを送り付けるには、一度、プログラムをセットしたらあとは手間がかからない。インチキ商法もネットワーク上だと本人確認ができにくいので抑制がききにくい。
雇用や就労など個人情報を扱うときには、「誰が情報を見ることが出来るのか」「情報は誰が登録できるか」「登録された情報は誰が変更できるか」など、慎重に対処しなくてはならない点が多い。しかし、利用者の確認や個人情報の保護をするための情報の暗号化や電子証明書などの技術はかなり発達してきた。VCOMでは(財)九州システム情報技術研究所との共同研究として、インターネット上のコミュニティを基盤にした信用システム構築について、技術的、社会的の両面から検討し、実装実験を進めている。
考えみれば、区役所や市役所で戸籍謄本や住民票をもらうときなどの、「物理的」な本人確認手段が完全だとは言えない。保険金詐欺が横行していることをみても企業活動のなかでも「なりすまし」をチェックするシステムが十分に機能しているとはいえない。HIVファイル事件や防衛庁の調達についての不正疑惑は中央官庁が情報を独占していることがひとつの原因だ。情報は、際限なく分散するのも危険であるが、一括管理するのが安全確保のための最適な方法とは限らない。通信技術を使うことによって情報保護や分散管理システムを改善するという可能性も十分検討されていいだろう。インターネットなどのコミュニケーション手段が世界標準になりつつある現在、インターネットには問題があるから使わないということではなく、知恵を集めながら、問題点を解決して可能性を伸ばすというアプローチが望まれる。

日本社会の雇用については、これまでは比較的安定していたが、今後はかなりの様変わりが予想される。長期的な不況傾向とビジネスにおける世界規模での競争のなかで、企業にとっては固定的な人件費負担を回避する圧力が強まろう。アウトソーシングが増加し、通信ネットワーク利用のSOHOが普及するだろう。つまり、好むと好まざるによらず、今後は、必ずしも雇用とは限らないさまざまな形の働き方が増える。また、就労側のニーズの多様化も進行する。特に障害者の就労については、通信ネットワークの普及や当事者のスキル獲得などの要素によって多様化が加速するだろう。それらに対応するためには、行政が1人でがんばるのではなく、NPOとの連携などを含めた社会的な役割分担が効果的で現実的な選択となろう。 
当然のことであるが、障害者のニーズについてはなるべく当事者に近い人や団体に聞くことが基本だ。プロップ・ステーションや東京コロニーのように、障害就労支援について着々と成果を上げている当事者団体も各地に出現している。VCOMではインターネットを使った市民の行政参加に関して東京都や藤沢市と共同プロジェクトを行っているが、障害者の就労についても、研究機関が自治体やNPOと連携するチャンスがあるだろう。
一般的に言って、情報はどこかひとつの機関が一括して司るのではなく、なるべく発生源を多様にしておいたほうがいい。そのほうが健全であり、リスクが低く、効果的で豊かな情報が流通される。とくに、行政機関のように権限とリソースを持っている機関が、情報も、マッチングも、マッチングに必要な評価情報や信用情報もすべて管理するということは不自然だし、多様化が進むネットワーク社会においては、有効なアプローチとはいえない。 
障害者の就労に関して、今後も行政が重要なプレーヤーでありつづけることは間違いない。しかし、その役割は変わって行くであろう。情報公開、行政改革、規制緩和などの大きな流れもある。一般市民も企業も、何でも行政に任せればいいという考え方は変えなくてはならない。行政の役割の焦点は、個々の現業サービスの提供やコントロールから、多様化するニーズに対応する体制を検討し、インターネットにおける個人情報の扱いについてのルールを作り、技術的進歩の成果を広めるなどして、当事者がスムーズに効果的に活動できるような大枠を設定することに移行するだろう。一言でいえば、行政に期待されているのは、信用や安心が作り出される社会的な受け皿作りではないだろうか。

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